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平成21年8月

政権交代実現へ

 第45回衆議院議員選挙の当開票が行われ、我が党は解散時の112議席から308議席に伸び、単独過半数による「政権与党」となりました。一方対する自民党は、解散時の303議席を大きく下回る119議席となり、「野党第一党」となりました。この結果、現在の選挙制度、すなわち小選挙区比例代表並立制の元で、初めて政権交代が実現することになりました。
 東京都第一区では、我が党公認の海江田万里元衆議院議員が当選し、対立候補の与謝野馨前衆議院議員は比例区で復活当選致しました。
 選挙戦で、私は海江田万里選挙対策本部の遊説局港区担当として、区内で行われる全ての遊説の企画及び運用の責任者としての任に当たりました。拡声機による大きな音で区民の皆様にはご迷惑をおかけ致しました。またポスター掲示に多くの皆様にご協力を賜りました。公職選挙法により御礼の表現が出来ないことは甚だ申し訳ございませんが、これらの皆様のご理解とご協力による勝利であると海江田万里共々申し上げたく存じます。

東京一区における選挙結果です。
当 141742 海江田万里 民 元
比 130030 与謝野馨 自 現
    19288 冨田直樹 共 新

<左>当確報道後、報道陣のインタビューに答える海江田氏。隣は順に大塚たかあき(港区選出)、栗下善行(千代田区選出)両都議、後ろはボランティアスタッフの皆さん。<右>インタビュー後、支援者の皆さんによる万歳三唱に答えた。2108303642.jpg2108303679.jpg

衆院選六日目 船街宣

2109223119.jpg 午前中船による街宣・遊説活動を行いました。宣伝車はともかく、宣伝船は馴染みが無いと言う方も多いかと思いますが、これもれっきとした選挙運動の一形態であります。
 午前8時に品川区内の桟橋を出航し、すぐに芝浦地区の運河一帯を航行致しました。同地区には運河沿いに芝浦アイランドや都営住宅のようなのような高層マンションが在る一方で、田町駅東口前の商店街にかかる新芝橋のように人通りの多い橋もあり、航行しながらの街宣活動、時折航行を止め行う遊説活動などを行うことができ、しかも車道側からでなく運河側からの連呼は人目を引き易く、効果的な選挙戦術が行える場所であります。
 先述の新芝橋付近の新芝運河上での遊説活動には、近隣住民や通行人のみならず報道陣の姿も見られ、選挙に対する関心の高さがうかがえました。


※この記事は、第45回衆議院議員選挙の公示期間及び投票終了後に作成された記事です。

衆院選五日目 民自同席

2108223973.jpg 今日は宣車が新宿入りの日ですが、夕方六本木ヒルズで盆踊りが開催され、海江田候補も午後5時30分からの開会式に出席致しました。
 相手方候補の与謝野馨財政・金融担当大臣も出席され、両候補による"呉越同舟"ならぬ"民自同席"が実現しました。上の写真が、その時撮ったものです。両候補がこれまで直接会話する機会は極めて稀で珍しい写真かもしれません。

※この記事は、第45回衆議院議員選挙の公示期間及び投票終了後に作成された記事です。

衆院選四日目 白金で徒歩遊説


2108213891.jpg 午前7時30分より、田町駅芝浦口にて駅頭活動を実施致しました。公職選挙法の規定により、8時からマイクを入れ遊説を始めました。演説は海江田候補と大塚たかあき都議が交互に行い、七戸区議とボランティア達が法廷ビラの配布を、また私は民主党マニフェストの頒布を担当致しました。

2108213893.jpg 休憩を挟んで、午前10時から2時間、白金四丁目と三丁目にて徒歩遊説を行いました。作戦名は「中原」(ちゅうげん)。中原とは現在の北京周辺の平原地帯のことで、中国史では中原を制した者が天下を征するとされてきました。中原作戦の内、白金4丁目については、党東京一区総支部港遊説部が昨年12月20日に同丁目等で徒歩遊説活動「徒風14号」で通行したルートを使用しました。
 隊列をリードする誘導担当は、白金四丁目を山本が、そして同三丁目を杉浦区議が担当、全行程歩行中の演説を行うカラスは杉浦区議、途中スポット毎の演説は海江田候補が行いました。

 午後からは、宣伝車で区内を周る車街宣となりました。各地区毎に地元選出の区議が同乗し、南麻布(山本同乗)→三田(渡辺専太郎区議)→高輪・白金(杉浦のりお区議)と順に周りました。


※この記事は、第45回衆議院議員選挙の公示期間及び投票終了後に作成された記事です。

衆院選三日目 マニフェストの頒布について

 今日も選挙戦の舞台が新宿区となっており、昨日に引き続き明日の港遊説計画の作成に当たっております。今日も選挙豆知識をご披露致しましょう。

??マニフェストの頒布について??
 選挙が公示(衆院選以外では告示)されますと、法律で認められた物を除き、候補者の氏名の入った文書、図画の配布や掲示は禁止されます(公職選挙法第143条)。また候補者自体を特定させる文言の使用も禁止されます。
 法律で許される物としては、選挙ポスター、選挙葉書、許可を得たビラ、候補者が身に付けるタスキ、選挙事務所や演説会場に掲示される看板などが在ります。一方今皆さんがご覧になっているブログの更新、不特定多数向けのメール送信などは禁止されております。
 私の選挙を例に取りますと、「山本へるみ」の文字の在るタスキは○ですが、ノボリは×、麻布小学校出身は○ですが、松下政経塾出身は×です。今の部分の後段ですが、国・自治体選挙区を含め、同一区内に麻布小学校出身者(与謝野馨前衆議院議員・水野むねひろ港区議会議員)がおられ、山本へるみが特定されないのでセーフ、一方選挙当時港区内で、松下政経塾出身者は山本へるみのみでしたのでアウトとなるのです。なんかややこしい話ですねえ。
 各政党が発行する政権公約集、いわゆるマニフェストについては、以前は文書・図画に当たるとして以前は配布等は禁止されておりましたが、一昨年の法改正により、制限付きですが頒布(はんぷ)が認められております。
 頒布とは聞き慣れない言葉ですが、相手を特定して手交する行為です。これに対して不特定多数の者に手交する行為が配布です。さらに渡すのではなくビラ等をばら撒く行為を散布と言います。配布と散布は禁止されております。マニフェストが頒布できる場所として、選挙事務所、候補者が街頭演説を行う場所(マイクで候補者の声が聞える範囲内も含む)、候補者の演説会場が認められております。
 某駅頭で、海江田候補が演説中、その声が聞える範囲内で、「マニフェストを下さ~い。」と言って近寄って来た人に渡すのはセーフ、逆にこちらから「マニフェスト受け取って下さ~い。」と言って、あらゆる通行人に渡すのはアウトとなります。これも分かり難い話であります。

※この記事は、第45回衆議院議員選挙公示期間及び投票終了後に作成された記事です。

衆院選二日目 選挙運動中の拡声機の使用について

 今日は宣伝車が新宿を周る日です。党港遊説部長としては、現場に出ることはなく、二日後に迫った候補港区入りに備え、選挙対策本部のデスクで、遊説計画を作成しております。
 港区における選挙運動に関する記事は無いのですが、こういう日ですので、皆様には選挙豆知識を紹介いたしましょう。

??選挙における拡声器の使用について??
 皆さんが選挙t聞いてイメージされる物の一つが、宣伝カーではないでしょうか。選挙が始まると皆さんの地元を、候補者の名前を連呼しながら走る車です。中には「うるさい!」と感じる人もいるでしょう。
 皆さんにはご迷惑をおかけいたしていいることは重々承知しておりますが、これも法律で認められている行為なのです。公職選挙法第141条で、拡声機の使用について定められております。それによりますと、原則として衆議院議員選挙の小選挙区、参議院議員選挙の選挙区及び自治体議員選挙では、各候補者1人につき、選挙用自動車1台又は選挙用船舶1隻及び拡声機一式の、また参議院議員選挙の比例代表区のみ選挙用自動車2台又は選挙用船舶2隻及び拡声機二そろいの使用が認められいます。但し拡声機については、個人演説会または演説の場所で、別に一式を使用することができるとされております。
 もう少し分かり易く言いますと、一人の候補者が使用できる拡声機は、参院比例区を除いて一式のみで、それを自動車や船舶に搭載して使用するのも良し、携帯型拡声機を肩から下げて歩いたり演説するのも良しですが、一回の使用につき一式しか使用できません。なお拡声機の使用時間は、午前8時から午後8時までとされております。
 今回の選挙では徒歩遊説を計画しておりますが、徒歩遊説をしている時間帯は、宣伝車による連呼等は出来ないことになります。また徒歩遊説の途中、所々で止まり、その場所で演説を行いますが、その際には個人演説会の標記の掲示が求められます。
 民主党港遊説部では、法規を遵守しながら、選挙運動を展開して参ります。

※この記事は、第45回衆議院議員選挙の公示期間及び投票終了後に作成された記事です。


衆院選公示日 海江田万里氏が立候補

 第45回衆議院議員選挙が本日告示されました。我が党は東京都第一区で、海江田万里元衆議院議員(東京一区総支部長)を公認候補として擁立致しました。
 告示期間(選挙期間)は今月の29日まで、投開票日は30日です。期間中私は、海江田選対(選挙対策本部)遊説局港区担当として、区内における全ての遊説活動の企画及び運用の指揮に当たります。
 今日は、朝立候補の届出を済ませ、午前10時に選挙事務所前で第一声を行い、その後千代田、港、新宿の順で、選挙区内の各区を宣伝車で周り、午後6時30分より、鳩山由紀夫代表と共に四谷駅前で事務所開きを行いました。

<左>海江田万里選挙事務所(四谷三丁目)前に設置された看板。<右>四ツ谷駅前で行われた事務所開きの様子。向かって右から鳩山代表、蓮舫参議院議員、上田清司埼玉県知事、海江田万里候補。
2108183730.jpg2108183812.jpg

※この記事は、第45回衆議院議員選挙公示期間及び投票終了後に作成された記事です。

公示前最後の徒歩遊説・不審車両の存在

2108163727.jpg 総選挙の公示を二日後に控え、午後から民主党東京都第一区総支部港遊説による選挙前最後の徒歩遊説を、白金六丁目で実施致しました。白金は杉浦のりお区議の担当区域ですが、所用による欠席で、私が誘導を代行致しました。この遊説中に、遊説箇所1800箇所目を達成致しました(上の写真)。

 ところで、この日の午前、不審車両に尾行される事案が起きました。この時私は、公示日(選挙初日)の港区内おけるに宣伝車走行ルートを下見するべく車を走らせておりました。六本木から走行ルートの基点となる弁慶橋に向け走行中、赤坂見附交差点に架かる国道246号線高架橋で、一定の距離を置いて尾行して来る不審車両に気が付き、車内に二人組の男の姿を確認しました。
 運転手技術はまあまあ良い勘をしているようでしたが、尾行技術は、あまり上手とは思えず、もしかしたら、その存在を敢えてこちらに分からせたかったのかも知れません。結局この不審車両を"付き従え"ながら港区を一周し、最後に新宿区との境界線付近、国学院高等学校正門前でUターンし、手を振ってあげたところ、そこで尾行は終了致しました。

不審車両である青のセダン。246号線を赤坂方面から渋谷方面へ走行中、当方が急停車したため止まれ切れず当方の前方に出てしまった(表参道交差点付近にて)。DSC02657.JPG

終戦の日 靖国神社参拝

2108160351.jpg 先の大戦で亡くなられた戦没者の方々、そして交戦国兵士諸君に対し、心より哀悼の意を表します。

 今日8月15日は、大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦日です。私自身の印象としては敗戦の日ですが、世間一般では終戦の日と呼ばれておりますので、この呼称に倣いたいと思います。
 靖国について、区民の方々からも様々ご意見を頂いたことも有りますので、この機会に私の考え方を明らかに致したいと思います。私は昭和60年(1985年)、当時18歳でしたが、当時からほぼ毎年8月15日には、靖国神社に参拝して参りました。今後もこれまで同様、公職に在る無しに関わらず、この姿勢を堅持して参ります。現在の日本の平和と繁栄は、かって国を守るために戦った英霊の皆さん、戦没者の皆さんのお陰だと思います。その皆さんが祀られている場所に参拝することに、何らの政治的配慮も必要ありません。増してやその形態が、公式か非公式かという議論自体不毛です。
 そもそも参拝の形に、公式も非公式も在りません。一般的に行われているように、拝殿の前で賽銭を投げ手を合わせるのも参拝、後ほど書きますが、本殿に上がり古式に乗って行う(これを昇殿参拝と言いますが)のも参拝です。
 昨年に引き続き、超党派の日本会議地方議員連盟の一員として、昇殿参拝を行いました。今年の参加者は50名で、昇殿参拝には自民党や保守系無所属のみならず、年々民主党議員の参加も増えています。先日の都議選で躍進した都議会民主党からは5名が参加しました。因みに港区議会からは、私の他、水野むねひろ自民党区議が参加致しました。
 昇殿参拝までの流れは以下のとおりです。参拝者は、まず参集殿という建物に集まります。ここには個人や団体で昇殿参拝する方々のための受付や控室があります。参集殿を出て水舎手を洗います。このあたりは一般の参拝と同じです。そして拝殿に向かい、ここでお祓いを受けます。この拝殿の外では、一般参拝客がお賽銭を投げお参りをしております。お祓いの後、拝殿から回廊を通り本殿に入ります。本殿は神霊が祀られており、ここで一同二例、二拍手、一礼の作法に則り参拝を行います。そして黙祷。参拝を終えると、反対側の回廊を渡り、回廊の途中でお神酒を賜り、本殿に向いて飲み、再び参集殿に向かいます。よくテレビで、超党派の国会議員の集まりである「みんなで靖国を参拝する会」の議員達が歩く姿が映りますが、この最後の回廊を歩く姿かと思います。
 参拝を前に神社関係者より、「英霊達は皆さんのことを、実はよく見ています。靖国をないがしろにする政治家には何らの力を与えませんが、国を守ろうとする政治家達には力を与えるでしょう。」という趣旨の発言が心に残りました。

靖国神社URL http://www.yasukuni.or.jp/

麻薬をめぐる一連の報道について

 ここのところ、有名芸能人による麻薬の使用・所持で逮捕されたとのニュースが相次いでおります。
 俳優の押尾学容疑者は、合成麻薬MDMAを飲んだとして、麻薬取締法違反(使用)の罪で、女優の酒井法子(本名・高相法子)容疑者は、を覚せい剤取締法違反(所持)の罪で、それぞれ逮捕されました。被疑者が共に有名人ということもあり、社会に大きな反響を与えました。しかも押尾容疑者の事件では、事件現場が六本木ヒルズのレジデンス(住宅棟)の一室であったこと、また酒井容疑者の事件では、同じく逮捕された夫の高相祐一容疑者共々港区民であり、子供を持つ保護者でもあります。
 私もかっての"のりピー"世代の一人としては驚きと残念さを隠せませんが、区議会議員として、これまで薬物一掃を呼び掛けてきた一員として、彼らの起こした反社会的行為を到底容認することはできません。
 民主党港区支部は、麻薬対策を初め地域の治安対策に取り組んで参りました。昨年港区議では、我が会派から麻薬対策を巡る啓発等、区の取り組みについて代表質問を行いました。
 昨年11月27日に行われた平成20年第四回定例会本会議における代表質問での質疑について、議事録を転載致します。

◯二十一番 樋渡紀和子君
 (中略) 
 次に、麻薬取引及び所持に関する啓発活動についてです。
 厚生労働省の麻薬取締部は、ことし七月、港区の路上にて、薬物密売グループのリーダーでイラン人のザルバリ被告を覚せい剤取締法違反容疑などで逮捕しました。港区のマンションやアパートで、覚せい剤約二十グラム、コカイン約四十二グラムなどを販売目的で所持していた疑いです。同被告は、仲間のイラン人四人と共謀し、区内の白金や高輪、麻布などの高級住宅街で薬物を密売していました。一日平均七十人、延べ二万人の主婦や会社員に密売し、月に二千万円の売り上げがあったとのことです。同麻薬取締部関係者によれば、今は密売組織が固定客を把握しており、六本木等の繁華街の路上で立ち売りせず、閑静な住宅街のほうが安心して密売ができるということです。
 最近、有名大学の現役学生や葛飾区職員が大麻取締法違反容疑で逮捕されるなど、麻薬取引に関する報道が相次いでおります。住宅街を舞台とした薬物汚染の事態は、まさに憂慮すべきです。区としても関係機関と連携し、麻薬の所持や取引の危険性について、区民に対する啓発などの対応が求められますが、区長のお考えをお聞かせ願います。
 以上で質問を終わります。

◯区長 武井雅昭君
 (中略)
 最後に、麻薬取引及び所持に対する啓発活動についてのお尋ねです。
 区では、学校において警視庁の協力により、特に健康への影響が大きい子どもたちに対して、薬物に関する知識の普及など、乱用防止に対する啓発に努めております。また、東京都薬物乱用防止推進港区協議会の活動を支援し、薬物の危険性に関する啓発活動も行っております。しかしながら、区内の住宅街で麻薬取引が行われるなど、主婦や大学生等一般の人への麻薬汚染が広がっていることから、その防止対策や普及啓発の強化の必要性が高まっております。今後は、関係機関との連携をより一層深め、青色回転灯装備車両によるパトロール活動を充実するとともに、安全安心メールの配信やホームページ等、さまざまな媒体を活用して、麻薬の恐ろしさや、麻薬所持及び取引の危険性についての啓発活動等を進めてまいります。
 よろしくご理解のほどお願いいたします。

災害警戒広報活動

 台風9号の接近に備え、麻布台・麻布狸穴町・東麻布・麻布永坂町を歩きながら、災害警戒広報活動を行いました。
 広報内容は、台風9号は本日午前四国沖を北上していること、今夜から明日朝にかけ四国から東北地方への広い範囲で激しい雨が予想されること、台風の中心気圧は992ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は20メートル、明朝午前6時までの24時間雨量は200ミリと予想されること、一時雨が止んでも台風の接近に伴い激しい風雨が在り得ることでありました。
 災害警戒広報活動は、議員になる以前より、自主的に行って来た活動で、台風や豪雨が予想される際、区内を巡回しながら広報活動を行って来ました。

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8月9日について

 長崎に投下された原子爆弾により亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。

 毎年私は、この日になると二つの歴史的事実について考えさせられます。一つは冒頭にもございますとおり、長崎に原子爆弾が投下されたことであります。広島同様民間人が多数居住する都市に、それまで使用してこなかった大量殺戮兵器である原爆を、アメリカ軍が投下したのであります。
 当時アメリカは、リメンバーパールハーバーと謳い、対日参戦への国民意識の高揚に利用しました。確かに日本も真珠湾を奇襲攻撃したではないかという考え方もありますが、真珠湾は軍事施設であります。元来攻撃を受ける可能性のある場所であり、そこに勤める軍人、軍属、偶然居合わせた民間人に至るまで、被害を受ける可能性が在ったわけです。
 これに対して、広島も長崎も都市であります。国際法上、保護が義務付けられている非戦闘員、民間人が多数居住している地域です。戦後反戦左翼は、広島も長崎も軍都であったから爆撃の目標とされたと主張していますが、ならば軍事施設のみを破壊すれば良かった訳で、初めから新兵器である原子爆弾をしようしたかったアメリカの思惑が見て取れます。

 原爆投下については、多くの国民の皆さんがご存知のことと思いますので、これ以上触れませんが、私はもう一つ忘れてはならない歴史的事実に言及したいと思います。それはソ連による日ソ中立条約の一方的破棄と対日参戦であります。
 日ソ中立条約。正式名称は、大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約、日本側条約番号は昭和16年条約第6号、昭和16年(1941年)4月13日モスクワで締結され、同月25日に発効した条約です。内容は日ソ相互不可侵、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などが定められました。
 大戦末期、昭和20年9日午前零時をもって、ソ連は突然条約を破棄を宣言し、当時の満州、そして南樺太及び千島列島への侵攻を開始致しました。宣戦布告が前日の午後11時、この時既に在ロシア日本大使館の通信手段が切断され、宣戦布告の一方が本国に打電できない状態でした。この後のソ連軍侵攻の経過については、先月16日のブログにも記載致しましたのでご参照願います。占領地でソ連軍は日本兵捕虜に対し、国際法に違反するシベリア抑留を強制し、また多くの日本女性を暴行しました。樺太では、真岡郵便局に勤務していた女性の電話交換手がソ連軍の侵攻を受けながらも必死の交換業務を続け、ソ連兵が間近に迫ったところで自決、後年真岡郵便電信局事件と呼ばれる悲劇も起きました。
 これらの出来事について、敗戦国となった我が国で、公に語られることは少なかったかと思いますが、戦後64年が経過し、ようやく歴史に光が当てられつつあると思います。8月9日は、北方領土問題そしてシベリア抑留などの悲劇の原因となった日でもあるのです。

長島昭久後援会事務所開き

 民主党東京都第二十一区総支部長、長島昭久前衆議院議員の後援会事務所開きが、立川で開催されました。東京二十一区のエリアは、立川市、日野市、昭島市です。
 長島氏と知り合ったのは、今から22年前の春頃かと記憶しております。当時私は明治大学の2年生が終わる頃で、大学の雄弁部に所属する一方、自由民主党の学生組織立ち上げに奔走しておりました。長島氏は慶応大学院の博士課程に通われ、同じく政治を志す別の学生組織の結成に動いておりました。
 長島氏らが立ち上げた団体が「東京円卓クラブ」で、初代の副会長には近藤洋介現民主党山形県第二区総支部長(前衆議院議員)が就任しておりました。私は会員として、長島氏が部会長を務めていた外交防衛部会に属しておりました。
 この部会では日米安保体制や集団的自衛権などをテーマに議論が行われておりましたが、当時の学生層の主流は経済や福祉への関心であり、軍事的なことをイメージするからか、安全保障を真摯に考えることに対する誤解や偏見も数多くありました。それでも我々はパワーバランスという世界の現実から眼を背けるべきではないと考えておりました。
 この会で議論した内容は、今正に国会における安保討議における重要なテーマとなっており、手前ミソを覚悟して言えば、我々は少し時代の先を走っていたのかもしれません。長島氏は、その後米国への留学、そしてシンクタンクへの勤務を通じて、世界中に人脈を開拓することに成功しました。このような人物こそ、我が国の安全保障政策の中枢に必要なのではないかと思います。その日が到来することを、友人として期待しております。

支持者を前に国政への決意を訴える長島氏。集会の後街宣車に乗り遊説に向かいました。
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東京一区徒歩遊説1700回達成

 民主党東京都第一区総支部が、昨秋より実施してきた徒歩遊説で、当初目標にしてきた1700ヶ所目を、本日白金台二丁目内にて達成致しました。
 徒歩遊説は、海江田万里総支部長を中心に同支部所属議員団らが、我が党の政策について広報すること、また国民・区民よりのご要望を聴き回ることを目的に、東京第一区内を歩きながら遊説や街宣を行っているオペレーションです。
 港区では、昨年11月6日、麻布台・東麻布ルートを皮切りに、名称を徒風(かちかぜ)として随時実施して参りました。当初は目標は目標として、今後も党東京一区遊説局では、国民目線を大事に徒歩遊説を継続して参ります。

1700ヶ所目での記念撮影。左から杉浦のりお港区議、海江田万里総支部長、山本。DSC02019.JPG

原爆症認定について

 広島に投下された原子爆弾により亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。

 原爆投下の日からから64年後の本日、麻生総理と原爆症認定訴訟原告団との間で、訴訟終結に関する基本方針確認書への署名が行われました。
 同書によれば、一審で勝訴した原告は、その後の最高裁判決を待たずに政府が原爆症と認定すること、また敗訴した原告には議員立法により新たに基金を創設し手当てすることとなっております。
 率直に言えば、現行法の枠を超えた高度な政治判断であり、大きな前進であったと評価したいと思います。昨年港区議会で、原爆症認定基準の見直しを国に求める意見書の採択について議論が行われ、私は意見書採択を希望していたのですが、残念ながら全会一致に至らず採択は見送られました。
 前述のとおり、今回の合意署名は評価しますが、国と原告団は訴訟を取り下げることとなり、敗訴した原告には、基金による手当てがなされるとは言え、原爆症の認定は行われないことになります。原告団の皆さんの心情も複雑ではないかと思います。国は認定基準を変えないまま、その穴を議員立法で埋める形になります。国会は立法活動を行う場ですから、当たり前といえばそのとおりなのですが、それならもっと前に行うべきであったと思います。
 現在の認定基準では、被爆当時、爆心地から半径3.5キロメートルに居たことが基準となっています。中学校で習った人も多いと思いますが、井伏鱒二の小説「黒い雨」。強い放射能を含んだ黒い雨を、爆心地から半径十数キロ地点で浴び、その後原爆症を発症した人でも、認定はされていないのが実情です。

 この問題に限らず、今の日本には、実情と合っていない行政基準、制度、法律が数多く有ります。政権交代は手段であると以前書きましたが、これらの現状を直していく事こそ我が党に課せられた使命ではないかと思います。

 

西麻布三丁目で徒歩遊説 事務所開き

 民主党東京都第一区総支部は、本日午後、西麻布三丁目で徒歩による遊説を行いました。弁士は大塚たかあき都議会議員と海江田万里総支部長、誘導担当議員は杉浦のりお区議でした。 また夕方からは同支部の事務所開きを行いました。

西麻布三丁目における遊説の様子。左から杉浦のりお港区議、大塚たかあき都議、海江田万里党第一区総支部長。0908060302:20090806121939[1].jpg
政権交代への決意を訴える海江田万里総支部長(左)。事務所開きの最後に栗下善行都議(千代田区選出)の音頭でガンバローコールを行った(右)。0908060304:20090806121939[2].jpg0908060306:20090806121939[1].jpg

印刷組合納涼祭

 東京都印刷工業組合港支部(小島猛支部長)主催の納涼祭に出席して参りました。議員関係では、都議会から大塚たかあき議員(民主)、代理出席できたしろ勝彦議員(自民)、区議会からは菅野弘一議員(自民)、それに山本が出席致しました。
 納涼祭に先立ち、加盟企業に永年勤続10年の従業員の皆さんに対する表彰式も行われました。おめでとうございます。
 宴会中ご氏名を受け演壇よりご挨拶を申し上げました。

 民主党港区議会議員の、山本へるみです。東京都印刷工業組合港支部の皆様、本日はご盛会誠におめでとうございます。また永年勤続表彰を受けられた従業員の皆様にもお祝い申し上げます。
 いろいろと厳しい情勢が続いておりますが、私は皆様と力を合わせることで、必ずやこの難局を乗り越えられるものと信じております。
 私事で恐縮ですが、先の区議会定例会で異動となり、この度総務常任委員会副委員長を拝命致しました。所掌事務の中には、区との契約関連も含まれております。何か皆様のお仕事で、お困り事などがございましたら、何なりとご相談下さい。
 来月16日からは、次の定例会が開催されます。印刷に携わる皆様の声を、区政に反映して参りますので、ご意見やご相談をお気軽にお寄せ下さい。
 本日はおめでとうございます。

<対馬危機>白嶽でゴミ拾い登山

 対馬視察本隊と別れ、松浦芳子杉並区議、にへい文隆中央区議、三野由美子藤沢市議らと、さらに一泊致しました。一行は昨晩、作元義文対馬市議会議長のご自宅に泊まりました。ご自宅は網元で、また民宿も経営されており、団体の宿泊も可能です。
 朝6時に起床し、作元家や近所の子供達に交じってラジオ体操を行いました。その後、議長の計らいで、漁船に乗せてもらい、朝の漁に出掛けました。漁船に乗るのは初めてです。漁は定置網式で、鯛、イカ、タコ、岩魚などが釣れました。

 昼頃、対馬で一番高い山である白嶽に登りました。当初私は登山の予定は無かったのですが、山中で韓国人登山客がゴミを捨てているとの情報が事前に在り、三野市議が現状視察のため単独でも登る意思を固めておりました。最近北海道で山の事故が起きており、私ともう一人男性スタッフも、ゴミ拾いのため同行することになりました。
 この山に関する事前の知識が無かったことに一抹の不安を覚えながらも、標高519メートルなのでハイキングの延長線上で考えながら登りました。途中まで順調でしたが、最後でやはり試練の場となりました。登山というより、ロッククライミングの様な状況で、山頂手前で登頂を諦めかけましたが、"ゴミ捨て御免"の登山客に負ける前に自分に負けたくない、ついでに港区議会議員としての意地も重なり、無理やり断崖に這いつくばって、登頂を果たしました。登山というより修験道者の修行のようなものでした。
 山全体が神の聖域であるにも関わらず、山頂でも山腹でも、韓国人登山客の大声や騒ぎぶりが耳につきましたが、これはむしろ日本側が、立て看板を設置して啓発するなどの対応が必要でしょうし、こういう場所こそハングルの案内板が必要だと思いました。

 下山後、厳原港まつりの本祭会場に向かい、朝鮮通信使に扮した行列などを見学致しました。お世話になった作元議長が、当時の対馬藩の儒学者、雨森芳洲(あまのもり ほうしゅう)の役で登場されました。会場では、一年ぶりに財部能成(たからべ・やすなり)対馬市長にも再会致しました。

 夕刻の便で対馬を後にし、福岡経由で帰京致しました。

          早朝漁に出る漁船上で作元義文対馬市議会議長(右)と私。DSC01597.JPG
白嶽山中に捨てられていたハングル表記のペットボトル(左)と免税店用の商品券(右)。DSC01654.JPGDSC01655.JPG
                    白嶽山頂での一コマ。DSC01658.JPG
                  朝鮮通信使に扮した行列の様子。DSC01669.JPG
左から、財部能成対馬市長、松浦芳子杉並区議会議員、三野由美子藤沢市議会議員、私、にへい文隆中央区議会議員、作元義文対馬市議会議長。DSC01703.JPG

<対馬危機>対馬市内を視察

 対馬視察の二日目です。午前中に八幡宮、元寇古戦場跡を視察した後、対馬市中心部(旧厳原町内)とアリラン祭会場を視察致しました。

 対馬市交流センターは、市内でも主要なショッピングセンターであります。因みに同センター内にテナントを構える人物こそ、韓国との迎合路線を推進するアリラン派の中心人物で、最近まで商工会の幹部を務めておりましたが、今年退任しました。
 センター内の売り場は、相変わらず韓国人を意識してか、案内板が日本語よりハングルを上に表記している状態です。

 厳原港ターミナルには、韓国人観光客が釜山発のフェリーで来港していました。それとなく話しかけてみると、韓国で対馬は韓国領との主張が叫ばれていることについては、「自分はそうは思わない。」と答える人が多く安堵しましたが、一方「(韓国領との意見に)肯定的に考えている。」と答える人もいました。昨年韓国人活動家が上陸したり、韓国政界でも対馬韓国領決議がなされたりしましたが、個々人が良識的でも、国の政策などで翻弄される、かの国の国民の悲哀さを感じました。

 「アリラン祭」は、元々「厳原港まつり」という名称でした。それが20年前に、長崎県から祭りの運営に補助金を出す代わりに、もう少しインパクトのある内容にしてほしいとの打診が在り、アリラン祭という名称に変わりました。当時は安易に「国際化」という言葉が乱用され、また隣の国とは仲良くした方が良いとの考えも在ってのことだと思います。
 さすがにその後、地元でも名称を問題視する動きが起こり、現在は「厳原港まつり 対馬アリラン祭」という名称になっております。
 この日は前夜祭で、明日が本祭ということでした。

 祭り会場を後に、旧厳原町の川端通りに向かいました。ここは市内で最も大きな商店街です。  昨年来た時は至る所ハングルの看板ばかりでしたが、今年は打って変って減少し、さらには空き地になっている場所も在りました。ここでも韓国不景気の影響を感じます。
 それでも昨年、その名前からして話題となった韓国料理飲食店「アジト」は健在でした。どういうわけか、そのネーミングに関心を持たれたのか、参加議員さんたちがゾロゾロ店舗前に集結して来ました。生憎店は休憩時間でしたが、中から関係者が何事かと外の様子をうかがっておりました。

 今回の対馬視察本隊の活動は、この日の日程を終えたところで終了となりました。私を含め一部の議員は、あと一日残り視察を続けます。
 昨年の日本会議対馬視察先遣隊の動きをきっかけに、超党派による「国境離島振興法」の制定を目指す動きがあります。この総選挙を挟んで、法制化に向けた動きを支援して参りたいと思います。
 また先月北方領土問題をテーマに、会派として根室視察を行いましたが、対馬視察と合わせ両視察の結果活用として、第三回港区議会定例会において、学校現場における領土問題教育の推進をテーマに質疑を行いたいと思います。

昨年韓国人活動家による自傷行為が行われた現場。すぐ向こうには幼稚園が在る。DSC01528.JPG
「対馬アリラン祭」のノボリ。対馬の対の字から表記が始まり、厳原港まつりの文字が抜けている。図柄が見ようによっては、対馬が韓国の一部にも見えるのだが・・・。
DSC01534.JPG
対馬市厳原町の川端通りに在る韓国系飲食店「アジト」。以前は地元民が経営する薬局であったとのこと。DSC01553.JPG

<参考資料>
本日付の産経新聞報道より

【対馬が危ない!!】地方議連視察 「竹島は韓国領」絵馬も
2009年8月1日(土)8時0分配信 産経新聞

 長崎県対馬市の海上自衛隊対馬防備隊の隣接地が韓国資本により買収されている問題で、保守系議員で作る「日本会議地方議員連盟」(団長、松原成文・川崎市議)の市議や県議ら59人が31日、対馬を視察した。
 視察団のメンバーは買収されたリゾートホテルなどさまざまな地点を視察。自衛隊幹部からは、対馬が国防上果たしてきた役割などについて説明を受けた。島内の和多都美(わたづみ)神社では、ハングルで「竹島は私たちの領土」「対馬は韓国」などと書き込まれた絵馬があるのを見つけ、宮司の許可を得て取り除く一幕もあった。
 視察団は1日、一連の問題について韓国人観光客や島民から意見を聞く予定。
 同議連としては今後、外国資本の不動産取得規制や国境離島の経済支援を盛り込んだ新法制定を、国に働きかける方針だ。

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