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追悼 中川昭一元財務・金融大臣ご逝去

 今月4日、中川昭一元財務・金融相ご逝去の報に触れました。心より哀悼の意を表します。
 この日は、朝から拉致被害者支援組織「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(通称:救う会)」の幹事会が都内で開かれ、拉致被害者家族も同席していたところに一報が入り、一同で黙祷を捧げました。
 翌5日に開かれた区議会決算特別委員会での質疑で、私は質問の冒頭で哀悼の意を表明しました。私は民主党議員ですが、不思議なことに中川元大臣と同じ自民党の議員からは、誰もお悔やみを述べた方はおりませんでした。

 中川氏は、かって拉致議連の会長を務められておりました。初めてご挨拶した際、私の名刺をご覧になって、「ほう、あなたは政経塾の出身?政経塾の皆さんには、日本のために頑張ってもらわなければいけませんね。」と言われたことを覚えております。その後何度か会食の機会が有りましたが、紳士的な雰囲気の方で、いわゆる"もうろう会見"のような状態に遭遇したことはありませんでした。
 平成14年(2002年)の10月15日、帰国する5人の拉致被害者を羽田空港での出迎えました。この時、北朝鮮側から二人の随行員、実態は監視員ですが、彼らも同じ飛行機に同乗しておりました。5人が降りた後、空港内の控室で、拉致議連のメンバーで民主党の西村慎吾衆議院議員(当時)が、「おい。あおの監視役の連中はどないしとんのや。」と尋ねられ、私が「まだ機内に居るようです」と答えると、突然立ち上がり「あいつらがタラップ降りてきたところをだな、ガン飛ばしに行くぞ!」と言って部屋を出て行こうとされました。これに当時自由党の小池百合子議員が「私も行く!!」と立ち上がり、さらに民主党の松原仁議員も「そういうことなら、俺も行くぞ!」と続き、最後自民党の中川会長だけが、一人ポツンと取り残されそうな状態になりました。私が「中川先生、どうされますか?」と尋ねると。「それなら私も。」と言われ、一同タラップの下まで進みました。
 果たして監視役が降りてくるや、議連の秘書団がデジカメを構え顔写真にを撮り、さらに銀や支援者から様々野次が飛びました。私も「ここは法治国家だ。この国で好き勝手なことはさせねえからな!」と叫んだことを覚えております。彼らは憮然とし表情で、迎えのマイクロバスに乗って行きました。この時撮影した顔写真は、夕方のニュース番組で公開されました。

 56歳とは、早すぎる死です。日本の保守政治再生の要でもあった方です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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