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マニラより

 父の墓参のため、昨日19年ぶりにマニラ入りしました。

 日本人の多くが、フィリピン共和国の首都はマニラだと思いますが、英語表記ではMetro Manilaで、私流に直訳するとマニラ都になります。何だか東京都みたいですが、日本の報道機関や旅行用のガイドブック等では、大マニラ市、あるいはマニラ首都圏と表記されておりますので、ここではマニラ首都圏で統一します(因みに東京都の英語表記は、Tokyo Metropolitanです)。
 東京都が23区や26市等で構成されているように、マニラ首都圏も17の市から構成されております。大統領官邸を初め行政機関が集中するマニラ市、大日本帝国の統治が終わり1946年の独立から1976年まで首都が置かれていたケソン市、金融などビジネスの拠点となっているマカティ市、ニノイ・アキノ国際空港や日本大使館が在るパサイ市などが在り、各市にはそれぞれ市庁と市議会が置かれています。

 ソフィテル・フィリピン・プラザホテル・マニラ(旧フィリピン・プラザホテル)にチェックインしました。玄関では宿泊客でも来場者でも構わずセキュリティ・チェック(保安検査)を受けましたが、こんなことは初めてです。そして晴れて入館すると、玄関で民族衣装を着た女性従業員が、相手が日本人でも韓国人でも欧米人でも構わず、「ボンジュール」と声をかけて来ました。フィリピンなのに何でフランス語なのかと思いきや、このホテルは何年か前にフランス資本の傘下になっていたのが理由のようです。
 宿泊客には全員ICカードが手渡されます。ドアキーのためかと初め思いましたが、それだけではなく、エレベータもこのカードが無ければ動かない仕組みで、不特定多数が出入りする可能性があるホテルでありながら、おそらくは保安上の理由かとも思いますが、その不特定多数を規制する経営上の思惑を感じました。

21J他287-7450.jpg チェックイン後、鉄道ファンの血が騒いだか、首都圏内を走る鉄道MRT3(Metro Rail Transit Line 3)に乗りました。1991年に来比した際は、高架鉄道はLRT1(Light Rail Transit 1)の一路線しか運航していませんでしたが、現在は3路線が運行されています。
 始発駅であるタフトアベニュー駅では、乗車券購入前に乗客は全員セキュリティチェックを受けました。これも以前は無かった現象です。また乗車券販売窓口が少ないため長蛇の列が出来ていました。 車両はドイツ製で、一応エアコンも作動しているはずですが、あまりに多くの乗客がいるため、車内は息苦しい環境でした。
 このMRT3でオルティガスに行きました。17市の一つマンダルーヨン市にあるオルティガスは、1990年代以降、マカティ市に次ぐビジネスセンターとして急成長している地域ですが、1986年のエドュサ革命(日本ではフィリピン革命と呼ばれますが)の際、この地区を走るエドュサ通りからマラカニアン宮殿(大統領官邸)へ人々の行進が行われ、それを記念して、1989年に新たにエドュサ教会が建立されました。21J他287-7458.jpg
 MRT3でアヤラ駅まで戻りました。アヤラはフィリピンの財閥の名前で、現在のマカティ市も、元々はアヤラ家の所有地であったと言われております。そのせいか同市のメインストリートはアヤラ通りと呼ばれております。同市にあるインターコンティネンタルホテルは思い出の場所。幼年期にこのホテルにあるレストラン「ジープニーバー」でよく食事をしました。店内にジープニー(米軍ジープを改造した小型バス)を模した座席が置かれているのが特徴のはずだったのですが、ジープニー席は既に撤去され、車両のパーツのみが店内の壁に貼られているだけで残念。21J他287-7464.jpg
 ホテル周辺は、昔は大きな駐車場と大型免税店が一軒あるだけの簡素な環境でしたが、現在はショッピングセンターも複数立ち並び、自動車も増え、鉄道まで走っている状態で、混沌とした街に変貌してしまいました。変わったといえば、かってマニラ湾沿いを走っていたロハス大通りは、椰子の木が立ち並び、フィリピンないしはマニラを象徴する景観でしたが、海は埋め立てられ、木々は切り取られ、単なる大通りに変わっていました。日本で言われているような景観も何もあったものではありません。

 夜ホテルに、従兄弟で元マニラ市長のリト・アティエンザ氏が訪ねて来ました。マニラ圏内で一日感じたことですが、空港は当然としても、ホテルも公共交通機関も、果ては飲食店に至るまで、保安検査が徹底され、良しも悪しきもノー天気なフィリピン社会が、何か安全に対して神経質になっているムードについて、彼に疑問をぶつけてみました。「今はテロの時代。全てテロが原因だ。治安も良くない。」という答えが返ってきました。
 およそ20年ぶりのマニラですが、アロヨ政権下で都市の開発が進む一方、治安悪化に神経を使わなければならない空気を感じました。今年5月には、大統領選挙が行われますが、この国の針路に関心を持ち続けたいと思いました。そして今日、墓参を終えたところですが、その様子は明日以降に掲載します(明日10日に帰国します)。

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