Home > 活動報告 > その他

その他

石平先生・加瀬英明先生の出版を祝う会(3日)

020896_P1020896.jpg 「徹底解明!ここまで違う日本と中国」(自由社)の出版と、著者である評論家の石平氏と外交評論家の加瀬英明氏を記念して祝う会が、昨日霞が関ビル35階にある東海大学校友会館で開催されました。

 加瀬先生(上写真 中央)は松下政経塾の元理事で、9年前の都議選では推薦人にお名前を連ねて頂き、私にとり政治の世界における後見人的存在であります。日本会議に入会するきっかけも加瀬先生によるものでありました。
 石平先生(上写真 向かって右)とは、日本会議地方議員連盟の研修会に講師としてご来会以来懇意にして頂いておりますが、命がけで中国民主化運動に取り組まれました。既に日本人に帰化されておられますが、日本人以上に日本を愛する愛国者です。
020920_P1020920.jpg 今回の著書「徹底解明!ここまで違う日本と中国」(下写真)では、相手に悪いと思う日本人と相手が悪いと思う中国人との違い、日中文化の違いはイスラムとキリスト教文明の差より大きいと記されております。
 是非皆様もご一読下さい。

日本会議舟遊び

020134_P1020134.jpg 日頃ご支援頂いている日本会議の皆さんですが、同会議墨田支部と江東支部共催による屋形船懇親会「舟遊び」に、同じく港支部の皆さんと参加致しました。
 港区議会議員からは、保守日本の鈴木洋一団長、水野むねひろ幹事長、それに副幹事長の私が、それぞれの家族も同伴の上、参加致しました。
 船は蔵前から出航死、隅田川を下り、台場に向かい、お台場海浜公園前で一時停泊し、再び隅田川を上り蔵前に戻るおよそ2時間半のコースでした。020140_P1020140.jpg

有名女子アナ自殺について

 昨日、日本テレビアナウンサー、山本真純さんが自殺したニュースを見ました。享年34歳、ご冥福をお祈りします。2月に長男を出産したばかりとのことで、残された子供さんのことを考えますと不憫であります。
 ここ数年、有名女子アナが自殺が続いております。有名人であるだけに、その社会的影響は大きなものがあります。本来人の命に有名無名はないはずですが、このような事件が起きないと、一般の人々の中でも、自殺に関わる問題の大きさを認識できないことは不幸なことであります。

 昨年私は代表質問の際、自殺対策を取り上げました。皮肉なことに、日本テレビの報道番組を見たことがきっかけとなりました。この時初めて知ったのですが、日本における年間の自殺者数は三万人、これは世界で八位、主要国では一位という実態でした。
 港区を初め、全国の自治体で、自殺予防に向けた取り組みが始まっております。以下は、昨年第三回定例会代表質問及び決算特別委員会における質疑の内容です(当時はフォーラム民主に所属)。
における武井雅昭港区長

H21.09.16:平成21年第3回定例会(第1日目)
<山本閉留巳>
 質問八番、自殺対策についてお尋ねします。
 今月十日からきょう十六日までが自殺予防週間です。自殺について誤解や偏見をなくし、正しい知識を普及啓発することを目的に、平成十九年六月に閣議決定された自殺総合対策大綱において、九月十日の世界自殺予防デーにちなんで、毎年九月十日からの一週間を自殺予防週間として設定し、国、地方公共団体が連携して、幅広い国民の参加による啓発活動を強力に推進することとされております。
 我が国における年間の自殺者数は三万人、これは世界で八位、主要国では一位という現状であります。自殺の予防に向け、全国各自治体で取り組みが始まっております。福井県では、自殺予防週間を前に、自殺対策に取り組む県内の自治体職員やボランティアらに、悩みを持つ人たちからの相談の受け付け方を学ぶための研修会が開催されております。専門家の見解では、自殺の原因には地域ごとに違いがあり、自治体には実務的な対応が求められているということ、そして、そのためには国が有する自殺に関する情報を各自治体に伝えていくということ、これが必要であるということであります。自殺については、その原因など関連情報は警察が把握しており、自治体が調査するには難しい問題もあります。
 そこで質問です。平成十八年に自殺対策基本法が施行されて以来、区ではどのような取り組みを進めてきたのか。そして、国や東京都と連携して、今後どのような取り組みを考えているのか。この二つについて、区長の考えをお聞かせ願います。

<武井雅昭港区長>
 次に、自殺対策についてのお尋ねです。
 まず、自殺対策基本法が施行されて以来の区の取り組みについてです。全国の自殺者は十一年連続して三万人を超えております。自殺の背景には、健康問題や、多重債務を含む経済・生活上の問題、家庭や職場の問題等さまざまな要因が絡み合っており、保健所や消費者センターなどの関係部署が協力して対策を推進する必要があります。自殺対策基本法の施行を受け、区では、平成十九年度より、港区精神保健福祉連絡協議会において、自殺対策の一つとして、うつ病の早期発見と早期対応について検討してまいりました。その中で、十月をうつ支援月間と定め、平成二十年度より広報活動を強化しております。今年度はリーフレットの配布・ホームページを通じた情報発信等の普及啓発活動を行うとともに、患者紹介用の区内精神科医療機関名簿を作成し、港区医師会加入医療機関と相談機関に配布いたしました。あわせて、十月二十四日及び二十八日にうつ病の理解と職場復帰支援の講演会の開催を予定しております。
 次に、国等と連携しての今後の取り組みについてです。
 国や東京都の相談事業等の施策を区民が十分活用できるように、精神保健福祉連絡協議会や各種の連絡会で情報を共有するとともに、東京都中部総合精神保健福祉センターなどの関係機関と協力して支援してまいります。また、東京都の人材育成講座等を利用して職員のスキルアップを図るとともに、健康相談や消費者相談などを通じて、適切な情報提供や支援ができるよう、総合的な自殺対策を進めてまいります。

H21.10.02:平成20年度決算特別委員会(第5日目)

◯委員(山本閉留巳君)
 まず質問の1番、うつ病対策に対する取り組みについてお尋ねいたします。今回の定例会本会議におきましての代表質問で、区の自殺対策について区長にお尋ねいたしました。区長からは、自殺対策法の施行を受けて、一昨年度から港区精神保健福祉連絡協議会にて、自殺対策の一つとして、うつ病の早期発見と早期対応について検討してきていること、10月をうつ支援月間と定め、昨年度より広報活動を強化していること、そして、10月下旬に2回、うつ病理解と職場復帰支援の講演会を予定しているというご答弁がございました。
 項1の保健衛生費の中の目1保健衛生総務費の中では、精神保健福祉協議会として支出済額が24万5,361円、不用額が13万639円、また、精神福祉相談として支出済額が260万7,828円、不用額が29万8,172円となっております。そこで質問いたします。
 まず1つは、うつ病に対する取り組みについての実績、評価、それから、今後の検討課題について。それから、もう1つは、うつ支援月間ということで、今月も入っておりますが、区が行う事業の詳細について、それぞれお尋ねいたします。

◯健康推進課長(北村淳子君)
 まず、うつ病に対する取り組みの実績、評価、課題等です。昨年度のうつ病に対する取り組みといたしましては、専門医による精神保健福祉相談、保健師による日常的な相談活動、そして、講演会の開催などとあわせて、10月を港区のうつ支援月間として、うつ病の早期発見と早期対応に向けたPR活動を強化してまいりました。
 うつ支援講演会には155名の方に参加いただき、「わかりやすかった」、「参考になった」と、大変好評いただきました。多くのご意見、感想もいただき、引き続き幅広く、うつ病に対する知識の普及啓発をしていく必要性があると感じております。
 今後の検討課題といたしましては、より幅広い広報の検討と相談員のスキルアップが挙げられます。
 このほか、今年の8月には、患者紹介のための区内精神科、神経科、心療内科の医療機関名簿を医師会所属の医療機関と区内相談機関に配付し、相談活動に役立てております。
 2番目のご質問のうつ支援月間で区が行う事業ということですが、今年度も10月に、「いつもと様子が違うことに気づき、支援のできる人をふやすこと」を目標として、PR活動を強化しております。まず講演会ですが、今年度は10月24日に、男女平等参画センターにおきまして、広く区民に向けたうつ支援の講演会を、また、10月28日には、高輪区民センターで、主にメンタルヘルス担当者を対象としたうつ病休職者の職場復帰に向けた講演会を開催いたします。
 2つ目は、リーフレットの配付です。うつ支援に関するリーフレットを、総合支所やみなと保健所をはじめとした区内各施設で、昨年に引き続き配付します。
 3つ目は、うつ支援月間に関するPRです。広報紙をはじめとしてポスター、ホームページ、啓発グッズなどを配付することにより、広く区民へ啓発活動をしていきたいと思います。

桜とショートケーキ

000357:DSC08330.jpg000358:DSC08337.jpg
 アークヒルズの桜並木は、桜が満開です(左写真 昨日撮影)。
 東京ミッドタウンには、巨大なショートケーキが出現致しました(右写真 本日撮影)。

松涛幼稚園オープンデイ

000292:DSC08114.jpg 母校松涛幼稚園のオープンデイに、母親を連れて行きました。
 同園は、昭和22年(1947年)に、林貞子氏により創立されましたが、平成18年に林園長先生が亡くなられ、また幼稚園も本年を以って閉園となりました。残念です。
 私は、昭和46年(1971年)に、それまで通っていた私立愛育幼稚園から松涛幼稚園に転園し、昭和48年(1973年)に第25回生として卒業致しました。自宅に残る卒園アルバムには、林先生の私へのコメントとして、「その日に起きた出来事を、論理的、科学的に話すことが出来る子」と評していただいております。母曰く、政治やジャーナリズムへの適正を、あの頃から見抜いておられた方だったようです。000293:DSC08108.jpg これまで何度か、周年行事で同園を訪れたことがございましたが、今回のオープンデーが最後の見納めとなりそうです。教室には、各期の卒園写真が飾られ、私の写真も見つけました(左の写真 前列左から3人目)。当時6歳です。
 同級生の皆さんは、慶応・学習院・聖心女子学院などの私立小学校に進まれる方が多かったのですが、私は縁在って地元の区立麻布小学校に進学致しました。
 これまで松涛幼稚園の運営に携わられて来られた皆様に心より敬意を表しますと共に、関係者の皆さん、卒園生の皆さんのご多幸をお祈り申し上げます。

中央業務支援隊創隊10周年

000230.jpg 陸上自衛隊中央業務支援隊の創隊10周年記念祝賀会に、港区防衛親交会顧問として出席して参りました(写真)。
 同隊は、平成12年、防衛庁(当時)の六本木から市ヶ谷への移転に伴い、それまでの檜町駐屯地業務隊、人事統計隊、印刷補給隊、市ヶ谷駐屯地業務隊の4個部隊が統合され発足しました。現在の隊長は新村暢宏陸将補で、市ヶ谷駐屯地司令を兼務しています。隊内は、総務部・人事統計部・印刷補給部から編成されています。また港区防衛親交会や市ヶ谷祭りなど、地域連携業務も担当しております。

葬送 大塚雄司先生

 元衆議院議員、大塚雄司氏が先月亡くなられ、今月16日に本葬、また18日には「お別れの会」が開催され、それぞれ列席させて頂きました。

 港区で生まれ育った者として、物心が付いた頃より、大塚先生のお名前を存じ上げておりました。都議会議員を経て、昭和51年の衆議院議員選挙で初当選されましたが、以来選挙の度に「おおつか ゆうじ!、おおつか ゆうじ!」と連呼して走る宣伝カーをよく見ました。
 昭和60年に行われた東京都議会議員選挙で、当時都議会議員でいらした清原錬太郎候補の演説会がロアビル前で行われ、当時の中曽根康弘首相も応援に来られました。
 私は聴衆の一人として、日の丸の小旗を持って、ロアビル前の階段に立っておりました。首相が到着されるまでの間、大塚雄司衆議院議員が演説されていらっしゃいました。その中で、「投票日の天気が悪いと、投票者数が減り、特定の組織政党に有利な結果となる。皆さん、投票に行って下さい。」と何度も訴えておられました。当時は、現在の様な期日前投票制度が無く、また投票時間も午後6時までとなっておりました。
 あれから四半世紀が経ち、投票に関する制度も改善し利便性も向上しました。しかし時代背景がどうであれ、利便性の善し悪しは別として、民主主義国家の主権者として、投票は権利の行使であり、投票しないことは、権利の放棄であることには変わりありません。「投票に行かなければならない。」大塚先生から最初に学んだ言葉です。
 先生は、3年前の区議会議員選挙の折、私の事務所に来訪されました。事務所の一番奥に、松下幸之助塾主の為書が貼られ、その隣に先生の為書が貼られていたのですが、その光景をご覧になられ、大いに喜ばれたそうです。
 港区から日本の国政発展貢献された大塚雄司先生のご逝去に心より哀悼の意を表しご冥福をお祈り申し上げます。
 合掌

父の墓参(10日)

000150:DSC07490.jpg 父の墓をお参りしました(上写真)。
 場所は、マニラ首都圏の郊外、パラニャーケ市にあるマニラ・メモリアル・パークの中です。パーク内には、27年前に暗殺されたベニグノ・アキノ元上院議員、その妻であるコラソン・アキノ元大統領のお墓もあり参拝しました。

 000151:DSC07536.jpgマニラ市内に移動し、リサール公園に参りました。公園内にはフィリピン独立の英雄、ホセ・リサールの記念塔が立っております。その近くに立つ国旗掲揚塔の土台部分に、1946年独立当時の国会議員の名前が記された碑が在り、その中に私の父親の名前、ヘルミノヒルド・アティエンザの名も彫られております。彼は30代の若かりし頃、独立と建国の理想に燃え、国会議員になったのだと思いますが、同志と共に栄誉を称えられていることに感動を覚えました(中写真)。

000152:DSC07574.jpg その後観光地で有名なサンチャゴ要塞、サンオーガスティン教会を見て周りました。サンオーガスティン教会は400年前に建立された石造りの教会で、フィリピンだけでなく人類の遺産だと思いました(下写真)。

マニラより

 父の墓参のため、昨日19年ぶりにマニラ入りしました。

 日本人の多くが、フィリピン共和国の首都はマニラだと思いますが、英語表記ではMetro Manilaで、私流に直訳するとマニラ都になります。何だか東京都みたいですが、日本の報道機関や旅行用のガイドブック等では、大マニラ市、あるいはマニラ首都圏と表記されておりますので、ここではマニラ首都圏で統一します(因みに東京都の英語表記は、Tokyo Metropolitanです)。
 東京都が23区や26市等で構成されているように、マニラ首都圏も17の市から構成されております。大統領官邸を初め行政機関が集中するマニラ市、大日本帝国の統治が終わり1946年の独立から1976年まで首都が置かれていたケソン市、金融などビジネスの拠点となっているマカティ市、ニノイ・アキノ国際空港や日本大使館が在るパサイ市などが在り、各市にはそれぞれ市庁と市議会が置かれています。

 ソフィテル・フィリピン・プラザホテル・マニラ(旧フィリピン・プラザホテル)にチェックインしました。玄関では宿泊客でも来場者でも構わずセキュリティ・チェック(保安検査)を受けましたが、こんなことは初めてです。そして晴れて入館すると、玄関で民族衣装を着た女性従業員が、相手が日本人でも韓国人でも欧米人でも構わず、「ボンジュール」と声をかけて来ました。フィリピンなのに何でフランス語なのかと思いきや、このホテルは何年か前にフランス資本の傘下になっていたのが理由のようです。
 宿泊客には全員ICカードが手渡されます。ドアキーのためかと初め思いましたが、それだけではなく、エレベータもこのカードが無ければ動かない仕組みで、不特定多数が出入りする可能性があるホテルでありながら、おそらくは保安上の理由かとも思いますが、その不特定多数を規制する経営上の思惑を感じました。

21J他287-7450.jpg チェックイン後、鉄道ファンの血が騒いだか、首都圏内を走る鉄道MRT3(Metro Rail Transit Line 3)に乗りました。1991年に来比した際は、高架鉄道はLRT1(Light Rail Transit 1)の一路線しか運航していませんでしたが、現在は3路線が運行されています。
 始発駅であるタフトアベニュー駅では、乗車券購入前に乗客は全員セキュリティチェックを受けました。これも以前は無かった現象です。また乗車券販売窓口が少ないため長蛇の列が出来ていました。 車両はドイツ製で、一応エアコンも作動しているはずですが、あまりに多くの乗客がいるため、車内は息苦しい環境でした。
 このMRT3でオルティガスに行きました。17市の一つマンダルーヨン市にあるオルティガスは、1990年代以降、マカティ市に次ぐビジネスセンターとして急成長している地域ですが、1986年のエドュサ革命(日本ではフィリピン革命と呼ばれますが)の際、この地区を走るエドュサ通りからマラカニアン宮殿(大統領官邸)へ人々の行進が行われ、それを記念して、1989年に新たにエドュサ教会が建立されました。21J他287-7458.jpg
 MRT3でアヤラ駅まで戻りました。アヤラはフィリピンの財閥の名前で、現在のマカティ市も、元々はアヤラ家の所有地であったと言われております。そのせいか同市のメインストリートはアヤラ通りと呼ばれております。同市にあるインターコンティネンタルホテルは思い出の場所。幼年期にこのホテルにあるレストラン「ジープニーバー」でよく食事をしました。店内にジープニー(米軍ジープを改造した小型バス)を模した座席が置かれているのが特徴のはずだったのですが、ジープニー席は既に撤去され、車両のパーツのみが店内の壁に貼られているだけで残念。21J他287-7464.jpg
 ホテル周辺は、昔は大きな駐車場と大型免税店が一軒あるだけの簡素な環境でしたが、現在はショッピングセンターも複数立ち並び、自動車も増え、鉄道まで走っている状態で、混沌とした街に変貌してしまいました。変わったといえば、かってマニラ湾沿いを走っていたロハス大通りは、椰子の木が立ち並び、フィリピンないしはマニラを象徴する景観でしたが、海は埋め立てられ、木々は切り取られ、単なる大通りに変わっていました。日本で言われているような景観も何もあったものではありません。

 夜ホテルに、従兄弟で元マニラ市長のリト・アティエンザ氏が訪ねて来ました。マニラ圏内で一日感じたことですが、空港は当然としても、ホテルも公共交通機関も、果ては飲食店に至るまで、保安検査が徹底され、良しも悪しきもノー天気なフィリピン社会が、何か安全に対して神経質になっているムードについて、彼に疑問をぶつけてみました。「今はテロの時代。全てテロが原因だ。治安も良くない。」という答えが返ってきました。
 およそ20年ぶりのマニラですが、アロヨ政権下で都市の開発が進む一方、治安悪化に神経を使わなければならない空気を感じました。今年5月には、大統領選挙が行われますが、この国の針路に関心を持ち続けたいと思いました。そして今日、墓参を終えたところですが、その様子は明日以降に掲載します(明日10日に帰国します)。

戦車体験搭乗

000090(DSC07119).jpg 港区防衛親交会の平成21年度戦車体験搭乗(部隊研修)として、陸上自衛隊駒門駐屯地(静岡県御殿場市)を訪れました。
 同駐屯地には、PKOなどのための教育を行う国際活動教育隊、機甲科部隊である第一戦車大隊、対空ミサイル射撃などを行う第一高射特科大隊、工兵部隊である第364施設中隊などが駐屯しております。駐屯地司令には、国際教育活動隊長(連隊長級)が兼務しております。
 駐屯地司令への表敬を終えた後、体験搭乗しました。今回体験搭乗したのが74式戦車です。三菱重工製で、日本の山がちな国土形状に合わせ、戦車の高さや傾きなど自由に制御できる能力を持っております。1974年(昭和49年)から導入されたモデルであることから74式と呼ばれます。大戦前なら形式番号に皇紀を使用していたのですが、戦後は西暦を使用しているのが実情です。国産戦車なのですから、せめて年号を使用してほしいと国民の一人としては思います。
 参加者は、10名程度のグループに分かれ、順次搭乗し、戦車は駐屯地敷地内を巡回しました。やはり軍用だけあって、エンジン音は大きく、また走行中の揺れも相当なものです。特にカーブなどでは、一般車両のように曲がるのではなく、キャタピラ走行のため、徐々に複数回方向転換しながら曲がります。
 搭乗後、運転席に座らせていただきました(上の写真)。戦車内のことについては軍事機密のため公にはできませんが、運転席は私にはとにかく狭いの一言につきます。ただハンドル、ギア、アクセル、ブレーキなどが有る事は、一般車両と同じでした。
 体験搭乗の後、81式短距離地対空誘導弾や対空レーダー装置JTPS-P14の見学も行いました(下の写真)。日本は島国ですので、敵による正面攻撃の場合は、国土に対する着上陸が考えられます。対空装備は、そのための備えの一環であり、必要不可欠な装備であることを、改めて認識致しました。

000091(DSC07185).jpg 今回の研修を主催した港区防衛親交会は、昭和53年(1978年)に設立された団体です。当時防衛庁は六本木に在りました。設立時私はまだ小学生でしたが、母親が教育上必要とのことで、私の名前で会員登録してしまいました。以来会員として活動して参りましたが、議員就任後、同会の顧問就任を依頼されお受けしております。

<関連URL>
防衛省・陸上自衛隊|装備|車両 http://www.mod.go.jp/gsdf/equipment/ve/1_25.html

 

ALL page  1   2   3   4   5 

Home > 活動報告 > その他

フォト
このサイトを検索
アーカイブ
フィード

このページの先頭へ戻る