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平成21年8月

災害警戒広報活動

 台風9号の接近に備え、麻布台・麻布狸穴町・東麻布・麻布永坂町を歩きながら、災害警戒広報活動を行いました。
 広報内容は、台風9号は本日午前四国沖を北上していること、今夜から明日朝にかけ四国から東北地方への広い範囲で激しい雨が予想されること、台風の中心気圧は992ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は20メートル、明朝午前6時までの24時間雨量は200ミリと予想されること、一時雨が止んでも台風の接近に伴い激しい風雨が在り得ることでありました。
 災害警戒広報活動は、議員になる以前より、自主的に行って来た活動で、台風や豪雨が予想される際、区内を巡回しながら広報活動を行って来ました。

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8月9日について

 長崎に投下された原子爆弾により亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。

 毎年私は、この日になると二つの歴史的事実について考えさせられます。一つは冒頭にもございますとおり、長崎に原子爆弾が投下されたことであります。広島同様民間人が多数居住する都市に、それまで使用してこなかった大量殺戮兵器である原爆を、アメリカ軍が投下したのであります。
 当時アメリカは、リメンバーパールハーバーと謳い、対日参戦への国民意識の高揚に利用しました。確かに日本も真珠湾を奇襲攻撃したではないかという考え方もありますが、真珠湾は軍事施設であります。元来攻撃を受ける可能性のある場所であり、そこに勤める軍人、軍属、偶然居合わせた民間人に至るまで、被害を受ける可能性が在ったわけです。
 これに対して、広島も長崎も都市であります。国際法上、保護が義務付けられている非戦闘員、民間人が多数居住している地域です。戦後反戦左翼は、広島も長崎も軍都であったから爆撃の目標とされたと主張していますが、ならば軍事施設のみを破壊すれば良かった訳で、初めから新兵器である原子爆弾をしようしたかったアメリカの思惑が見て取れます。

 原爆投下については、多くの国民の皆さんがご存知のことと思いますので、これ以上触れませんが、私はもう一つ忘れてはならない歴史的事実に言及したいと思います。それはソ連による日ソ中立条約の一方的破棄と対日参戦であります。
 日ソ中立条約。正式名称は、大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約、日本側条約番号は昭和16年条約第6号、昭和16年(1941年)4月13日モスクワで締結され、同月25日に発効した条約です。内容は日ソ相互不可侵、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などが定められました。
 大戦末期、昭和20年9日午前零時をもって、ソ連は突然条約を破棄を宣言し、当時の満州、そして南樺太及び千島列島への侵攻を開始致しました。宣戦布告が前日の午後11時、この時既に在ロシア日本大使館の通信手段が切断され、宣戦布告の一方が本国に打電できない状態でした。この後のソ連軍侵攻の経過については、先月16日のブログにも記載致しましたのでご参照願います。占領地でソ連軍は日本兵捕虜に対し、国際法に違反するシベリア抑留を強制し、また多くの日本女性を暴行しました。樺太では、真岡郵便局に勤務していた女性の電話交換手がソ連軍の侵攻を受けながらも必死の交換業務を続け、ソ連兵が間近に迫ったところで自決、後年真岡郵便電信局事件と呼ばれる悲劇も起きました。
 これらの出来事について、敗戦国となった我が国で、公に語られることは少なかったかと思いますが、戦後64年が経過し、ようやく歴史に光が当てられつつあると思います。8月9日は、北方領土問題そしてシベリア抑留などの悲劇の原因となった日でもあるのです。

長島昭久後援会事務所開き

 民主党東京都第二十一区総支部長、長島昭久前衆議院議員の後援会事務所開きが、立川で開催されました。東京二十一区のエリアは、立川市、日野市、昭島市です。
 長島氏と知り合ったのは、今から22年前の春頃かと記憶しております。当時私は明治大学の2年生が終わる頃で、大学の雄弁部に所属する一方、自由民主党の学生組織立ち上げに奔走しておりました。長島氏は慶応大学院の博士課程に通われ、同じく政治を志す別の学生組織の結成に動いておりました。
 長島氏らが立ち上げた団体が「東京円卓クラブ」で、初代の副会長には近藤洋介現民主党山形県第二区総支部長(前衆議院議員)が就任しておりました。私は会員として、長島氏が部会長を務めていた外交防衛部会に属しておりました。
 この部会では日米安保体制や集団的自衛権などをテーマに議論が行われておりましたが、当時の学生層の主流は経済や福祉への関心であり、軍事的なことをイメージするからか、安全保障を真摯に考えることに対する誤解や偏見も数多くありました。それでも我々はパワーバランスという世界の現実から眼を背けるべきではないと考えておりました。
 この会で議論した内容は、今正に国会における安保討議における重要なテーマとなっており、手前ミソを覚悟して言えば、我々は少し時代の先を走っていたのかもしれません。長島氏は、その後米国への留学、そしてシンクタンクへの勤務を通じて、世界中に人脈を開拓することに成功しました。このような人物こそ、我が国の安全保障政策の中枢に必要なのではないかと思います。その日が到来することを、友人として期待しております。

支持者を前に国政への決意を訴える長島氏。集会の後街宣車に乗り遊説に向かいました。
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東京一区徒歩遊説1700回達成

 民主党東京都第一区総支部が、昨秋より実施してきた徒歩遊説で、当初目標にしてきた1700ヶ所目を、本日白金台二丁目内にて達成致しました。
 徒歩遊説は、海江田万里総支部長を中心に同支部所属議員団らが、我が党の政策について広報すること、また国民・区民よりのご要望を聴き回ることを目的に、東京第一区内を歩きながら遊説や街宣を行っているオペレーションです。
 港区では、昨年11月6日、麻布台・東麻布ルートを皮切りに、名称を徒風(かちかぜ)として随時実施して参りました。当初は目標は目標として、今後も党東京一区遊説局では、国民目線を大事に徒歩遊説を継続して参ります。

1700ヶ所目での記念撮影。左から杉浦のりお港区議、海江田万里総支部長、山本。DSC02019.JPG

原爆症認定について

 広島に投下された原子爆弾により亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。

 原爆投下の日からから64年後の本日、麻生総理と原爆症認定訴訟原告団との間で、訴訟終結に関する基本方針確認書への署名が行われました。
 同書によれば、一審で勝訴した原告は、その後の最高裁判決を待たずに政府が原爆症と認定すること、また敗訴した原告には議員立法により新たに基金を創設し手当てすることとなっております。
 率直に言えば、現行法の枠を超えた高度な政治判断であり、大きな前進であったと評価したいと思います。昨年港区議会で、原爆症認定基準の見直しを国に求める意見書の採択について議論が行われ、私は意見書採択を希望していたのですが、残念ながら全会一致に至らず採択は見送られました。
 前述のとおり、今回の合意署名は評価しますが、国と原告団は訴訟を取り下げることとなり、敗訴した原告には、基金による手当てがなされるとは言え、原爆症の認定は行われないことになります。原告団の皆さんの心情も複雑ではないかと思います。国は認定基準を変えないまま、その穴を議員立法で埋める形になります。国会は立法活動を行う場ですから、当たり前といえばそのとおりなのですが、それならもっと前に行うべきであったと思います。
 現在の認定基準では、被爆当時、爆心地から半径3.5キロメートルに居たことが基準となっています。中学校で習った人も多いと思いますが、井伏鱒二の小説「黒い雨」。強い放射能を含んだ黒い雨を、爆心地から半径十数キロ地点で浴び、その後原爆症を発症した人でも、認定はされていないのが実情です。

 この問題に限らず、今の日本には、実情と合っていない行政基準、制度、法律が数多く有ります。政権交代は手段であると以前書きましたが、これらの現状を直していく事こそ我が党に課せられた使命ではないかと思います。

 

西麻布三丁目で徒歩遊説 事務所開き

 民主党東京都第一区総支部は、本日午後、西麻布三丁目で徒歩による遊説を行いました。弁士は大塚たかあき都議会議員と海江田万里総支部長、誘導担当議員は杉浦のりお区議でした。 また夕方からは同支部の事務所開きを行いました。

西麻布三丁目における遊説の様子。左から杉浦のりお港区議、大塚たかあき都議、海江田万里党第一区総支部長。0908060302:20090806121939[1].jpg
政権交代への決意を訴える海江田万里総支部長(左)。事務所開きの最後に栗下善行都議(千代田区選出)の音頭でガンバローコールを行った(右)。0908060304:20090806121939[2].jpg0908060306:20090806121939[1].jpg

印刷組合納涼祭

 東京都印刷工業組合港支部(小島猛支部長)主催の納涼祭に出席して参りました。議員関係では、都議会から大塚たかあき議員(民主)、代理出席できたしろ勝彦議員(自民)、区議会からは菅野弘一議員(自民)、それに山本が出席致しました。
 納涼祭に先立ち、加盟企業に永年勤続10年の従業員の皆さんに対する表彰式も行われました。おめでとうございます。
 宴会中ご氏名を受け演壇よりご挨拶を申し上げました。

 民主党港区議会議員の、山本へるみです。東京都印刷工業組合港支部の皆様、本日はご盛会誠におめでとうございます。また永年勤続表彰を受けられた従業員の皆様にもお祝い申し上げます。
 いろいろと厳しい情勢が続いておりますが、私は皆様と力を合わせることで、必ずやこの難局を乗り越えられるものと信じております。
 私事で恐縮ですが、先の区議会定例会で異動となり、この度総務常任委員会副委員長を拝命致しました。所掌事務の中には、区との契約関連も含まれております。何か皆様のお仕事で、お困り事などがございましたら、何なりとご相談下さい。
 来月16日からは、次の定例会が開催されます。印刷に携わる皆様の声を、区政に反映して参りますので、ご意見やご相談をお気軽にお寄せ下さい。
 本日はおめでとうございます。

<対馬危機>白嶽でゴミ拾い登山

 対馬視察本隊と別れ、松浦芳子杉並区議、にへい文隆中央区議、三野由美子藤沢市議らと、さらに一泊致しました。一行は昨晩、作元義文対馬市議会議長のご自宅に泊まりました。ご自宅は網元で、また民宿も経営されており、団体の宿泊も可能です。
 朝6時に起床し、作元家や近所の子供達に交じってラジオ体操を行いました。その後、議長の計らいで、漁船に乗せてもらい、朝の漁に出掛けました。漁船に乗るのは初めてです。漁は定置網式で、鯛、イカ、タコ、岩魚などが釣れました。

 昼頃、対馬で一番高い山である白嶽に登りました。当初私は登山の予定は無かったのですが、山中で韓国人登山客がゴミを捨てているとの情報が事前に在り、三野市議が現状視察のため単独でも登る意思を固めておりました。最近北海道で山の事故が起きており、私ともう一人男性スタッフも、ゴミ拾いのため同行することになりました。
 この山に関する事前の知識が無かったことに一抹の不安を覚えながらも、標高519メートルなのでハイキングの延長線上で考えながら登りました。途中まで順調でしたが、最後でやはり試練の場となりました。登山というより、ロッククライミングの様な状況で、山頂手前で登頂を諦めかけましたが、"ゴミ捨て御免"の登山客に負ける前に自分に負けたくない、ついでに港区議会議員としての意地も重なり、無理やり断崖に這いつくばって、登頂を果たしました。登山というより修験道者の修行のようなものでした。
 山全体が神の聖域であるにも関わらず、山頂でも山腹でも、韓国人登山客の大声や騒ぎぶりが耳につきましたが、これはむしろ日本側が、立て看板を設置して啓発するなどの対応が必要でしょうし、こういう場所こそハングルの案内板が必要だと思いました。

 下山後、厳原港まつりの本祭会場に向かい、朝鮮通信使に扮した行列などを見学致しました。お世話になった作元議長が、当時の対馬藩の儒学者、雨森芳洲(あまのもり ほうしゅう)の役で登場されました。会場では、一年ぶりに財部能成(たからべ・やすなり)対馬市長にも再会致しました。

 夕刻の便で対馬を後にし、福岡経由で帰京致しました。

          早朝漁に出る漁船上で作元義文対馬市議会議長(右)と私。DSC01597.JPG
白嶽山中に捨てられていたハングル表記のペットボトル(左)と免税店用の商品券(右)。DSC01654.JPGDSC01655.JPG
                    白嶽山頂での一コマ。DSC01658.JPG
                  朝鮮通信使に扮した行列の様子。DSC01669.JPG
左から、財部能成対馬市長、松浦芳子杉並区議会議員、三野由美子藤沢市議会議員、私、にへい文隆中央区議会議員、作元義文対馬市議会議長。DSC01703.JPG

<対馬危機>対馬市内を視察

 対馬視察の二日目です。午前中に八幡宮、元寇古戦場跡を視察した後、対馬市中心部(旧厳原町内)とアリラン祭会場を視察致しました。

 対馬市交流センターは、市内でも主要なショッピングセンターであります。因みに同センター内にテナントを構える人物こそ、韓国との迎合路線を推進するアリラン派の中心人物で、最近まで商工会の幹部を務めておりましたが、今年退任しました。
 センター内の売り場は、相変わらず韓国人を意識してか、案内板が日本語よりハングルを上に表記している状態です。

 厳原港ターミナルには、韓国人観光客が釜山発のフェリーで来港していました。それとなく話しかけてみると、韓国で対馬は韓国領との主張が叫ばれていることについては、「自分はそうは思わない。」と答える人が多く安堵しましたが、一方「(韓国領との意見に)肯定的に考えている。」と答える人もいました。昨年韓国人活動家が上陸したり、韓国政界でも対馬韓国領決議がなされたりしましたが、個々人が良識的でも、国の政策などで翻弄される、かの国の国民の悲哀さを感じました。

 「アリラン祭」は、元々「厳原港まつり」という名称でした。それが20年前に、長崎県から祭りの運営に補助金を出す代わりに、もう少しインパクトのある内容にしてほしいとの打診が在り、アリラン祭という名称に変わりました。当時は安易に「国際化」という言葉が乱用され、また隣の国とは仲良くした方が良いとの考えも在ってのことだと思います。
 さすがにその後、地元でも名称を問題視する動きが起こり、現在は「厳原港まつり 対馬アリラン祭」という名称になっております。
 この日は前夜祭で、明日が本祭ということでした。

 祭り会場を後に、旧厳原町の川端通りに向かいました。ここは市内で最も大きな商店街です。  昨年来た時は至る所ハングルの看板ばかりでしたが、今年は打って変って減少し、さらには空き地になっている場所も在りました。ここでも韓国不景気の影響を感じます。
 それでも昨年、その名前からして話題となった韓国料理飲食店「アジト」は健在でした。どういうわけか、そのネーミングに関心を持たれたのか、参加議員さんたちがゾロゾロ店舗前に集結して来ました。生憎店は休憩時間でしたが、中から関係者が何事かと外の様子をうかがっておりました。

 今回の対馬視察本隊の活動は、この日の日程を終えたところで終了となりました。私を含め一部の議員は、あと一日残り視察を続けます。
 昨年の日本会議対馬視察先遣隊の動きをきっかけに、超党派による「国境離島振興法」の制定を目指す動きがあります。この総選挙を挟んで、法制化に向けた動きを支援して参りたいと思います。
 また先月北方領土問題をテーマに、会派として根室視察を行いましたが、対馬視察と合わせ両視察の結果活用として、第三回港区議会定例会において、学校現場における領土問題教育の推進をテーマに質疑を行いたいと思います。

昨年韓国人活動家による自傷行為が行われた現場。すぐ向こうには幼稚園が在る。DSC01528.JPG
「対馬アリラン祭」のノボリ。対馬の対の字から表記が始まり、厳原港まつりの文字が抜けている。図柄が見ようによっては、対馬が韓国の一部にも見えるのだが・・・。
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対馬市厳原町の川端通りに在る韓国系飲食店「アジト」。以前は地元民が経営する薬局であったとのこと。DSC01553.JPG

<参考資料>
本日付の産経新聞報道より

【対馬が危ない!!】地方議連視察 「竹島は韓国領」絵馬も
2009年8月1日(土)8時0分配信 産経新聞

 長崎県対馬市の海上自衛隊対馬防備隊の隣接地が韓国資本により買収されている問題で、保守系議員で作る「日本会議地方議員連盟」(団長、松原成文・川崎市議)の市議や県議ら59人が31日、対馬を視察した。
 視察団のメンバーは買収されたリゾートホテルなどさまざまな地点を視察。自衛隊幹部からは、対馬が国防上果たしてきた役割などについて説明を受けた。島内の和多都美(わたづみ)神社では、ハングルで「竹島は私たちの領土」「対馬は韓国」などと書き込まれた絵馬があるのを見つけ、宮司の許可を得て取り除く一幕もあった。
 視察団は1日、一連の問題について韓国人観光客や島民から意見を聞く予定。
 同議連としては今後、外国資本の不動産取得規制や国境離島の経済支援を盛り込んだ新法制定を、国に働きかける方針だ。

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