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その他

【神戸】先祖墓参と春日野墓地協会総会

 先祖の墓参りと春日野墓地協会総会出席のため神戸に来ております。

 午前中、先祖の墓がある春日野墓地を訪れ、先の区議選の結果について報告を行いました。 昼食を、三ノ宮駅近くに在り、名物とんかつで有名な「もん」で取り、同墓地協会総会に向かいました。

 春日野墓地は、徳川家光治世の寛永年間から共同墓地として発足し、今日迄400年近い歴史を有します。私の先祖の墓も、この中に在ります。
 総会では、昨年度の事業・決算・監査報告、新任理事の承認、墓地会館休館日の設定、本年度事業計画・予算案の承認などが議案として提出され、いずれも承認されました。審議時間は2時間半、よくあるシャンシャン総会でなく、会員と役員による積極的な質疑が行われました。
 私からは、法人化に向けての具体案、ホームページの内容の見直しなどについて質問を行いました。

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 総会終了後、久しぶりに異人館をめぐり歩きました。私が訪れた所がトーマス邸、通称風見鶏の館、30数年前のNHKの朝のドラマ「風見鶏」の題名の由来となった家です。100年前に建てられた住宅ですが、現代社会でも頑丈さと風格を守りながら残っている様子には素晴らしいものがあります。

 夜には、北野坂に在るジャズバー「ソネ」に行きました。神戸に来た際には必ず寄る場所です。久しぶりにジャズのセッションを聞きながら至福の時を過ごしました。

<関連URL>
〇 風見鶏の館オフィシャルサイト
〇 欧風料理 もん - 三ノ宮/洋食 [食べログ]
〇 神戸 JAZZ LIVE &レストラン ソネ
〇 神戸の霊園墓地・神戸中心地最短のお墓「春日野墓地」に永代供養墓を新設

麻布小前の紫陽花

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 6月22日、麻布小学校の前で撮影した紫陽花(アジサイ)です。紫陽花は、港区の区花の一つでもあります。

【防衛】港区防衛親交会総会に出席

 今日午後4時から、市ヶ谷にあるグランドヒル市ヶ谷で、港区防衛親交会の総会が開催され、同会顧問として出席致しました。同会顧問には他に、渡辺専太郎港区議会議員(民主)、森野弘司郎前港区議会議員(自民)もおられます。

総会では、前年度の事業報告・決算報告・監査報告、今年度の事業計画・予算案が犠打として審議され、いずれも了承されました。東日本大震災被災地復興のため、自衛隊各部隊が被災地に展開している関係で、例年の行事の内の幾つかが、今年は中止となりました。

 港区防衛親交会は、昭和53年に設立され、私は母の勧めで、12歳という最年少メンバーで入会しました。当時まだ私は麻布小学校の児童で、防衛庁は六本木に在りました。以来同会の活動を通じて自衛隊を身近に感じるようになり、議員当選後、渡辺議員の勧めで顧問に就任致しました。

 総会終了後、懇親会が開催され、陸海空自衛隊市ヶ谷部隊の皆さんからは、被災地の支援状況について様々お話を伺うことが出来ました。また親交会の皆さんから私に、様々な激励の言葉を頂き大変有り難く思いました。

【三笠】復元50周年記念式に参加

0620.jpg  記念艦「三笠」復元50周年記念式に出席致しました。三笠は、日露戦争の終盤の明治38年、日本海海戦でロシアバルチック艦隊を撃退した大日本帝国海軍連合艦隊の旗艦であります。その後大正12年に退役し、同15年以来、記念艦として保存されております。

 式典の主催団体は財団法人三笠保存会です。同会のホームページによれば、現在の三笠保存会は大正15年(1926)世界に誇れる記念艦として生まれ変わった三笠が、昭和20年(1945)大東亜戦争敗戦後の世相の混乱により記念艦としての性格と形態を失い、 極度に荒廃していたのを遺憾とし、これの復元のための募金とその後の各種事業を行うために昭和33年(1958)に設立され、昭和35年に財団法人になったとのことです。
 そして保存会は記念艦三笠を旧態に復して永久にこれを保存し、もって民族精神の高揚に資することを目的とされ、この目的達成ののために行う事業として、
■国の委託を受けて記念艦三笠を維持保管すること。
■記念艦三笠に関係ある記念資料の蒐集、講演会の開催、印刷物の刊行。
■記念艦三笠を広く公衆の観覧に供し又はこれを公共の利用に充てること。
その他とされています。

 午後1時30分より、艦内の講堂で記念式典が挙行され、三笠保存会会長、米海軍第7艦隊司令官、横須賀市長が順に祝辞を述べました。

0647.jpg 艦内は展示館となっており、欧米列強によるアジア植民地化、ロシアによる南下など当時の日本を取り巻く国際情勢が、パネルや模型、当時の資料、実際の砲身などを用いて丁寧に説明されております。また艦橋や甲板にも上がることが出来、日本海海戦において東郷平八郎連合艦隊司令長官が立っていた場所には印が付けられております。ここから当時画期的な戦法とされた丁字戦法、いわゆる「トウゴウ・ターン」を命じ、我が国の勝利に導いたのであります。

0669.jpg 今や欧米列強の侵略はありませんが、中国による海洋覇権、ロシアの南下覇権のそれぞれの拡大など、日本周辺の緊迫した状況は現在も同じです。
 三笠保存会設立発起人総会において、発起人の一人である小泉信三氏(昭和8年 1933年 慶應義塾大学塾長就任)は講演で、「自尊自重の精神の無い国民が、他国人の侮りを受けるのは当然であり、自らを重んずる精神の無いものは、弱小のものに対しては不遜となり、強大なるものに対しては卑屈になることは避けがたいことであります。(中略)この度の三笠保存会の設立により、国民の間で復元気運が高まり、記念館三笠が元の姿に復元され、自尊自重の精神を取り戻すことができることは、申しようもない喜びであります。」と述べられたそうです。
 小泉氏のこの言葉は、今まさに現代の日本人が思い起こさなければいけないものだと思います。私達に自尊自重のせいしんがあるのでしょうか、それを取り戻すべき時代にあるのではないでしょうか。

記念艦「三笠」公式ホームページ

極めて残念なニュースと不愉快なニュース

 先月行われた港区議会議員選挙で、未成年者などの選挙運動員に報酬を支払ったとして、警視庁捜査2課は、今月16日、公職選挙法違反(運動員買収・未成年者使用)の疑いで同区議選候補だった、しまだかずみ(本名 西村和美)容疑者他一名を逮捕しましたた。同課によると、しまだ容疑者らは容疑を認めているとのことです。

 極めて残念なニュースであります。しまださんとは、今から10年前に保守系市民運動を通じて知り合いました。平成13年に行われた都議選で、しまださんは自由党公認候補として大田区で、私は無所属候補として地元港区でそれぞれ立候補しましたが、共に当選を逃しました。その後平成15年の区議選に共に立候補するも、この時もお互い落選、平成19年の区議選では、しまださんは立候補せず、私は当選致しました。
 選挙時には、お互い議席を相争う関係でしたが、人間的には信頼関係を保ち、政策に強い人物として、いずれは港区政に参加されることを期待していた友人です。今回の選挙投開票日から数日して、一度電話で話し、お互いの慰労の言葉をかけあったところでした。 本当に残念です。2年ほど前に、民主党からの出馬を勧めたのは私ですし、新党結成直前に、民主党離党について内々に相談した一人がしまださんでした。起こした罪は罪として償い、更生を期し、ご主人を含め従来の友人関係は残したいと思います。

 もっとも逆風の中、民主党の旗を掲げただけ、彼女は、まだましだと思います。今回の区議選では、民主党公認でありながら、そのことを看板から削除したり、民主党のロゴがほとんど見えにくいようなデザインのポスターを掲示し当選した方もおられます。
 そこへ来て、今度は当選した民主党区議5人の内の4人が、諸派議員一名と共に、民主党名を外した会派名で会派を立ち上げたと聞き、非常に理解に苦しみます。残りの1人は、民主の名を冠した一人会派を立ち上げたと聞きますが、こちらは筋が通っています。
 実はほかの自治体でも、民主党名を会派から外す動きが起きています。それなら、初めから民主党の名前で選挙に出なければいいのではないでしょうか。ほとんどの民主党港区議の一連の動きは、港区民と民主党員への冒涜ではないかと、元民主党所属議員として不愉快に思いました。

ムバラク大統領退陣について

 エジプトのムバラク大統領辞任のニュースが今日一日駆け巡りました。辞任の発表はスレイマン副大統領が行い、大統領の権限は、当面軍最高評議会が担うとのことです。またムバラク氏は、家族と共に紅海沿いの避暑地に移動したことも明らかとなりました。
 チェニジアで起きた政変を機に、この数週間エジプトでの騒乱に対し、早くからアメリカのオバマ大統領は、平和的かつ公正な政権移譲を望む旨、メディアを通じて発表していました。
 新たに権限を掌握した軍評議会は、権力掌握は一時的なものであること、自由で公正な選挙を保証する発表しておりますが、今後の動向は不透明です。

 今回の政変に対して、私は25年前にフィリピンで起きたエドュサ革命を思い出しました。
 永らくマルコス独裁政権が続いたフィリピンでしたが、1983年のアキノ氏暗殺事件を機に徐々に民衆の不満が高まり、1986年の大統領選挙での不正が引き金となり、騒乱に発展しました。この時民衆が集まった場所がエピファニオ・デ・ロス・サントス大通り、略してエドュサ大通りでした。 マルコス政権は軍に対し騒乱鎮圧を命じますが、最終的に軍がこの命令に反し、鎮圧を中断しました。また当時の軍首脳部であったエンリレ国防省やラモス参謀次長も決起し、反乱軍兵士と共にマニラ郊外のアギナルド空軍基地に篭城しました。まさに軍が体制を見限り、民衆の側に付いた瞬間でした。
 最終的にはマルコス大統領夫妻は米軍ヘリで、マラカニアン宮殿を脱出し、独裁体制は終焉を迎えました。

 ところで、この時も米国の対応は早かったと思います。
 当時のレーガン米大統領は、アキノ氏暗殺事件の責任と真相解明を、事件直後からフィリピン側に要求しておりました。今回のエジプト政変におけるオバマ大統領の発言と重なるものを感じます。
 重なると言えば、当時のフィリピンは東南アジアにおける、また現在のエジプトは現在の中東における、それぞれアメリカにとっての重要パートナー国であります今も昔も当然のことながら、米国は自国の権益を中心に発信し行動しているのです。

 今後のエジプト情勢ですが、そう平穏な道筋には思えません。独裁体制が終わったとはいえ、国の安全と社会の秩序を、誰がどのように守るのか。新たに誕生するであろう政権が、これまでの独裁政権下で培われてきた様々な組織、制度、利権などを払拭することが出来るのか。自由になった分だけ様々な政治勢力が乱立すること、特に最大の野党勢力であるとされるムスリム同胞団が、アメリカに対してさほど友好的でないなど、様々な不安定要素があります。

 そして今回のエジプトの政変の余波が訪れるであろう中東に対し、主要国の中でもっとも石油を依存しているのが日本です。ある意味米国以上に権益を意識しなければならないのが日本です。中東情勢は日本の安全のみならず、国民の生活にも影響します。
 政府には、常にそのことを意識していただきたいと思います。

<関連URL>
マニラより

「黒田康作」フジテレビの謝罪コメントについて

 毎週木曜日午後10時放送のフジテレビドラマ「外交官 黒田康作」で、今月3日放送の第4話の冒頭、「番組中、メキシコ大使館に対する誤解を生むシーンが在ったことを謝罪します。」との趣旨のテロップが流れました。私は、フジテレビの姿勢に疑問を感じます。

 ドラマは、織田裕二扮する外務省邦人テロ対策室所属の外交官、黒田康作が主人公。一昨年公開された映画「アマルフィ 女神の報酬」をご覧になられた方もいらっしゃるかと思いますが、映画で描かれた事件から一年後の設定です。東京で起きた殺人事件の容疑者とされた霜村毅(香川照之)がサンフランシスコで自殺。しかし死んだのは別人で、霜村は日系メキシコ人に成りすまし日本に帰国。帰国後、メキシコ大使館が彼を匿い、日本側が同大使館を監視するという設定です。他に大使館員が交通事故の処理を日本外務省に依頼するシーンもありました。
 これらが、メキシコ大使館のイメージを誤らせたと言うのですが、一般の視聴者がそんな誤解をするとは思いませんし、実際メキシコ大使館側から抗議が在ったのか分かりませんが、私はフジテレビ側の過剰反応ではないかと思います。
 大体同じフジテレビが放送していたアメリカのテレビドラマ「24」では、ロサンゼルスの中国領事館もロシア領事館も、悪党の巣窟のように描かれておりますが、それが原因で、米中関係や米露関係が悪化したなどとは聞いたことがありません。
 それにドラマに登場する外務省邦人テロ対策室も、実在の機関であります
 もっと「誤解を招く表現」をするなら、どこの国の大使館も諜報活動の拠点になり得る事は、今や世界の公然の秘密であります。

 ドラマはドラマ、フィクションはフィクション、そこの所を割り切って鑑賞するくらいの余裕があってもいいものです。

尖閣事件 元海上保安官と面会

060572_P1060572.jpg 今朝は雨が降っておりましたが、JR田町駅芝浦口にて、駅頭挨拶を行いました。 

本日都内某所において、昨年の中国漁船による海上保安庁巡視船への衝突行為を収めたビデオを、インターネット上に公開した、元海上保安官に面会しました。
 面会に至る経緯は省略しますが、超党派の議員連盟である創生日本、たちあがれ日本、日本創新党所属の国会議員、地方議員が同席しました。状況を考慮し、敢えてこのブログでは元海上保安官の氏名は公開しませんが、本人の話した内容を以下に掲載します。

 私の立場は、打倒民主ということではありませんし、また特定の党利党略に加担するものでもありません。
 今回の事件を客観的に見てもらいたかった、多くの国民の皆さん、世界の人々、その中には中国の人々も含まれますが、あの海域で何が起きているのか考えてもらいたいとの思いから、あの映像を公開しました。
 国を守ることは、相当な覚悟がいります。それは人から教わるものではありません。だから客観的に見てもらいたいと思いました。こういう問題は、自分で考えないといけないといけません。そしてそれは、日本というものを愛する気持ちにもつながります。
 ビデオの公開は、公務員として国のため、国民のため、65年前に亡くなられた先人のため、そして親として子供ために起こした行為であり、私は何ら恥じることはありません。
 私が残念に思うのは、一連の報道の内容が、事件の本質から逸れて行ったことであります。日本の領域で起きた事件ということよりも、誰がビデオを流したのか、「犯人探し」に関心が集中していったように思えます。そして「犯人」が明らかになった後、潮が引いたように報道が減ったように思います。
 今後事件が風化し、関心も風化していくことが心配です。私は国民として、やれることをやりたいと思うのです。
 報道を通じて感じたのですが、議員の皆さんの前では僭越ですが、野党から与党への追及がぬるかったように思います。もし私を国会に呼んで頂ければ、事実が明らかになったと思います。
 今年の5月頃に、船で中国人活動家が上陸するといった情報が流れています。祖国防衛にご尽力頂いている議員の皆さんのお力に頼りたいです。
 今回の中国船長釈放という結果により、今後同様な事件が発生しても、真実が国民の皆さんに伝わらなくなる可能性があります。現場の海上保安庁職員も、どうしていいのか分からなくなっているのではないでしょうか。
 これまで尖閣諸島にある灯台や航路標識は海上保安庁が管理して来ましたが、最終的には海上自衛隊にお任せせざるを得ないのではないかと思います。もし相手側が潜水艦で迫って来た場合には、海上保安庁では対処できません。海上自衛隊でなければ守れないと思います。
 自民党政権時代も含め、中国漁船への検挙はしない状況が続いております。船長釈放という結果に対し、全ての海上保安庁職員が怒っていると思います。

 お話をうかがい、久しぶりに私心の無い人物に会ったように思います。彼は私より一つ年下で、同じ世代の者として、こういう日本人がいることを、そして先頃まで日本の安全に携わられていたことを、誇りに思います。

<関連記事>
中国漁船による海保巡視船への衝突事件流出ビデオ

平成23年北方領土の日

 ソ連(当時)による我が領土に対する不法占拠から、65年半が過ぎました。
 2月7日は北方領土の日です。毎年この日は、全国から民族派団体の街宣車が終結し抗議活動が行われるのですが、今年は例年に比べて静かな状況であったように思います。それでも、私の実家付近の飯倉片町交差点から外苑東通り沿いに進み、ロシア大使館前、そして飯倉交差点に至るエリアでは、警備に当たる機動隊などの警察官による厳戒体制が敷かれておりました。
 これまでも、このブログで掲載しましたが、なぜこの日が北方領土の日といわれているのか、以下ご説明します。

 1855年(安政元年)12月21日、現在の静岡県下田市において、日露通好条約が締結されたことにより、日露両国の国境が確定されました。この12月21日というのは旧暦で、現在の2月7日に当たります。
 この条約により、樺太(サハリン)は日露両国の雑居地となり、千島列島に関しては、択捉(エトロフ)・得撫(ウルップ)の両島の間に国境線が引かれました。現在我が国が択捉島を含む北方4島が日本領であると主張する根拠はここにあります。
 先の大戦で、1945年8月15日に日本が連合国側に降伏したにも関わらず、ソ連は国際法に違反し、千島列島への上陸を行い、そのまま北方4島を不法占拠し、今日に至っています。

 昨今ロシアのメドベージェフ大統領が国後島に上陸したり、北方4島のロシア軍を増強するし背を示すなど、ロシア側による実効支配を固定化する動きが表面化しております。

 このような事実を今一度皆さんにも考えて頂きたいと思います。
 北方領土は、日本固有の領土です。

060563_P1060563.jpg 今夜、ゆりかもめお台場海浜公園駅北口にて、区政報告「街頭報告 全区版平成23年2月4日号 号外」配布活動を行いました。


松下幸之助墓所を参拝

060084_P1060200.jpg 毎年年頭に行っている松下幸之助墓所を参拝しました。

 まず神戸に在る私の先祖の墓参りに向かいましたが、この日は名古屋・岐阜・滋賀各県の大雪の影響で、新幹線のダイヤが大幅に狂い、70分遅れで神戸に着きました。
 神戸では、この時期にしてはいつになく冷たい風が強く吹き、花を指すの筒の中の水が凍っているような状態でした。

 神戸を後に松下墓所の在る和歌山に向かいましたが、ここでも神戸と同様冷たい風が強く吹いておりました。前回この地を訪れた時は、昨年の3月でした。私は政治家として重大な決断をする時は、必ずこの墓所を訪れることにしております。この時は、民主党を離党するか否か、新党結成に参加するか否か、最終決断を行うべく参拝致しました。
 今年は、4月に行われる港区議会議員選挙を控え、必勝祈願と決意表明を墓前で誓いました。参拝後、墓所近くに在る「松下幸之助生誕の地」記念碑を訪れました。

 夕方、帰京を前に大阪で、阪神淡路大震災当時、避難所で共に活動したボランティア仲間と懇親会を行いました。当時大学生であった人達は、公務員、会社員、海外NGOスタッフとして、また半ばやんちゃな女子高生だった子は主婦となり、子供が今年小学校に入学するようになっていました。明日で震災から16年ですが、歳月というものを感じました。

 帰りも行きと同じで新幹線ダイヤが大幅に混乱し、品川駅に着いた時は午前2時になっておりました。

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