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三島由紀夫氏没後40年 展示・出版記念講演会

040709_P1040709.jpg 作家三島由紀夫氏が亡くなって間もなく40年になります。
 昭和45年(1970年)11月25日、自らが代表を務めていた民族派行動団体「楯の会」のメンバーと共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み、クーデターを促したものの果たせず、割腹自殺を遂げたいわゆる三島事件をご存知の方も多いかと思います。
 事件前に盾の会を退会していた初代学生長、持丸博氏(現松浦博氏)と奥様の松浦芳子氏(杉並区議会議員)ご夫妻が主催され、「三島由紀夫氏没後40年 展示・出版記念講演会」が、中野サンプラザで開催されました(写真)。

 まず松浦芳子議員の講演が行われました。松浦議員は、当時19~20歳の年頃で、純粋に日本を愛したいとの思いで、盾の会に出入りしていたそうです。別段三島文学にはまっていたわけではなかったそうです。このあたりの直情的な行動パターン、そして舌を出してご愛敬の写真は、現在の松浦議員の動きやお人柄を偲ばせるものがあります(笑)。

 続いてご主人でいらっしゃる持丸博氏のご講演に移りました。早稲田大学生であった持丸氏は、三島氏が結成した祖国防衛隊、後の盾の会に参加し、自衛隊に体験入隊され、その後初代学生長として三島氏と行動を共にしておられました。
 同会結成当時の三島氏の予測では、70年安保に向けた左翼学生運動の高揚により、日本の体制が崩壊する危機が訪れつつある。その事態を阻止するべく、民間の防衛組織を整備する必要があると三島氏は考えていたようです。
 しかし昭和43年10月21日、この日を「国際反戦デー」として新宿駅で左翼団体が起こした騒乱事件、いわゆる新宿騒乱事件以降、警察の取り締まり強化で左翼運動が衰退し始め、三島氏が懸念していた共産革命が起きる可能性が低下し始めます。
 そのことが盾の会の活動にも影を落とし、翌年には持丸氏が退会し、三島氏と持丸氏の後を受け二代目学生長に就いた森田必勝ら一部の会員だけで運動が続けられていました。そして自衛隊市ヶ谷駐屯地での事件につながって行きました。
 お二人の講話を聴き、当時運動の現場に関わられていただけあって、深みと凄みを感じました。会場脇には、盾の会の制服や民族派雑誌「論争ジャーナル」、週刊誌や会の活動を収めた写真の数々が展示され、往時の日本の世相の一端を感じることができました。

 余談ですが、私が幼児期、二回ほど三島氏と会ったことがあるそうです。私の記憶にはないのですが、母の話によれば、三島氏は当時よく麻布仲ノ町、現在の六本木三丁目、丁度飯倉片町交差点付近にあったフランス料理店に来店されておられ、私達家族と並びのテーブルに座られたことがきっかけだったようです。
 昭和55年頃、中学生だった私は防衛問題に関心を持ち始め、三島由紀夫氏の事件について母から初めて聞き、ある種の高揚感を覚えました。そして本屋に走り、三島氏の著書、「仮面の告白」「禁色」「潮騒」「金閣寺」などを一挙に購入して読んだのですが、子供の私には内容がさっぱり分からなかったことを覚えております。

 あの事件から40年が経ち、三島氏の予言どおり、「無機的な、からぽっな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るだろう。」となり、その経済大国の地位も、或る意味危うくなって来つつある今日の日本です。
 そして三島氏の言は、こう続きます。「それでもいいと思っている人達と、私は口をきく気にもなれなくなってきているのである。」

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