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安全安心活動

【六パト】六本木七丁目方面を巡回

 六本木安全安心パトロール隊の活動に参加し、六本木七丁目方面をパトロールしました。

030856_P1030856.jpg ミッドタウンから外苑東通りを挟んで、反対側の歩道上にある放置自転車に、警告書を貼るパトロール隊員。
030860_P1030860.jpg 同じく歩道上にある迷惑投棄ゴミ(時間外・公道上に放置されたゴミ)を、出した当事者の敷地内に戻す隊員。
030878_P1030878.jpg 電線が外れて垂れ下がっている(道路標識右下の円形に見える線の部分)。

田町駅芝浦口/災害警戒広報活動

020933_P1020933.jpg 本日朝、田町駅芝浦口にて挨拶活動を行いました。

 午前11時15分より行政からの議案説明を受けました。その内容を報告する予定でしたが、台風9号が関東地方に接近するおそれが出てきたため、急遽災害警戒広報活動を区内で実施致しました。
 このオペレーションは、台風などの災害発生の恐れが顕在化した際に、山本自らトランジスタメガフォンを持ち、区内を歩きながら広報活動を行うものです。
 今回の巡回経路は、麻布台3丁目→東麻布(1・2・3丁目)→麻布十番(1・2・3丁目)→六本木(5・6・7・4・3丁目)→麻布台3丁目でした(右下写真 六本木ヒルズ前にて)。
020952_P1020952.jpg   以下は実際の広報内容です。
 「こちらは地元の港区議会議員の山本へるみです。只今災害警戒広報活動を実施しております。
 台風9号が本日午前北陸地方に上陸し、その後東海地方、関東地方に進む恐れがあります。この台風の中心気圧は1004ヘクトパスカル、最大瞬間風速は25メートル、今夜遅くにかけ1時間当たりの雨の量は30ミリから50ミリ、所によっては80ミリに達する恐れがあります。
 〇〇(地区名)の皆さんには、今後の気象情報に十分注意されますよう、またこれからも雨、風が強くなる恐れもありますので、ご自宅やお店、事業所の戸締り、さらに不要な外出は控えられ、止むを得ず外出する場合には、雨水や落ち葉で路上が滑りやすくなっておりますので、それおぞれ十分気を付けられますよう、よろしくお願いします。」

020942_P1020942.jpg 麻布十番商店街の入口に当たる一の橋交差点では、道路が雨水で冠水した後でしたが、東京電力の配電盤の上にある道路上の蓋に水が流れ込み、その際に流れ着いた落ち葉が溜まっていました(左写真)。

020970_P1020970.jpg 六本木六丁目及び7丁目の路地では、排水溝口に流れ切れなかった落ち葉がたまっておりました。
 さらに同4丁目にある三河台公園では、盛り土の一部が崩れている現場を確認しました(左写真)。

麻布小で防災訓練

020804_P1020804.jpg 麻布小地区防災協議会による防災訓練が、母校麻布小学校で開催されました。港区では施策として、各小学校校区毎に防災協議会を設置しており、各校区内の町会・自治会・商店会などが参加しております。同協議会の事務局を担当している私ですが、同時に麻布小校区を管轄する麻布消防団第三分団部長としても地域防災活動に関わっており、例年双方を兼務して参加しております。
 訓練では、まず全校児童が校庭に集まり、校長先生や防災協議会長より訓練の説明を受けます。そして「引き渡し訓練」として、学校側から保護者へ児童に引き渡しが行われました。その後親子で、消火器による初期消火、可搬式D級ポンプによる放水訓練、日赤奉仕団による三角巾訓練、麻布消防署によるAED訓練、炊き出し訓練、119番通報や171番活用訓練などの各コーナーに、それぞれ参加しました。
 写真は、D級ポンプによる放水の様子ですが、訓練本番ではAEDを担当しました。

ヒルズ盆踊り・港南花火大会・麻布十番まつり消防警戒

020201_P1020201.jpg 六本木ヒルズ盆踊り2010が、昨21日夕刻、六本木ヒルズアリーナで開催されました(左写真)。ここは今年5月30日に日本創新党キックオフ大会が行われた場所です。
 開会式では、原保六本木ヒルズ自治会会長による開会の挨拶、国会議員、都議会議員、区議会議員が順に紹介され、六本木の婦人会の皆さんの踊りが、会場に花を添えました。

020301_P1020301.jpg 夜7時30分から港南花火大会が開催されました(右写真)。この花火大会は、区立港南中学に通う生徒さんが実行委員長となり、学校、地元町会、行政の各メンバーが中心となって開かれました。
 中学校から区道を挟んで会場となった港南和楽公園には、即席の観客席が作られたり、ビニールシートが敷かれ、周辺の住民の皆さんや関係者が集まりました。花火は公園と区道を挟んだ場所にある港南中学のグランドから打ち上げられました。高層住宅の間を打ち上げられて行く花火の光景は、現代生活と伝統が共存しているようでした。

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 今月20日から麻布十番納涼まつりが開催されていましたが、今日22日、麻布十番消防団員として現場の特別警戒任務に当たりました(左上写真)。
 子供の頃からよく行ったことのあるお祭りですが、当時は(麻布十番の)縁日と呼んでいたことを覚えております。25年程前から徐々にマスコミに取り上げられるようになり、また付近にある大使館関係者の出店も行われるなど国際色も豊かになってきました。そして最近ではネットの発達も手伝い、来場者はウナギ登りで、混雑時には道路を歩けない程となります(右上写真)。

六本木パトロール ピンクチラシ復活に警戒!

000746-P1010746.jpg 六本木安全安心パトロール隊の活動に参加しました。写真は六本木交差点近く、ラーメン店「幸楽苑」前に在る地図板ですが、ピンクチラシが貼られております。10年前全盛期であったピンクチラシでしたが、その後条例改正や関係機関による取り締まり強化により、ほぼ全滅したはずでした。しかし最近、数は少ないものの、再び復活してきた様子で、警戒と対処が必要かと思いました。

渋谷センター街で街頭落書き現場視察


 住民、事業者、行政による麻布地区の生活安全と環境を考える協議会(皆川昌博会長)の環境美化分科会(山本閉留巳分科会長)が、渋谷センター街における街頭落書き現場を視察しました。
000486:DSC08799.jpg 当初は、4月28日が語呂合わせで「しぶやの日」とされ、渋谷駅周辺の商店街、事業所、それに行政が一体となって、渋谷駅前ハチ公広場を中心に一斉清掃活動を行う予定で参加したのですが、雨天のため清掃活動は中止となり、セレモニーのみが開催されました。式典では各参加者グループの名称が記されたプレートが掲げられました(左写真)。
 結局曇天となり、セレモニーのみで帰るのはもったいないと思っていたところ、偶然渋谷センター街パトロール隊の皆さんと会場で会い、急遽同隊ご案内による街頭落書き現場視察を行うことになりました。
000487:DSC08817.jpg 渋谷センター街は、表通りは人通りが多いのですが、裏は昼間でも人気が無く、夜間は落書きの標的にされやすい状況です(右写真)。まさに都会の死角でしょうか。
 街頭落書きの防止は、一度書かれたらすぐ消すことです。放置しておくと次々と被害を続出させることになります。今回の視察を、今後の港区内における該当落書き対策に活かしたいと思います。


災害ボランティア養成講座

000231.jpg 16日と23日の両日、港区社会福祉会館で開催されている、みなとボランティアセンター主催による災害ボランティア養成講座に参加しました。
 この講座の内容が極めてユニークであります。
 まず30名前後の参加者が、4つのグループに分かれることになったのですが、あらかじめ班分けがされているわけではありません。全員廊下に出て、ナントその場で各自決めることになりました。私は近くに立っていた同じ苗字の山本さんに声をかけ、さらに近く立っている参加者に声をかけて、メンバーを募りました。そして班編成の出来たチームから、順に講座室に入って行き、私の班は2番目の入室となりました。
 この動きの意図するところは、黙って待っていても状況は変わらない、率先して動き、声を掛け合う者が生き残っていくという考えに基づくものです。
 次に与えられた課題が、「いさという時にボランティアに参加できない理由」「港区はどんな被害になるのか」「港区で求められているボランティアとは」の3テーマを、限られた時間内に各班で話し合い、模造紙に書き出すという作業です。
私の班では、仕事柄か私が議事進行役兼書記となり、メンバーの皆さんが次々と意見を発表して行きました。その内、女性メンバーの一人が、自らそれらの意見を模造紙に書き出すなど自然と役割分担が実践されていきました。
 そして各班代表者による発表会が行われましたが、他の班は黒一色で模造紙に書き出されていたのに対し、私の居た2班のは、項目毎に色分けされている点が評価されました(写真)。このようなアイデアや機転もボランティアには必要な能力かと思いました。


麻布小防災協議会で図上演習

000294:DSC08131.jpg 麻布小地区防災協議会による震災時図上演習に参加して参りました。
 同協議会は麻布小学校の校区を管轄する地域協議会で、町会、商店会、在勤事業者、PTA、学校、区役所・警察・消防などの行政機関により構成されております。4年ほど前より、地区内の危険箇所に関する実地視察を行い、また2年前からは震災避難所運営マニュアルの作成に当たってきました。
 昨年度マニュアルが完成したことを受け、今回図上演習という形で、その実効性について点検することになりました。演習では、名簿班や情報班など実際に避難所が設置された場合に活動するチーム毎に分かれることになり、私は「食料・物資班」に入りました。
 演習では、実施上考慮すべき事項、食料・物資が不足している場合の配給基準、在宅被災者への食料配分方法について討議を行い、問題点やその対処法について模造紙に書き出しました。またその結果について、全体会議の場で各班毎に発表も行われました(写真)。
 今回の演習では、様々なアイテムが、各班の仕事の領域を超える形で発生することが判り、改めて会議を開き、これらの問題を整理していくための試みを進めたいと思います。

港区薬物乱用防止キャンペーン

21J議283-6664.jpg 東京都薬物乱用防止推進港区協議会、港区、警視庁麻布警察署、同赤坂警察署共催による港区薬物乱用防止キャンペーンが開催され、主催団体関係者や六本木や赤坂地区の町会関係者などが参加しました。私は港区議会議員として招かれましたが、六本木安全安心パトロール隊員でもありますので、同隊の制服を着て参加致しました。

 初めに集会が開催され、各主催団体代表者・担当者による挨拶や報告が行われました。また現役の麻薬探知犬が、薬物の匂いの付いたカバンを嗅ぎ分ける演技も実演され、会場の参加者の注目を集めていました。21J議283-6690.jpg

 集会に続き、外苑東通りでパレードが行われました。パレードは、ロアビル前を起点にし、六本木交差点を通り、檜町公園を終点とし、先頭を警視庁音楽隊と同庁鼓隊それにカラーガードが先導し、参加者がそれに続き、「薬物乱用防止運動 ダメ、セッタイ。」と書かれた札をかざしながら行進しました。

<関連URL>
○東京都薬物乱用防止推進協議会
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kenkou/kenkou_anzen/stop/kyogikai/index.html
○警視庁音楽隊
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/sikumi/ongaku/ongaku.htm

阪神淡路大震災から15年

 阪神淡路大震災で亡くなられた皆様、またハイチの大地震で亡くなられた皆様に心より哀悼の意を表します。

 今日で、あの震災から15年が経過しました。当時私は、国際救援組織である日本国際救援行動委員会のスタッフとして、佐々淳行理事長(元内閣安全保障室長)の指揮の元、アメリカからの対日援助物資の受け取りと神戸への搬送のために、関西国際空港で活動を進めておりました。当初は、海上自衛隊の艦船を使用して、関空から神戸港に運ぶ予定でしたが、港湾労組の反対により、海上保安庁のヘリコプターと巡視艇に積み替えて搬出しました。

 その後仲間達と神戸市内に移動し、阪急西ノ宮北口駅で一旦単独で別れ、親族の捜索に当たりました。母が神戸の出身であることから親戚の多くが被災地に住んでおりました。避難所に逃げていた親戚一同の無事を確認した後、仲間たちが先行して活動していた神戸市立本山南小学校避難所に合流しました。この時JR神戸線が西ノ宮駅まで部分開通しており、そこから国道2号線を歩いて西ノ宮、芦屋、そして神戸市東灘区と進み、同避難所にに入りました。辺り一面倒壊した建物ばかりで、それらが歩道にせり出し、やむなく車道を歩きましたが、真横を自衛隊や警察、消防などの緊急車両が走り、上空には数多くのヘリが飛んでいたことを覚えております。
 同避難所にはおよそ1500人ぐらいだったかと記憶しておりますが、被災者の皆さんが収容され、全国から集まったボランティアが毎日30名ほど活動しておりました。混乱が増大する中、誰かがリーダーシップを執らなければならなくなり、どういうわけかその役を私が担うことになりました。
 避難所本部を組織化し、本部長に住民代表者、その下に私が事務局長に就きました。そしてその元に、援助物資などモノを担当する「物資部」、被災者などヒトを担当する「住民部」、そして避難所自体の運営やボランティア自体の管理を担当する「企画総務部」を設置し、それぞれ部長を任命しました。各部には、毛布係長、食品係長、名簿係長、よろず相談係長、総務係長などを置き、それらの係長に現場の指揮権を委ねる事業部制を敷きました。各係は原則係長一人ですが、例えば大量の食料が運び入れられる時には、他の係長やスタッフが全員食料係長の指揮下に入り行動するなどのプロジェクトチームの要素を取り入れました。

 震災の環境下では様々なことが起きました。ある瞬間突然住民が一箇所に集められ、不自由な生活を強いられる、トラブルが起きないはずがありません。体育館の床に敷く畳一枚の取り合いをめぐり高齢者同士が喧嘩を始めるケースもありました。動物愛護法の無い当時において、ペットの受け入れについて様々な意見がありました。避難所が学校ということもあり、学校機能の復旧と避難所機能の充実化の板ばさみになり、ノイローゼを起こしそうになった教職員もいました。活動のあり方をめぐりボランティア同士がぶつかったり、応援に来た神戸市職員が非難の的になったこともありました。「現下の状況は、我々の能力を超えた所にあります。」と素直に話して下さった自衛隊指揮官の言葉に、現実の困難さを再認識したこともありました。

 今思えば、住民、ボランティア、学校、警察・消防・自治体などの行政そして、自衛隊などの皆さんが協力し合い、震災直後の"無政府状態"をよく耐えたと思います。本当に皆さんは、すばらしい方々でした。
 その中で自分自身はどうであったのかと思うことがあります。自分にはそれまで絶対に起こり得ないと思っていたPTSD(心的外傷後ストレス症候群)を、軽いレベルであったかと思いますが、初めて感じました。震災から8ヵ月後、港区の防災訓練に麻布消防団員として参加致しましたが、作り物と分かっていながら、倒壊家屋などを見た瞬間に、その場にいることを拒絶するような、命令を受けても何も動きたくないような感覚に襲われました。この感覚は一年ほど続きました。

 様々なことがありましたが、当時の経験は、その後の中越地震、中越沖地震における救援活動、そして麻布小地区防災協議会による震災マニュアル作りに生かすことが出来ました。
 一方当時活動を共にしたボランティアや住民の皆さんと、今でも毎年この時期になると、炊き出し同窓会や再会の集いが行われております。私も今大阪でこの記事を書いております。
 今日は犠牲者を追悼したいと思います。

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