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政務調査

<対馬危機>対馬市内を視察

 対馬視察の二日目です。午前中に八幡宮、元寇古戦場跡を視察した後、対馬市中心部(旧厳原町内)とアリラン祭会場を視察致しました。

 対馬市交流センターは、市内でも主要なショッピングセンターであります。因みに同センター内にテナントを構える人物こそ、韓国との迎合路線を推進するアリラン派の中心人物で、最近まで商工会の幹部を務めておりましたが、今年退任しました。
 センター内の売り場は、相変わらず韓国人を意識してか、案内板が日本語よりハングルを上に表記している状態です。

 厳原港ターミナルには、韓国人観光客が釜山発のフェリーで来港していました。それとなく話しかけてみると、韓国で対馬は韓国領との主張が叫ばれていることについては、「自分はそうは思わない。」と答える人が多く安堵しましたが、一方「(韓国領との意見に)肯定的に考えている。」と答える人もいました。昨年韓国人活動家が上陸したり、韓国政界でも対馬韓国領決議がなされたりしましたが、個々人が良識的でも、国の政策などで翻弄される、かの国の国民の悲哀さを感じました。

 「アリラン祭」は、元々「厳原港まつり」という名称でした。それが20年前に、長崎県から祭りの運営に補助金を出す代わりに、もう少しインパクトのある内容にしてほしいとの打診が在り、アリラン祭という名称に変わりました。当時は安易に「国際化」という言葉が乱用され、また隣の国とは仲良くした方が良いとの考えも在ってのことだと思います。
 さすがにその後、地元でも名称を問題視する動きが起こり、現在は「厳原港まつり 対馬アリラン祭」という名称になっております。
 この日は前夜祭で、明日が本祭ということでした。

 祭り会場を後に、旧厳原町の川端通りに向かいました。ここは市内で最も大きな商店街です。  昨年来た時は至る所ハングルの看板ばかりでしたが、今年は打って変って減少し、さらには空き地になっている場所も在りました。ここでも韓国不景気の影響を感じます。
 それでも昨年、その名前からして話題となった韓国料理飲食店「アジト」は健在でした。どういうわけか、そのネーミングに関心を持たれたのか、参加議員さんたちがゾロゾロ店舗前に集結して来ました。生憎店は休憩時間でしたが、中から関係者が何事かと外の様子をうかがっておりました。

 今回の対馬視察本隊の活動は、この日の日程を終えたところで終了となりました。私を含め一部の議員は、あと一日残り視察を続けます。
 昨年の日本会議対馬視察先遣隊の動きをきっかけに、超党派による「国境離島振興法」の制定を目指す動きがあります。この総選挙を挟んで、法制化に向けた動きを支援して参りたいと思います。
 また先月北方領土問題をテーマに、会派として根室視察を行いましたが、対馬視察と合わせ両視察の結果活用として、第三回港区議会定例会において、学校現場における領土問題教育の推進をテーマに質疑を行いたいと思います。

昨年韓国人活動家による自傷行為が行われた現場。すぐ向こうには幼稚園が在る。DSC01528.JPG
「対馬アリラン祭」のノボリ。対馬の対の字から表記が始まり、厳原港まつりの文字が抜けている。図柄が見ようによっては、対馬が韓国の一部にも見えるのだが・・・。
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対馬市厳原町の川端通りに在る韓国系飲食店「アジト」。以前は地元民が経営する薬局であったとのこと。DSC01553.JPG

<参考資料>
本日付の産経新聞報道より

【対馬が危ない!!】地方議連視察 「竹島は韓国領」絵馬も
2009年8月1日(土)8時0分配信 産経新聞

 長崎県対馬市の海上自衛隊対馬防備隊の隣接地が韓国資本により買収されている問題で、保守系議員で作る「日本会議地方議員連盟」(団長、松原成文・川崎市議)の市議や県議ら59人が31日、対馬を視察した。
 視察団のメンバーは買収されたリゾートホテルなどさまざまな地点を視察。自衛隊幹部からは、対馬が国防上果たしてきた役割などについて説明を受けた。島内の和多都美(わたづみ)神社では、ハングルで「竹島は私たちの領土」「対馬は韓国」などと書き込まれた絵馬があるのを見つけ、宮司の許可を得て取り除く一幕もあった。
 視察団は1日、一連の問題について韓国人観光客や島民から意見を聞く予定。
 同議連としては今後、外国資本の不動産取得規制や国境離島の経済支援を盛り込んだ新法制定を、国に働きかける方針だ。

<対馬危機>買収地視察、海空自衛隊基地を訪問

 対馬視察の一日目は、韓国資本により買収された自衛隊隣接地の視察、そして海上自衛隊対馬防備隊本部と航空自衛隊第19警戒隊基地をそれぞれ訪問致しました。

 対馬市猛竹敷にある宿泊施設「リゾート対馬」。対馬防備隊本部に隣接する真珠工場跡地に建てられています。かって天皇皇后両陛下もご訪問され、行啓記念碑も在ります。以前防衛省側は、基地拡張計画の関係で、この工場跡地の購入を検討していましたが、数千万の予算が下りずモタモタしている間に売却され、今は韓国側の保養施設になってしまいました。
 昨年同施設を訪れた際には、中に入れてもらえず、日本国民でありながら行啓記念碑を見ることもできませんでしたが、今年は一転、自由に出入りが出来るようになり、行啓記念碑を見ることもできました。昨年以降対馬危機をめぐる報道が相次いだこと、また韓国経済も停滞していることも作用したかと思います。この視察で、リゾート対馬には宿泊室は在るものの、施設側に調理資格を持つスタッフがいないため、調理施設が無いことも初めて分かりました。

 次に訪れたのが海上自衛隊対馬防備隊本部です。先ほどのリゾート対馬が目の前に在ります。この部隊の任務は、対馬海峡の状況及び同海峡を航行する各国艦船を監視で、本部の他、上対馬、下対馬、壱岐に警備所を配置しております。
 基地内で防備隊長(一等海佐)より直接ブリーフィングを受け、大日本帝国海軍時代を含めた基地の歴史、部隊の編成、対馬の地政学的価値などについて説明が行われました。
 同基地周辺には、先ほどのリゾート対馬以外に、韓国系保養施設「シーズンズ」も存在しています。

 航空自衛隊西部航空方面隊西部航空警戒管制団第19系警戒隊は、対馬の最北端から約5・6OOメートルに位置する海栗島(うにじま)に在ります。同島全体が自衛隊の管理下に在り、海栗島分屯地とも呼ばれております。居住している自衛官を除き、一般住民は居ません。先の大戦前前には陸軍の要塞(砲台)が置かれておりましたが、戦後米軍の管理下となり、その後日米共同管理を経て、昭和34年に日本側に全面移管されました。
 ここでも警戒隊長(一等空佐)より基地の概要や警備等について説明を受けました。安全保障上の理由から全ての情報が公開されているわけではありませんが、西日本西方空域、そして朝鮮半島空域の状況を警戒しているものと推察します。

 対馬は国境の島であると共に、国際海峡に在る戦略的要衝地でもあります。東西冷戦時代を含め、ソ連現在はロシアですが、北朝鮮、韓国、中国それに米国の軍艦や艦船が周辺に出没しています。単なる土地の買収だけでなく我が国の安全保障という観点からも、対馬を見て行く必要があると思います。

天皇皇后両陛下行啓記念碑の前で同行した水野むねひろ区議と森野弘司郎区議と。DSC01302.JPG
金網の手前が海上自衛隊対馬防備隊本部の敷地、その向こう側のオレンジ色の壁面の建物がリゾート対馬。DSC01321.JPG航空自衛隊海栗島分屯地からの帰り、フェリー船上で吉川町、中央区、横浜市、藤沢市、宝塚市他自治体議員の皆さんと。後方が海栗島分屯地。
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海栗島へ向かう途中、韓国から対馬海岸に漂着したゴミの数々。DSC01399.JPG

<対馬危機>視察議員団が福岡に集結

 対馬に対する韓国進出問題で、現地視察を行うべく、日本会議地方議員連盟対馬視察団が全国各地より本日福岡に集結しました。明日対馬に向かいますが、私にとり昨年に続き2度目の視察です。
 団長は松原成文川崎市議会議員、港区議会からは、水野むねひろ議員、森野弘郎議員そして私が参加、全国から31の自治体、議員51名、民間人7名、事務局2名の総勢60名となり、昨年参加した先遣隊15名に比べ4倍の人員となりました。
 参加した議員の自治体は以下のとおり。
陸前高田市、秋田県、埼玉県、秩父市、吉川市、港区、中央区、杉並区、荒川区、江戸川区、狛江市、青梅市、神奈川県、横浜市、川崎市、藤沢市、長野県、函南町、兵庫県、宝塚市、三田市、鳥取県、府中市、尾道市、徳島県、松山市、今治市、福岡市、苅田町、日田市、宮崎市。

 参照記事
平成20年11月 3日 対馬における韓国進出問題について http://herumi.jp/giin/post_9.php

 参照資料
日本の息吹ブックレット⑥ 防人の島 「対馬」が危ない! 国境離島を守るために
(日本会議地方議員連盟編 明成社)
山本も執筆に参加しております。購読ご希望の方は、ご連絡下さい。DSC01707.JPG

釧路空港を視察(14日)

DSC01030.JPG 今月15日からの会派視察(既報参照)に先駆け、前日14日釧路空港を視察致しました。
 他の議員より一日早く北海道入りすることについて、当初は会派所属議員全員が同一航空便に搭乗することは、危機管理上問題が在るとの判断によるものでした。但し時間を無駄にしたくないと考えていたところ、釧路空港ロビーの天井が、震災に備えた構造になっていることを、NHKの報道を通じて知り、早速釧路空港ビル株式会社に連絡し、今回の独自視察となりました。
 視察に際しては、同社北川則昭総務部長に、ご案内して頂きました。
 釧路地方では、平成5年の釧路沖地震、翌6年の北海道東方沖地震、13年の十勝沖地震と地震の発生が続いております。この十勝沖地震で、空港ロビーの天井650㎡の内、300㎡、重さにして3.2tが落下しました。幸い被災時は未明で空港利用客の被害は在りませんでしたが、当時石膏吸引板で造られた天井が、地震の振動によりクリップ(留め具)が横壁に当たり、重みも加わり落下したとのことでした。しかも当時の構造は、建築基準法で定める基準をクリアしており、被害は想定外であったようです。
 震災後同社は専門家を入れた検討会議を行い、その結果天井を布製による膜天井とすること、またクリップは従来の屋内型から台風に耐えられる材質に変えることが決まりました。膜天井を採用することにより、従来の吸音板を1とすると、コスト面で1:0.56、重量では1:0.35と、それぞれ低価格化、軽量化に成功しました。なお布は不燃シートを採用しているとのことです。
 我が港区でも田町の再開発を始め公共施設の建て替えが今後増えて来るかと思います。今回の視察結果を元に、本年第三回定例会決算特別委員会における質疑に活用したいと思います。

     天井に横ポール(青色)を通し、その上に布を通す造りとなっている。DSC01022.JPG
     クリップ(縦枠と横枠の交差する部分)も台風対応型に強化した。DSC01025.JPG
     膜天井と端の壁や柱との間に隙間を確保。地震による横揺れに備えたもの。DSC01023.JPG
     膜天井には、釧路の象徴でもあるたんちょう(丹頂鶴)が描かれている。DSC01018.JPG

北方領土問題視察二日目

 視察二日目の今日は、一同レンタカーで午前8時に根室市を出発し、一路標津町に向かいました。昨日と打って変わり晴天で、市内から44号線を西に進んでおりますと、右手根室湾の向こう側に国後島が見えました。車は一旦内陸部に入り、44号線から右に折れ243号線に入ります。風蓮湖の西側に沿うように北上し、さらに244号線に入り海沿いに出ますと、再び国後島が一段と近くに見えて来ました。
 標津町の手前、別海町にある別海北方展望塔に立ち寄りました。備え付けの望遠鏡を覗くと、国後島西端の沿岸部、そして同島の泊山がくっきりはっきりスッキリ見ることができました。
 車はさらに北上し、目的地である標津町立北方領土館に行きました。同館には展望室の他、1855年(安政元年)の日魯通好条約による四島日本帰属確定から1945年(昭和20年)のソ連軍不法占拠に至る年表と解説板も設置されており勉強になりました。同館視察を終えたところで視察終了となり解散致しました。

 私は今年度会派視察の幹事を担いましたが、今回の視察を通じて、当時のソ連そして現在のロシアによる北方領土不法占拠の実態を改めて痛感致しました。
 日露間における領土問題は、少なくても1855年2月7日(旧暦の12月21日)の日魯通好条約締結から、その後の千島・樺太交換条約、ポーツマス講和条約の変遷を経て、1945年8月9日の対日参戦までは、両国間で正常に処理されてきておりました。しかし先の大戦で日本の状況が不利と見るや、開戦一時間前に日ソ中立条約破棄と宣戦布告を通告し対日攻撃を開始し、さらには日本がポツダム宣言を受諾し降伏したにもかかわらず、千島列島や南樺太への侵攻をするという戦時国際法違反を公然と行いました。ソ連軍の侵攻は、択捉島の北に位置するウルップ島で一旦止まりますが、北方四島への米軍上陸が無いと見るや、さたに南下し四島を占領しました。 ソ連政府は大戦後、四島は千島列島に一部であり元来ソ連領との主張をしておりましたが、択捉島の手前で進軍を止めたことは、ソ連側にも1855年以来の四島日本帰属の認識が有ったものと思われます。
 最近ロシア政府は、第二次世界大戦で確定した国境線を変更するつもりはないとの新しい主張を展開しております。国際社会は、その善し悪しは別として、力と力のぶつかり合いです。北朝鮮拉致問題では、未だ全ての拉致被害者を取り返す力が無いのと同様、北方領土そして竹島問題でも、未だ領土を取り戻す力を備えていないのが、我が日本の現状であります。
 今政権交代が叫ばれております。国家の構成要件は政府・国民・領土であります。日本が正常な国家に変革するための運動を、国民の皆様と起こして参りたいと思います。

             別海北方展望塔の壁に貼られているスローガン。
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          展望室から国後島を指さす。遠くに見える島影が国後島。DSC01139.JPG
          標津町立北方領土館から見た国後島。僅か24キロ先に在ります。
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                  解散前に、同館の前での記念撮影。DSC01172.JPG

北方領土問題視察一日目

 平成21年度港区議会フォーラム民主行政視察「丹頂鶴」が、15・16両日、北海道根室支庁管内で実施されています。初日の今日は、根室市役所・納沙布岬・四島交流センターを訪問致しました。

 根室市役所では、市議会本会議場をお借りして、高橋領土対策・企画政策課長より、北方領土問題についてレクチャーを受けました。その要点は以下のとおりです。
①北方領土問題は、国家の主権と民族の尊厳に関わる問題である。
②先の大戦末期、ソ連が日ソ中立不可侵条約を一方的に破棄して対日参戦をし、根室市に属する歯舞群島が不法占拠され、島民1万7千291人、3124世帯が追い出された。
③根室周辺海域は、戦前世界三大漁場の一つであったが、大戦後これまで1339隻、延べ9489人が拿捕されてきた。
④返還運動の始まりは、昭和20年12月、根室町長(当時)がマッカーサー司令官に、北方領土をソ連軍ではなくアメリカ軍の占領下に移してほしいとする陳情書を送ったことに始まる。
⑤先頃ロシアを訪問した長谷川市長に対して、ロシア側は「北方領土問題を解決する用意はある。」と述べる一方、日本側の政治混乱を指し、「日本側にその用意はあるのか。」とも述べたとのこと。
⑥根室市としては、北方領土返還に向けた国民世論の啓発、輪を広げて行きたい。

 説明を受けた後、私より質問を行い、高橋課長より答えて頂きました。
質問 昨今2.5島返還論が取りざたされているが。
回答 64年間進展しないことに苛立ちを覚える。漁業海域を奪われている中で、早く2島だけでも取戻したいとの意見もある。根室市民の4分の1が4島出身者であるが、あくまで4島一括返還を求めたい。日本政府が、まず4島の日本帰属を日ロで確認するとの方針だが、市もこの考え方を支持したい。

 根室市役所を跡にして、納沙布岬へ向かい、岬の突端にある展望展示施設の北方館を訪問しました。納沙布岬からおよそ4キロ先に最も近い北方領土貝殻島(歯舞群島の一部)が在りますが、生憎の雨で肉眼では確認できませんでした。

 最後に北方四島交流センター(愛称:ニ・ホ・ロ)を訪問し、この日の視察活動は終了致しました。

根室市議会本会議場にて、高橋根室市役所北方領土対策・企画政策課長(左から三人目)を交え記念撮影。DSC01092.JPG
               納沙布岬に在る北方館で説明を受ける。DSC01096.JPG
     納沙布岬にて。当日は雨天のため、一同後方に在る北方領土は視認出来ず。DSC01108.JPG
                四島のかけはし(左)と祈りの火(右)。
DSC01110.JPG             北方四島交流センター(愛称:ニホ・ロ)にて。DSC01111.JPG

松下政経塾30周年記念公開パネルディスカッション

 松下政経塾 開塾30周年記念事業プレ企画 公開パネルディスカッション ~地域から日本を変える~に参加して参りました。主催は財団法人松下政経塾政経研究所、後援はローカル・マニフェスト推進地方議員連盟と早稲田大学マニフェスト研究所でした。

 基調講演は、「地方分権~理論から実践へ~」と題して、元三重県知事で現在は早稲田大学大学院教授でいらっしゃる北川正恭氏が行いました。
 塾の評議員でもある北川氏は、「過去のしがらみを断ち切って、新しい安全社会を創らなければならない」と述べられ、また「ルールからではなく、現場の空気や実態に基づいて改革を行うべき」とも発言されました。
 昭和62年、明治大学生であった私は、自由民主党全国学生交流会の初代事務局長に就任いたしましたが、党青年局長として学生の指導に当たられたのが、北川正恭衆議院議員(当時)で、久し振りに北川先生のご講話を拝聴することができました。

 北川氏の講演の後、休憩を挟んで、「地域から日本を変える」と題して、公開パネルディスカッションが行われました(写真)。パネラーは、佐賀県多久市長で地方分権改革推進委員会委員の横尾俊彦塾員(一期生)、静岡県浜松市長で昨年首長マニフェスト最優秀賞を受賞した鈴木康友塾員(一期生)、神奈川県藤沢市長で塾政経研究所自治体経営改革プロジェクト座長の海老根靖典塾員(二期生)でした。
 鈴木浜松市長は「広域合併した地域のそれぞれの違いを理解し合い、共生共助の精神で共に新しい浜松を良くしよう、と訴えている。」、海老根藤沢市長は「市民目線による市民経営が必要。地域の問題は地域で解決すると共に、広域街づくりも進めたい。」、横尾多久市長は「市政に対する本気度、そしてスピード性が求められる。ジュリアーニ前ニューヨーク市長に倣い、既存の庁議ではなく、毎週会議を行い、そこで職員から知恵を集める提案制度を実行している。」などと発言しました。

パネルディスカッションの様子。右から海老根靖典藤沢市長、鈴木康友浜松市長、横尾俊彦多久市長、進行役の永久寿夫PHP総合研究所常務取締役研究本部長。

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拉致問題平塚勉強会

 拉致問題を考える湘南の会主催、「タウンミーティング in 平塚 ~改めて、拉致問題を考える~」に講師として招かれました。
 主催団体の代表は、松下政経塾の先輩で、現在民主党神奈川県第15区総支部長の勝又恒一郎氏。湘南の会では4月4日に「映画『めぐみ』上映会・横田夫妻講演会」を開催する予定で(下記参照)、そのための実行委員会として、事前勉強会を開きたいとのことから、お招きに預かりました。
 映画の原題は「ABUDUCTION -The Megumi Yokota Story-」で、公開当初は日本における配給元の権利を、USENグループのギャガコミュニケーションが有していましたが、その後日本政府が同権を買い取っています。
 この映画の公式サイトによると、アカデミー賞受賞監督であるジェーン・カンピオン(『ピアノ・レッスン』)を製作総指揮に迎え、この衝撃的で感動的なドキュメンタリーを撮ったのは、クリス・シェリダンとパティ・キム監督夫妻。それぞれが新聞記者とキャスターというジャーナリストの顔を持つこの二人は、2002年の小泉総理の初訪朝の記事の中で北朝鮮による拉致問題と、それによって奪われた娘を捜し続ける横田さん夫妻の存在を知り、「この事件、そして横田さん夫妻の愛と勇気をフィルムに収めたいという衝動に駆られた」と語っています。
 因みに私もこの映画の中に登場してきます。

 今回の講演の要旨は、拉致とは?、横田めぐみさん拉致事件について、映画「めぐみ」についてを柱とし、特にめぐみさん事件や映画に出てくるシーンについて、一般には語られていない話をご紹介致しました。

めぐみさん拉致現場とされる「運命のT字路」。事件当時、めぐみさんの匂いを嗅いで歩いていた警察犬の動きが、ここで止まった。事件発生から丁度31年経った昨年11月15日撮影。
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■「映画『めぐみ』上映会・横田夫妻講演会」
 日時  4月4日(土) 14時開演
 場所  平塚市民センター・大ホール
 ゲスト 横田滋さん・早紀江さんご夫妻
 会費  500円
 <お問い合わせ先>
 民主党神奈川県第15区総支部・勝又恒一郎事務所
 TEL 0463-22-9300

■映画 『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』 公式サイト
 http://megumi.gyao.jp/

政経塾長懇談会 「人は信頼を持たない相手には従わない」

 松下政経塾長主催による塾員(政経塾OB・OG)との懇談会が同塾東京事務所(港区六本木)で開催されました。同懇談会は東京以外に大阪など他都市でも開催され、それぞれ近隣地区の塾員が出席しております。テーマは今後の塾のあり方、設立30周年記念行事等でした。

 懇談会の詳細内容は省きますが、話の中で、塾員による現役塾生への指導のあり方について議論が集中する場面があり、その際に私が出席者の皆さんに申し上げました。

(以下発言より)
 皆さんは、塾員が塾生を指導するという前提で話されておりますが、私は逆に塾員が塾生から導かれるようなこともあるのではないでしょうか。
 私の過去の選挙で、後輩諸氏が応援に来てくれました。彼らは最低限の礼儀作法を守りながらも、時に耳の痛い話を私にします。私はそれを素直に聞き入れるようにしています。彼らも私の言うことをよく聞いてくれます。お互いの間に信頼関係があるからです。
 先日あるニュース番組で、陸上自衛隊幹部候補生学校を取り上げたドキュメントが放送されました。その中で、女性教官が学生に向かい、「人は信頼で動く。信頼しない相手には従わないからね。」と話すシーンがありました。
 私の塾生時代を振り返りながら思うことがあります。自らの志を達成していない、あるいは失敗に対する総括が出来ていない先輩が、塾に主担当(指導教官のこと)として来て、君たちの志がどうのこうのと言って、塾生がそれに従えたかということです(ここで同期から、「へるみは主担当をぶん殴ろうとしたことがあった。」とのヤジが飛び、一同爆笑)。
 政治の世界では、選挙という具体的なフィルターにかけられます。一度でも当選の経験が在るならまだしも、そうでない塾員、あるいは様々な事情で志を達成できなかったとしても、そのことに対する総括が出来ていない塾員が、現役塾生の指導に当たるべきではありません。
(発言ここまで)

 最近塾の同期が、以下のような社説を見つけ教えてくれました。毎日新聞の社説からの転載です。

社説:松下政経塾30年 「ブランド化」のわなに陥るな
 政治・経済のリーダー育成を目指し故・松下幸之助氏が創立した松下政経塾(神奈川県茅ケ崎市)が今年、設立30年の節目を迎えた。出身者の国会議員30人を擁する一大勢力に成長し、「ブランド化」の懸念や、その活動に批判的な指摘も聞かれる。とはいえ、2世・3世や元官僚が幅を利かせる政界で非世襲・非官僚の人材ルートを形成した実績は評価したい。
 松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下氏が創設した同塾は79年1月に設立趣意書をまとめ、6月に財団法人として許可された。研修(現在3年)を終えた塾生230人のうち約70人が国会・地方議員や自治体首長で、政治家の養成母体として際立つ。最近も、33歳の前三重県議が松阪市長選で現職を破り、全国最年少市長となった。
 当初、政界の壁は極めて厚く、多くは地方議会に活路を求めた。国政進出の転機は「新党ブーム」で15人が当選した93年衆院選で、選挙活動の協力など一種独特の結束もあり、政界に根付いた。同塾1期生、野田佳彦衆院議員の「風穴を開けた」との自負も誇張ではない。
 出身議員(自民13人、民主17人)には党派を超え改憲志向が目立ち、毎日新聞が次期衆院選の候補予定者に行ったアンケートでも、回答者の85%が9条改憲に賛成だ。松下氏が「無税国家構想」を掲げ政治の効率化を目指した影響もあり、行革推進勢力の一端を担った。
 ただ「政策オタク」「駆け引き下手」など負のイメージもつきつつある。民主党の前原誠司代表、野田国対委員長(いずれも当時)のOB両氏がつまずいた06年の「偽メール」問題は未熟さゆえの挫折だった。
 知名度が高まるほど、選挙出馬の踏み台と考える志望者も増えよう。卒塾し民間勤務などを経ず政界入りすれば、世襲と異なる意味で感覚がずれはしまいか。党の意向に従わず元気が良かった当初のイメージも、最近は薄れつつあるようだ。
 松下氏は一時新党結成を構想するほど、政治の刷新を思い詰めた。出身者の多くが議員バッジをつけたからといって、同氏が目指した「新しい国家経営」が実現したとは言い切れまい。
 同塾は今後、より政治家志望に傾斜し入塾者を選考することを検討している。草創期の「熱さ」を失い、こぢんまりとしたエリートの養成機関となってはつまらない。ブランド化のわなにはまらぬため、人材の選別に相当な工夫がいる。そして、同塾と別のリーダー養成機関も名乗りを上げ、「非世襲」の人材を競い合うことが望ましい。
 (論説委員・人羅 格)

ブログカテゴリー改正

 ホームページのブログ(活動報告)のカテゴリーを改正しました。
 まず活動分野について、従来の「議員活動」「各種活動」から、「議員活動」「地区活動」「政治活動」「趣味その他」に改めました。
 各活動分野における活動事項も改めました。
 「議員活動」では、従来の「区政全般」「建設・街づくり」「交通・環境」「安全安心」に加え、「産業振興・物づくり」「区民文教」「街頭落書き対策」を、また旧「民主党・フォーラム民主」を二分割し、会派部門を「会派業務・政務調査」として設定しました。
 「地区活動」は新設の活動分野で、旧「各種活動」に含まれていた活動事項だった「地域・産業振興」を独立化させたものです。麻布地区のみならず区内各総合支所管内における地区活動を紹介します。
 「政治活動」も新設の活動分野で、従来の「松下政経塾」「北朝鮮・拉致問題」「国民運動」に加え、旧「民主党・フォーラム民主」の党活動部門として「民主党」を、新たに「遊説・集会」を設定しました。
 「趣味その他」は、映画や旅行などの私的趣味を、また「議員活動」と「政治活動」の各活動事項に含まれないものを「その他」として設定しました。
 平成21年度は、益々活動領域が拡大することが予想され、そのためブログのカテゴリーも拡大・改編致しました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

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