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活動報告

行財政等対策特別委員会開会 区組織・執行体制の充実策質疑

 午後1時30分より第3委員会室にて、委員会異動後初の行財政等対策特別委員会が開会されました。

 同委員会の構成は以下のとおりです。
委員長   樋渡紀和子(F民主)
副委員長 赤坂だいすけ(自民)
委員    山本閉留巳(F民主)・熊田ちづ子(共産)・風見利男(共産)・なかまえ由紀(みらい)・鈴木たけし(自民)・鈴木洋一(自民)・森野弘司郎(自民)・近藤まさ子(公明)・杉本とよひろ(公明)

 本日の議題は以下のとおりです。
1 報告事項
(1)「総合支所中心の組織・執行体制の充実策~人にやさしい創造的な地域社会の実現をめざして~」について
2 審議事項
(1)発案19第21号 地方分権時代にふさわしい行財政問題の調査について

  なお報告事項に先立ち、正副委員長からの挨拶、及び説明員として副区長及び部課長クラスの紹介も行われました。
 私の行った質疑については、後日議事録が上がりましたら掲載致します。

総務常任委員会開会 副委員長として初仕事

 午後1時30分、第4委員会室にて、総務常任委員会が開会されました。副委員長として初仕事です。
 同委員会の構成は以下のとおりです。
 委員長  杉原としお(自民)
 副委員長 山本閉留巳(F民主)
 委 員   鈴木たけし(自民)・鈴木洋一(自民)・赤坂だいすけ(自民)・林田和雄(公明)・星野喬(共産)・沖島えみ子(共産)・阿部浩子(F民主)

 議題は以下のとおりです。
1 報告事項
(1)米軍ヘリポート基地に係る地元アンケート調査及び騒音測定調査の実施結果について
(2)区外公有地(旧小諸高原学園)の取扱方針について
(3)土地の購入について(白金一丁目)
(4)工事請負契約について(港区立港陽中学校外壁等改修工事)
(5)港区の公会計改革の方向性について
2 審議事項
(1)発案19第9号 地方行政制度と財政問題の調査について
(2)発案20第1号 港区における平和行政の推進に関する条例

 なお報告事項に先立ち、正副委員長からの挨拶、及び説明員として副区長及び部課長クラスの紹介も行われました。
 先の第二回定例会最終日に行われた各常任・特別委員の異動により、私は総務常任副委員長を拝命致し、今日が初めての委員会となりました。従前の一委員(建設委員)と違い、慣例上正副委員長はほとんど質疑を行うことはしません。今回上記報告事項(4)の中で、港陽中の外壁工事について、代わりに同じ会派の阿倍浩子委員に質問をしてもらいました。質疑の詳細については、後日議事録が上がりましたら掲載致します。

三田五丁目で徒歩遊説

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 民主党東京都第一区総支部による徒歩遊説が三田五丁目で実施されました。弁士は海江田万里総支部長、誘導担当議員は山本が担いました。
 三田五丁目は、かっては芝三田豊岡町、芝三田松坂町と呼ばれておりました。大型マンションが在るかと思えば、その近くには昔ながらの木造住宅地も密集しており、今と昔の港区を同時に体感できる地域でした。

南青山7丁目で徒歩遊説


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 南青山7丁目にて、民主党東京都第一区総支部による徒歩遊説を行いました。
 弁士は海江田万里総支部長、誘導担当議員は山本が担いました。南青山7丁目は、かって赤坂青山高樹町、麻布笄町という地名でしたが、閑静な住宅地で、9箇所のポイントで遊説を行いました。

衆議院解散 私のネーミングは"読み違い解散"

 衆議院は本日解散しました。法律の規定により40日以内に総選挙が行われることになりますが、既に麻生首相は来月18日公示、同30日投開票の日程を明らかにしております。
 今度の総選挙は、正式には第45回衆議院議員選挙と呼ばれ、定数は480、その内小選挙区が300、比例代表が180となっております。なお他の選挙では、選挙運動が行われることを告示と呼びますが、衆議院では公示と呼んでおります。
 今回の解散についてメディア上では様々なネーミングが付けられていますが、私なら"読み違い解散"ですな。麻生首相の字の読み違いもさることながら、麻生首相で自民党の支持率が上がると思った自民党の読み違い、一方解散の時期がもっと早かったのではないかという民主党の読み違い、経済課なら予想もしていなかった世界同時不況の発生という読み違い等々様々あります。
 我が民主党は政権交代を旗印にしてはいますが、これはあくまで手段であり目的ではありません。あくまで日本の政治の在り方を官主導から政治主導に変えて行くことが目的です。
 民主党は港区を含め東京一区では、海江田万里前衆議院議員を中心に日本の変革を目指して参りますので、どうかよろしくお願い申し上げます。

釧路空港を視察(14日)

DSC01030.JPG 今月15日からの会派視察(既報参照)に先駆け、前日14日釧路空港を視察致しました。
 他の議員より一日早く北海道入りすることについて、当初は会派所属議員全員が同一航空便に搭乗することは、危機管理上問題が在るとの判断によるものでした。但し時間を無駄にしたくないと考えていたところ、釧路空港ロビーの天井が、震災に備えた構造になっていることを、NHKの報道を通じて知り、早速釧路空港ビル株式会社に連絡し、今回の独自視察となりました。
 視察に際しては、同社北川則昭総務部長に、ご案内して頂きました。
 釧路地方では、平成5年の釧路沖地震、翌6年の北海道東方沖地震、13年の十勝沖地震と地震の発生が続いております。この十勝沖地震で、空港ロビーの天井650㎡の内、300㎡、重さにして3.2tが落下しました。幸い被災時は未明で空港利用客の被害は在りませんでしたが、当時石膏吸引板で造られた天井が、地震の振動によりクリップ(留め具)が横壁に当たり、重みも加わり落下したとのことでした。しかも当時の構造は、建築基準法で定める基準をクリアしており、被害は想定外であったようです。
 震災後同社は専門家を入れた検討会議を行い、その結果天井を布製による膜天井とすること、またクリップは従来の屋内型から台風に耐えられる材質に変えることが決まりました。膜天井を採用することにより、従来の吸音板を1とすると、コスト面で1:0.56、重量では1:0.35と、それぞれ低価格化、軽量化に成功しました。なお布は不燃シートを採用しているとのことです。
 我が港区でも田町の再開発を始め公共施設の建て替えが今後増えて来るかと思います。今回の視察結果を元に、本年第三回定例会決算特別委員会における質疑に活用したいと思います。

     天井に横ポール(青色)を通し、その上に布を通す造りとなっている。DSC01022.JPG
     クリップ(縦枠と横枠の交差する部分)も台風対応型に強化した。DSC01025.JPG
     膜天井と端の壁や柱との間に隙間を確保。地震による横揺れに備えたもの。DSC01023.JPG
     膜天井には、釧路の象徴でもあるたんちょう(丹頂鶴)が描かれている。DSC01018.JPG

横田めぐみさんのご両親、松下政経塾で講話

 昨17日夕方、松下政経塾東京事務所(港区六本木4丁目)にて、拉致被害者横田めぐみさんのご両親、横田滋さんと早紀江さんを講師に向かえ、塾生向けの授業が行われました。

 授業に先立ち、佐野尚見塾長は、「拉致事件は、国民の安全がないがしろにされた事件だ。この32年間、娘を取り返したいという思いで、ご両親は生きてこられた。我が松下政経塾としても横田さんを応援して行きたい。」、また二期生で民主党衆議院議員である松原仁塾員も、「国家の主権と国民の人権が侵害され、まさに国家テロだ。そしてこの問題を解決しようとしていない日本は、国家としてまともかそうでないのかが問われている。」と、それぞれ挨拶の中で述べました。

 滋さんは、これまでの運動の経緯について話され、「拉致問題は、小泉元首相の訪朝でクロースアップされましたが、実はもっと以前から分かっていたことでした。80年代に産経新聞が報道したものの、その後の後追い報道は在りませんでした。今後も日本は同胞を取戻す姿勢を貫き通してほしいが、一方最近の北朝鮮情勢を見るに、体制変革が起きた場合、一体そうなるのかという思いもあります。何より国民の皆さんが、全ての拉致被害者を救出するという声を上げ続けていくことが解決につながるものと信じております。」と述べました。
 母親の早紀江さんは、母親の思いについて触れ、「平和な国で、のんびりと過ごしていた中で、考えられないような拉致事件が続いて起きておりました。しかも国家による拉致指令であったのです。めぐみは家では何でも話してくれる子でした。あの日めぐみは、行って来まーす、と言って学校へ出かけて行きました。それが最後の姿でした。それから20年が経ち、めぐみが北朝鮮に連れて行かれたことが明らかになりました。2002年に帰国した拉致被害者曽我ひとみさんの証言で、北朝鮮の同じ施設で暮らし、お互いの事件のことについても話をしたことも分かりました。キム・ヒョンヒさんの本でも、相方の工作員キム・スクヒさんの話として、めぐみは弱々しい感じの女の子であったとのことでした。日本と北朝鮮との交渉では、なぜか拉致問題の解決をさまたげるような不思議な力が働いているように感じます。拉致被害者増元るみ子さんの父は、俺は日本を信じる、お前も信じろ、と息子の照明さんに言って亡くなりました。私は神に祈り続けております。この10年間多くの人々に支えられて来ました。塾生の皆さんも、それぞれの親御さんが、どんな思いを皆さんに抱いているのか考えて下さい。」と述べました。

 早紀江さんの話の中で、キム・スクヒ工作員の件には解説を要するかもしれません。1988年に起きた大韓航空機爆破事件に関与したキム・ヒョンヒ元工作員は、工作員要請所で訓練を受けていた当時、相方の女性がキム・スクヒでした。そして日本語教師として、ヒョンヒさんには田口八重子さん、後にリ・ウネの名前で日本中に知られることになりますが、そしてスクヒには横田めぐみさんが就きました。キム・ヒョンヒさんの証言により、大韓航空機爆破事件そのものではないにせよ、その延長線上に、めぐみさんの存在が明らかになったことになります。今現在も北朝鮮は、事件への関与を否定し続けております。めぐみさんを日本に返さない理由の一つがここに在る様に思えます。

 私は拉致被害者救出運動を始めて11年になりますが、この間いつか横田さんの話を塾生に聞かせたいと思っておりました。その思いの一端が、この日実現したわけですが、今後もめぐみさん、そして全ての拉致被害者の救出に向け行動して参りたいと思います。


麻布小学校夏祭り

 母校麻布小学校の夏祭りが開催されお邪魔させて頂きました。
 校舎内では、PTAのお母さん方が、それぞれかき氷、ソーセージ、かりんとうドーナッツ作りに頑張っておられました。また校庭では、キックターゲット、ストラックアウト、動物風船などのコーナーが作られました。
 子供達は、元気にはしゃいでおりましたが、中には政治に関心が有るのか、ある女の子が近づいて来て、「(先日の都議選について)ねえ、自民党でなくて良かったね。」と話しかけて来たのにはびっくりしました。ふうー・・・。

北方領土問題視察二日目

 視察二日目の今日は、一同レンタカーで午前8時に根室市を出発し、一路標津町に向かいました。昨日と打って変わり晴天で、市内から44号線を西に進んでおりますと、右手根室湾の向こう側に国後島が見えました。車は一旦内陸部に入り、44号線から右に折れ243号線に入ります。風蓮湖の西側に沿うように北上し、さらに244号線に入り海沿いに出ますと、再び国後島が一段と近くに見えて来ました。
 標津町の手前、別海町にある別海北方展望塔に立ち寄りました。備え付けの望遠鏡を覗くと、国後島西端の沿岸部、そして同島の泊山がくっきりはっきりスッキリ見ることができました。
 車はさらに北上し、目的地である標津町立北方領土館に行きました。同館には展望室の他、1855年(安政元年)の日魯通好条約による四島日本帰属確定から1945年(昭和20年)のソ連軍不法占拠に至る年表と解説板も設置されており勉強になりました。同館視察を終えたところで視察終了となり解散致しました。

 私は今年度会派視察の幹事を担いましたが、今回の視察を通じて、当時のソ連そして現在のロシアによる北方領土不法占拠の実態を改めて痛感致しました。
 日露間における領土問題は、少なくても1855年2月7日(旧暦の12月21日)の日魯通好条約締結から、その後の千島・樺太交換条約、ポーツマス講和条約の変遷を経て、1945年8月9日の対日参戦までは、両国間で正常に処理されてきておりました。しかし先の大戦で日本の状況が不利と見るや、開戦一時間前に日ソ中立条約破棄と宣戦布告を通告し対日攻撃を開始し、さらには日本がポツダム宣言を受諾し降伏したにもかかわらず、千島列島や南樺太への侵攻をするという戦時国際法違反を公然と行いました。ソ連軍の侵攻は、択捉島の北に位置するウルップ島で一旦止まりますが、北方四島への米軍上陸が無いと見るや、さたに南下し四島を占領しました。 ソ連政府は大戦後、四島は千島列島に一部であり元来ソ連領との主張をしておりましたが、択捉島の手前で進軍を止めたことは、ソ連側にも1855年以来の四島日本帰属の認識が有ったものと思われます。
 最近ロシア政府は、第二次世界大戦で確定した国境線を変更するつもりはないとの新しい主張を展開しております。国際社会は、その善し悪しは別として、力と力のぶつかり合いです。北朝鮮拉致問題では、未だ全ての拉致被害者を取り返す力が無いのと同様、北方領土そして竹島問題でも、未だ領土を取り戻す力を備えていないのが、我が日本の現状であります。
 今政権交代が叫ばれております。国家の構成要件は政府・国民・領土であります。日本が正常な国家に変革するための運動を、国民の皆様と起こして参りたいと思います。

             別海北方展望塔の壁に貼られているスローガン。
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          展望室から国後島を指さす。遠くに見える島影が国後島。DSC01139.JPG
          標津町立北方領土館から見た国後島。僅か24キロ先に在ります。
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                  解散前に、同館の前での記念撮影。DSC01172.JPG

北方領土問題視察一日目

 平成21年度港区議会フォーラム民主行政視察「丹頂鶴」が、15・16両日、北海道根室支庁管内で実施されています。初日の今日は、根室市役所・納沙布岬・四島交流センターを訪問致しました。

 根室市役所では、市議会本会議場をお借りして、高橋領土対策・企画政策課長より、北方領土問題についてレクチャーを受けました。その要点は以下のとおりです。
①北方領土問題は、国家の主権と民族の尊厳に関わる問題である。
②先の大戦末期、ソ連が日ソ中立不可侵条約を一方的に破棄して対日参戦をし、根室市に属する歯舞群島が不法占拠され、島民1万7千291人、3124世帯が追い出された。
③根室周辺海域は、戦前世界三大漁場の一つであったが、大戦後これまで1339隻、延べ9489人が拿捕されてきた。
④返還運動の始まりは、昭和20年12月、根室町長(当時)がマッカーサー司令官に、北方領土をソ連軍ではなくアメリカ軍の占領下に移してほしいとする陳情書を送ったことに始まる。
⑤先頃ロシアを訪問した長谷川市長に対して、ロシア側は「北方領土問題を解決する用意はある。」と述べる一方、日本側の政治混乱を指し、「日本側にその用意はあるのか。」とも述べたとのこと。
⑥根室市としては、北方領土返還に向けた国民世論の啓発、輪を広げて行きたい。

 説明を受けた後、私より質問を行い、高橋課長より答えて頂きました。
質問 昨今2.5島返還論が取りざたされているが。
回答 64年間進展しないことに苛立ちを覚える。漁業海域を奪われている中で、早く2島だけでも取戻したいとの意見もある。根室市民の4分の1が4島出身者であるが、あくまで4島一括返還を求めたい。日本政府が、まず4島の日本帰属を日ロで確認するとの方針だが、市もこの考え方を支持したい。

 根室市役所を跡にして、納沙布岬へ向かい、岬の突端にある展望展示施設の北方館を訪問しました。納沙布岬からおよそ4キロ先に最も近い北方領土貝殻島(歯舞群島の一部)が在りますが、生憎の雨で肉眼では確認できませんでした。

 最後に北方四島交流センター(愛称:ニ・ホ・ロ)を訪問し、この日の視察活動は終了致しました。

根室市議会本会議場にて、高橋根室市役所北方領土対策・企画政策課長(左から三人目)を交え記念撮影。DSC01092.JPG
               納沙布岬に在る北方館で説明を受ける。DSC01096.JPG
     納沙布岬にて。当日は雨天のため、一同後方に在る北方領土は視認出来ず。DSC01108.JPG
                四島のかけはし(左)と祈りの火(右)。
DSC01110.JPG             北方四島交流センター(愛称:ニホ・ロ)にて。DSC01111.JPG

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