Home > 活動報告 > その他

その他

【ご案内】公式サイト改築へ

いつも大変お世話になっております。
さて、私の公式サイトですが、この度模様替えを行うこととなり、暫くの間、ブログの更新は行わないことになりました。
リニューアル終了後、改めましてご案内させていただきます。
なお日々の活動については、下記ご案内のとおり、フェイスブックにてご報告致しますので、こちらの方もどうぞよろしくお願い申し上げます。

■へるみちゃんねる
 http://www.youtube.com/user/herumi41

■フェイスブック
 https://www.facebook.com/yamamotoherumi

【早慶明】ジャズフェスティバルを鑑賞

2612104502:ブログ用写真.jpg昨日、大森ベルポート1階アトリウムで開催された早慶明3大学対抗ジャズフェスティバルを鑑賞しました。
10年ほど前から、明治大学OBとして、何時か鑑賞して来ました。
今年は、接戦の末、我が明治大学が優勝しましたが、早稲田大学も慶應義塾大学も素晴らしい演奏を披露してくれました。

国展を鑑賞

2612103502:ブログ用写真.jpg 六本木に在る国立新美術館で開催されている第88回国展を鑑賞して来ました。
元々絵画鑑賞の趣味はさほど無く、これまで印象に残ったのは、ヒロ・ヤマガタ氏の作品しかありませんでしたが、今回とても充実した気分になりました。最も印象的だったのは、稲垣考二氏の「雛壇」。何人もの同じ顔の同じ髪型の女性が様々な表情を見せており、30年以上前のYMOのアルバム「増殖」の表紙を思い出しました。

【みどりの日】自宅に国旗掲揚

2612103703:写真①ブログ用.jpg 自宅に掲揚致しました。大型連休中含め、祝祭日には、必ず日本国旗を掲揚します。

【ご挨拶】日本維新の会東京都事務局長を退任

 皆様いつも大変お世話になっております。

 平成26年3月15日開会の日本維新の会東京都総支部執行役員会の議決を経て、私山本閉留巳は、日本維新の会東京都総支部事務局長を退任致しました。
 一昨年12月の衆議院議員選挙を前に、総支部の前身ともいうべき東京維新の会に庶
務担当として参加、その後昨年1月10日に日本維新の会東京都支部(当時)の設立され初代事務局長に就任致しました。同支部は、その後日本維新の会第一回党大会での議決により、同年4月1日に東京都総支部と改称されました。
 就任以来1年3ヶ月近くに渡り、不束な事務局長でありましたが、皆様のお支えにより職務を全うすることができました。この場をお借り致しまして、心より御礼申し上げます。
 後任には、昨年夏の東京都議会議員選挙に立候補された栗下善行氏が即日就任致しまし
た。栗下氏は東京維新の会に都議会議員として参加されていた人物であり、東京都総支
部の機能を一層高めて頂けるものと確信しております。

 今後ですが、まず同執行役員会で新たに総支部幹事への就任が了承されました。主に
国民運動を所管することになり、引き続き慰安婦像設置問題、国際反日プロパガンダ対
策、北朝鮮拉致問題等について、同総支部の責任者としての活動を進めて参ります。
 また来年行われます港区議会議員選挙(統一地方選挙)への準備に入り、三年前に失った議席を取り戻すための活動も進めたいと思います。

 これまでの皆様からのご厚意への感謝を申し上げ、ご自愛をお祈りしつつ、今後ともご指導ご鞭撻の程偏にお願い申し上げます。

 平成26年3月15日
 
 山本閉留巳

【年頭挨拶】本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

【年末挨拶】本年もお世話になりました

 いつもお世話になっている皆様、応援頂いている皆様、本年もお世話になりました。
 
 1月の日本維新の会東京都総支部事務局長に就任以来、東京都議会議員選挙に備えた公募等の準備活動、6月の都議会議員選挙本選、そして続く7月の参院選、11月の葛飾区議選そして12月の東久留米市長選と慌ただしい日々でございましたが、皆様のご協力に心より感謝申し上げます。
 また港区長を会長とする港区生活安全協議会の一員として、区内の各地区生活安全活動推進協議会、東京入国管理局、区内警察署・消防署などの関係機関、防犯協会、消防団等の皆様と、区の生活安全についての施策や方針などの決定に参加させていただきました。

 私事で年末に肺炎を患い、多くの皆様にご心配をおかけ致しました。皆様からのご激励の頂きましたお蔭により、年末の精密検査で、今回の症状はほぼ完治していることが明らかになりましたが、今後も定期的な精密検査を受ける必要があるとの処方でした。

 改めまして、この一年間の皆様からの御恩に感謝申し上げたく存じます。どうか良い新年をお迎え頂くことを心よりご祈念申し上げます。
.

【訃報】佐藤勝巳氏ご逝去

 前北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)会長で、元現代コリア研究所所長でいらした佐藤勝巳氏が、12月2日にお亡くなりになりました。享年84歳。今日、特定失踪問題調査会が発行している調査会NEWSで訃報を知りました。

 私が拉致被害者救出運動に関わるようになったのが平成10年(1998年)、池袋で開催された集会に参加したことがきっかけでした。その後も集会に度々参加し、翌年には不肖私が代表となって北朝鮮に誘拐された日本人を救う青年の会(その後、北朝鮮に拉致された日本人を救出する青年の会に改称)を立ち上げました。
 救出を呼びかける街頭署名活動、外務省前や自民党本部、河野外相(当時)自宅前での抗議活動を開催する中で、様々なご指導をやお力添えを賜りました。
 また私事ですが、議員に立候補する際には推薦人としてお名前を頂いたこともございました。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【私事報告】

 いつも大変お世話になっております。私事ですが、下記のとおりご報告致します。

 先週の18日(月)・19日(火)の両日に高熱を発し、当時は風邪と思い込んで、仕事をお休み致しておりました。
 熱が下がり、翌20日より業務復帰致しましたが、背中にわずかな痛みを覚え、寒い季節なので関節痛位に考えておりました。
 しかしこの痛みが日に日に拡大し、今週26日未明には激痛を発し、呼吸も困難な状態に陥りましたため、港区内の総合病院で検査を受けました。
 激痛箇所が右背中であったことから、腎臓結石を疑いましたが(実は今から24年前に尿管結石を患っております)、尿検査、血液検査、CT検査、レントゲン検査の結果、幸いにも石は見つかりませんでした。
 しかし右肺の下部に、炎症により水が少量ながら溜まっている胸膜炎の症状が新たに判明致しました。
 この炎症が激痛と発熱を発症しており、冒頭の当初風邪とみられた症状も、この胸膜炎の可能性であることをが医師より指摘されました。
 当面定期的な薬の服用により痛みと熱を抑える治療を受けることになり、残念ながら飲酒も、暫く厳禁とされました。

 皆様方との各種活動は継続致しますが、日中時折通院する場合があり、またこの間電話が不通になりますことをお許し頂きたいと思います。
 本来私のような立場の者が、自らの体調について公にすることに、様々な思いがございましたが、お支え頂いている皆様に真実をお話しすることが、正しい選択と思い、今回の公表に至りました。
 改めまして御心配をおかけ致しましたことをお詫び申し上げますと共に、今後ともご指導ご鞭撻の程偏にお願い申し上げます。

 平成25年11月28日
    山本閉留巳

【自動車】東京モーターショーを見学

2566003201:東京モーターショー①(25-11-24).jpg2566003202:東京モーターショー②(25-11-24).jpg
 東京ビッグサイトで開催された第43回東京モーターショー2013を見学しました。
 私の今の立場で車なんてもってのほかですが、見て楽しむ、想像して楽しむのはいいことだと思います。
 お気に入りのポルシェ(ターボS)の前で一枚撮りました。

【六本木】ハゼ釣りの会

20131028193750.jpg2566002802:ブログ用写真.jpg
 六本木倶楽部の皆さんと、ハゼ釣りに出かけました。場所は木更津沖です。
 一昨年に続き、今回が二回目の参加です。釣りの経験は全くありませんが、地元のお仲間の皆さんと楽しく時間を過ごしました。
 船は、港区浜松町に在る船宿から出航、古川河口から東京湾に出るのですが、満潮時に重なるため、JRや道路の橋梁下を航行する際、頭上ぎりぎりの状態で進みました。

【誕生日】47歳になりました。

 私事ですが、10月5日をもって47歳となりました。
日頃お世話になっている皆様に心より感謝を申し上げます。
 前日、東麻布かかし祭りの会場となった、東麻布イースト通り商店街を歩いていたところ、区民の方より「お誕生日おめでとう。」とお声掛けいただきました。また日本維新の会東京都総支部の役員の方からも、激励のメールを賜りました。
 そして本日、六本木や西麻布の有志の皆様が、誕生会を開いて下さいました。
 20歳から30歳よりも、30歳から40歳の時の方が、同じ十年間でも早く感じたものでしたが、40歳以降さらに、そのスピードが増している印象です。一日一日を大切に過ごして行かなければならないと感じておりますが、決意を新たに日々過ごして参りたいと思います。
 今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【料理】キッシュとフランス風お惣菜

2573102202:フランス料理写真(ブログ用画像).JPG
abcクッキング 東京ミッドタウンで、キッシュとフランス風お惣菜に挑戦致しました。

 惣菜には、チキンのガランティーヌ、サーモンのベリーヌ仕立て、焼きリンゴのマルカルポーネと盛り沢山。調理時間もかかり、結構苦労致しました。

【料理】ミルカツ定食に挑戦

2573100702:ブログ投稿写真.jpg abcクッキング 東京ミッドタウンで、ジューシー•ミルカツ定食に挑戦しました。
 メインディッシュのミルカツは、豚肉をミルフィーユのように重ねて巻いて揚げた物です。薄く切った豚肉を20枚から24枚ほど、順序良く重ね、人数分で切り、巻いて行く作業が、簡単そうに見えて、結構手間のかかる作業でした。

【料理abc】旅するおいしいイタリア

2573082985:ブログ用料理写真.JPG2573082986:ブログ用デザート写真.JPG

 ABCクッキングスタジオのplus international(東京ミッドタウン)スタジオにて、授業を受けました。今回のメニューは、「旅するおいしいイタリア」で、生ハムとモッツレラのカルツォーネ、鯛のアクアパッツア、冷たいカポナータ(以上左写真)、カッサータ~レモンアンドグレーズソース~(右写真)でした。
 一般参加の女性お二人と地元の先輩男性との4人チームでチャレンジしました。カルツォーネは生地の捏ねる作業に力がいりました。アクアパッツアは鯛の焼き方や具の入れ方がやや複雑で苦労しました。

【電車】東急田園都市線(渋谷~溝の口)

 平成25年8月20日、東京急行電鉄田園都市線の、渋谷駅から溝の口駅まで、急行列車に乗車しました。

【尖閣】(番外編)漂流議連のマッタリトーク!

 実は一年前の今日、私は尖閣からの寄港中、東シナ海を漂流しておりました。その時同じく落選中のあまめいし要一郎前武蔵村山市議会議員とのトークを含めた現場の様子です。

【料理】とろ~り温玉つくねの満足和食

2566081012:「とろ~り温玉つくねの満足和食」写真(ブログ版).jpg およそ一年ぶりに料理教室(ABCクッキングスタジオ)に通いました。今回は教室の一つ、東京ミッドタウン内に在るplus international(東京ミッドタウン)スタジオに向かい、標題のとおり「とろ~り温玉つくねの満足和食」に挑戦しました。

2566081011:「とろ~り温玉つくねの満足和食」写真(ブログ版).jpg 料理の中味は、アスパラつくねに温玉のせ、彩り和サラダ、海老と枝豆の茶碗蒸し、抹茶わらび餅の4品。
 中でも料理のメインともいうべきつくねをこねる作業は、意外に力が入りました。

ご挨拶

暑い日が続くかと思いきや、急な雨模様に見舞われるなど、変化の激しい天候が続く毎
日ですが、皆様お変わりなくお過ごしのことと存じます。

今年の3月以降、ブログの更新が止まったままとなっておりました。大変ご無沙汰致しております。
6月に東京都議会議員選挙、続く7月には参議院議員選挙と続き、皆様の生活にも様々影響が起きていたものと存じます。私も日本維新の会東京都総支部事務局長として、準備期間も含めそれぞれの選挙戦の現場に、微力ながら関わらせて頂く貴重な機会を賜りました。これらの機会に出会いました皆様とのご縁を、これからも大切にして参りたいと思います。
この間、特に地元港区の皆様には、地域の活動に必ずしも十分貢献し切れなかったこと
を申し訳なく存じます。今後は、維新の会の仕事を続けつつ、区民の皆さんとの絆を取
り戻して参りたいと思います。

日頃区の内外でお世話になっている皆様には、ご存じのとおり、一昨年の港区議会議員
選挙で、私はあと30票で再選に至らず次点に終わりました。この二年間、何が自分に
足りなかったのか自問自答する日々を過ごして参りましたが、このまま諦めるわけには
参りません。
平成25年8月1日を皮切りに、二年後の再挑戦の時期を見据え、再び地元の皆様のご負託
に応えられるよう活動を起こすことと致しました。一人でも多くの皆様の声に耳を傾け
、その声を港区政の現場に送り届けることが出来るよう努力して参ります。そして港区
から維新のうねりを起こし日本の維新につなげて参りたいと思います。

至らぬ所も多々ございますが、これまでの皆様からのご恩に感謝しつつ、何としてもお
力添えを賜りながら、次の戦いには必ず勝利致しますので、どうか今後ともご指導ご鞭
撻の程偏にお願い申し上げます。

平成25年8月1日

前港区議会議員
山本 へるみ

【年頭挨拶】本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

【年末挨拶】今年もお世話になりました

 お世話になっている皆様、応援頂いている皆様、一年間大変お世話になりました。
 
 今年は、消防団在籍20年表彰(1月)、六本木倶楽部会長就任(2月)、石原尖閣購入発言への支持活動(4月)、中国大使館員違法事案(6月)、尖閣諸島視察(8月)、日本創新党解党(9月)、麻布地区の生活安全と環境を守る協議会会長就任(10月)、日本維新の会への合流(11月)、衆議院総選挙(12月)と、様々な出来事がございました。
 地域では、地元の皆様より様々なお役を賜り、また政治では、新しい党への参加が実現しました。
 来年もこれらの流れを、さらに発展、充実化させていく一年となりそうです。新年の目標は、「克己」、己に打ち勝つことであります。どうぞ変わらずのご指導ご鞭撻の程偏にお願い申し上げます。

 そして皆様もどうぞ良い年をお迎え下さい。

【趣味】人生初めての経験

0061.jpg0062.jpg
 この度、生まれて初めて、料理教室なる場所を訪問致しました。西麻布にお住いのご婦人方のご紹介で、皆さんと共に、ABC Cooking Studio + m GINZAスタジオへお邪魔致しました。
 今回のメニューは、ペンネとアボガドの和え物、それに手作りパンでした。一つ一つのプロセスを教わりながら進みましたが、これが結構おもしろい。昨今の施策でも、食育のことが重要視されており、その意味でも勉強になりました。

<参考URL>
男性も通える料理教室 | ABC Cooking Studio +m

【訃報】宮田義二氏ご逝去

 宮田義二(みやた・よしじ 享年88歳)元松下政経塾長が、今月22日にお亡くなりになりました。謹んで哀悼の意を表します。

 宮田氏は、鉄鋼労連元会長で、開塾当初から理事を務められ、昭和62(1987)年から平成12(2000)年3月まで、松下政経塾塾長でいらっしゃいました。
 既に家族葬が6月26日執り行われており、後日お別れの会が行われる予定とのことです。
 宮田氏との出会いは、昭和63年(1988年)の夏、当時明治大学4年生であった私が、松下政経塾第十期入塾試験の最終選考の時でした。一ツ橋に在る如水会館で行われた面接試験ので、私は初日の一番目の受験者で、大変緊張したことを覚えております。この時の面接審査委員には、既にお亡くなりになられておりますが、ノンフィクション作家の上坂冬子さんも同席いらっしゃいました。
 最後にお目にかかりましたのは、平成18年、宮田氏が旭日重光章を叙勲された時のことです。都内で開かれる叙勲祝賀会のため、私が塾出身者を代表して、ご自宅までお迎えに行った時のことです。この時、初めてご子息が、同じ年の春に先立たれたことを知りました。

 改めて宮田義二塾長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

【スパイストーリー】 ③ 中国大使館員違法事案

 中国大使館に勤務する李春光一等書記官が、外国人登録法違反(虚偽申請)と公正証書原本不実記載及び同行使により、書類送検されました。書記官は、同庁からの出頭要請を拒否し、帰国しました。
 各種情報によれば、警視庁公安部が、同書記官を中国人民解放軍の情報機関「総参謀部第2部」所属と把握していたこと、松下政経塾特別塾生や東京大学東洋文化研究所研究員として日本に滞在していた経験が有ること、鹿野道彦農林水産大臣や筒井信隆同大臣らが進めていた対中農産物輸出事業に関わっていた疑惑などが明らかになっています。対中輸出の件では、民主党鹿野グループ所属の衆院議員の公設秘書が、農水省顧問に任命され、その後昨年7月に設立された社団法人農林水産物等中国輸出促進協議会の代表理事に就任しています。

 さて同書記官が、元政経塾生ということで、年齢は私と同じですが、彼が入塾(二十期)したのが平成11年(1999年)で、私の後輩ということになります。在塾当時の彼の肩書は、中国社会科学院日本研究所研究員。
 松下政経塾では、これまで中国に限らず、アメリカ、欧州、アジアの各国から、海外インターン(特別塾生)を何人も受け入れて来ました。私が入塾(十期)した平成元年(1989年)にも、中国外交部から韓志強氏が半年間在塾しておりました。彼は現在、在日本国中華人民共和国公使として、日本に在留しております。因みに野田首相も政経塾一期生であり、この時期に彼が公使として日本に派遣されて来たことに関心があります。関心と言えば、警察を所管する松原仁国家公安委員長も政経塾二期生で、取り締まる側と取り締まられる側の双方が、塾関係者という構図となりました。
 政治に関わる一員として、外国人と接触する場合には、それなりの心構えが必要出ると思います。例え相手の国が日本の同盟国であっても同じです。増してや、我が国と統治制度、すなわち自由主義と共産主義の違いがあること、人権問題や領土問題への考え方に明確な相違がある国となれば、一層注意をする必要があります。
 もちろん日本に滞在、在留している外国人のすべてが、スパイだと言うつもりはありませんが、もし我が国の国益や安全を損なう有害活動が明らかになれば、法治国家として、厳正な対応が必要であります。昨日も書きましたが、日本には諜報活動自体を取り締まる法体系が、未だ整備されておりません。この事実を、国民の皆さんにも、ご理解をして頂きたいと思います。

 同じく世紀塾の後輩で、28期生の宇都隆史参議院議員が、今回の事件について、日本文化チャンネル桜にビデオメッセージを投稿しておりますので、ご紹介致します。

【スパイストーリー】 ② 外事警察 その男に騙されるな

24062667.jpg 映画『外事警察 その男に騙されるな』を鑑賞しました(左写真=映画パンフ)。

 原作は、麻生幾さんの『外事警察 CODE:ジャスミン』、出演は、渡部篤郎さん、真木ようこさん、尾野真千子さん(6月9日ブログ記事参照)。
 国際テロから我が国を守るために暗躍する警視庁公安部外事第4課。朝鮮半島から濃縮ウランが流出したとの情報が入る。同じ頃、東日本大震災の被災地に在る大学の研究室から、軍事関連のデータも盗まれた。核テロの脅威を確信した警察庁警備局は、"公安の魔物"と畏れられ、警察を追放されていた住本(渡部篤郎)を、内閣情報調査室より呼び戻し、捜査に当たらせる。住本を中心とする捜査チームは、日本に潜伏する「あの国」の工作員、奥田を監視下に置く。そしてその妻、果織(真木ようこ)を協力者(=スパイ)として取り込む。一方、韓国国家情報院(NIS)も在日潜入捜査官に極秘捜査の指令を出す。外事警察と韓国NIS、そしてテログループによる壮絶な情報戦が始まった。
 目的の為なら民間人でもスパイに仕立てる。例えそれが捜査対象者の親族であっても躊躇しない。すべては日本の平和と国益のため。きれい事では済まされない、諜報の世界の現実が、エンターテイメントとして、見事に映像表現されていました。この映画の制作には、元外事警察間も監修役として参加していたそうです。

 外事4課は架空の設定ですが、警視庁公安部には、実際に外事第一課から三課までの機関は実在します。中でも二課は中国や北朝鮮による対日有害活動(=工作活動)を、三課は国際テロ活動を、それぞれ捜査対象としています。その活動の多くは、一般には明かされてはおりませんが、十数年前から拉致被害者救出運動を通じて、彼らの活動の一端を見る機会がありました。現場の捜査員たちは、我が国の安全と平和を守るために活動しています。
 我が国は以前から"スパイ天国"と呼ばれ、工作員活動を取り締まる法律が整備されていません。いつまでこのような状態が続くのでしょうか。

<参照URL>
【書籍】外事警察 コードジャスミン
(平成24年6月 9日記事)

映画『外事警察 その男に騙されるな』公式サイト

【スパイストーリー】 ① PACK OF LIES

 今日から三日間、スパイに関わる記事を、連続して投稿します。

24062666.jpg 劇団俳優座 LABO 公演 vol.30 PACK OF LIES -うそ ウソ 嘘- を、六本木をきれいにする会の皆さんと共に観劇して来ました(左写真:公演パンフ)。
  同会が毎週金曜日夜に六本木交差点周辺で行う清掃活動に、今回の出演者である清水直子さんと小林亜美さんが参加されていることがご縁となり、今回の観劇となりました。
 1961年に英国で実際に発生したポートランドスパイ団事件を題材に、同国の劇作家ヒュー・ホワイトモアが、1983年に制作した作品です。
 1950年代、ロンドン郊外に住むジャクソン一家。夫ボブ、妻バーバラ、娘ジュリーの参院家族でした。そして隣にピーター・クローガー、ヘレン・クローガー夫妻が移り済んで来ました。夫婦は自宅を拠点に、本の発送業務を仕事にしていると周辺住民を信じ込ませ、中でもジャクソン一家とは家族ぐるみの付き合いが続いていました。
 ある時、ステュワートと名乗る紳士がジャクソン家を訪ね、彼とその部下である女性に、暫くの間、不審者を警戒するため、ジャクソン家の部屋を貸してほしいと申し出ます。やがて彼らの監視対象がクローが夫妻であること、ステュワートとその部下の女性がMI5、すなわち英国内務省保安局の職員であること、そしてクローが夫妻が実はソビエトの情報機関、KGB(国家保安委員会)のスパイで、英国海軍の水中兵器に関わる軍事技術に対する諜報活動を行っていたことが判明。因みに夫妻は、後年明らかとなる英国内におけるソビエト情報網、いわゆるポートランドスパイ団の中枢を担っていました。
 信頼していた隣人が、実はスパイであったこと、英国人として、このままMI5に協力し続けるべきか否か、ジャクソン一家の苦悩が続く様子が、見事に演じ切られていました。またMI5がジャクソン一家を取り込む術として、わざと怒りを買う様な言動を吐いたり、相手に反論せず頷いて見せたり、あるいはわざと違う事実を示すなど、実際に諜報の世界で行われるような人心操作術も表現されていました
 1961年、クローガー夫妻は逮捕され、裁判の結果、懲役20年を宣告されましたが、1969年、英ソ両国によるスパイ交換で、東側に送られました。その後の二人の消息は分かりません。

<関連URL>
清水直子(劇団俳優座)公式ブログ 『梨と猫』
劇団俳優座こばやしあみのこにゃにゃちはブログ♪
MI5 The Security Service(英語)

【明大】明治大学校友会東京南部支部

 明治大学のOB組織、明治大学校友会の東京南部支部の総会が、駿河台に在る同大アカデミーコモンで開催され、卒業生の一人として参加して参りました。

【北朝鮮】弾道ミサイル発射

 本日朝、北朝鮮が弾道ミサイル(テポドン2号改か)を発射致しました。これは、「北朝鮮に対し、いかなる核実験又は弾道ミサイル技術を使用した発射もこれ以上実施しないことを要求する。」との内容を含む国際連合安全保障理事会決議第1874号違反であります。
また飛翔予定ルートが、先島諸島上空に設定されていたことなど、我が国の安全保障上感が出来ない事態であります。
 政府においては、従来総理の発言に有った「自制を求める」などという消極的な姿勢ではなく、北朝鮮が今後これに類する行為を出来なくするよう、あらゆる措置を講じることを、日本国民の一人として求めます。

◇参照リンク
国際連合安全保障理事会決議第1874号 和訳 (官報告示外務省第328号(平成21年6月19日発行))

【六本木】交通安全運動/【麻布】麻布小入学式

24040620.jpg 春の交通安全運動が始まり、今日から六本木交差点では、六本木町会による歩行者安全誘導ボランティア活動が行われております。
私は六本木倶楽部会長として、初日である今日と最終日の13日の朝、午前7時50分から8時20分まで六本木交差点角に立ち、歩行者の安全誘導に努めます。特に麻布小学校のスクールゾーンでもあるので、同小の児童達の登校には、気を配りたいと思います。

24040626.jpg その後、午前10時から挙行されました平成24年度港区立麻布小学校入学式に来賓参列致しました。卒業生として、新一年生たちの健やかなる成長を見守りたいと思います。

【追悼】二谷英明氏逝去

 俳優の二谷英明さんが、今月7日に亡くなられました。享年81歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 二谷氏が理事を務めていたNGO日本国際救援行動委員会(佐々淳行理事長)のボランティアとして、平成6年暮れから翌7年年頭まで、カンボジアで小学校を建設する活動でご一緒させていただきました。
 カンボジア市内の安宿に宿泊し、進んで現場活動に勤しむお姿に、年齢を感じさせない元気さと志の高さに、私は感銘致しました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

【正月特集】街を歩く ④ 六本木交差点からの帰り道

 元日未明、六本木交差点から麻布台への帰路の様子を撮影致しました。

【正月特集】街を歩く ③ 六本木交差点・六本木ヒルズ

元日未明、六本木交差点から六本木ヒルズを回り、街の様子を撮影致しました。

【正月特集】街を歩く ② 麻布台から六本木へ

 年明け後、麻布台から六本木まで歩き、街の様子を撮影致しました。

【正月特集】街を歩く ① 麻布台から東麻布へ

 平成24年1月1日、年明け後、麻布台から東麻布まで歩き、街の様子を撮影致しました。

新年のご挨拶 東京タワーライトアップ

 新年あけましておめでとうございます。
 飯倉片町交差点より、東京タワーの新年ライトアップの様子を撮影致しました。

【視察】大阪 塚本幼稚園を視察

1897.jpg 日本創新党所属議員、同前議員、同党友議員による視察のため、大阪に参りました。視察先は、学校法人塚本幼稚園幼児教育学園(籠池靖憲園長)です。

 まずは朝礼。私達も参加を許され、松浦芳子杉並区議会議員から順に各議員が、園児の前で挨拶をしましたが、園児たちは「よろしくお願いします!」と応え、礼儀正しさを感じました。
 その後、国歌斉唱、教育勅語、五箇条の御御誓文の唱和と続きましたが、幼児たちがスラスラと唱和する姿に感動しました。日本の教育の原点として、この部分にも私達は意識を持たなければならないのではないかと思いました。
 音楽体操と瞑想が行われ朝礼が終了致しました。

 園児達は朝礼後、グループに分かれ、それぞれ授業を受けておりました。園舎では、「維新の間」(教室名)で論語の授業が、「聖徳の間」(同)では将棋の授業が行われておりました。
 論語の授業では、先生の続いて論語の朗読が行われていましたが、教科書には仮名のルビが付けられ、幼児でもすぐに読めるような工夫がされておりました。
 将棋の授業では、各園児達の前に将棋盤が置かれ、先生の指導の元、実践的な講義が行われていました。
 幼稚園から通りを隔てた位置にある公園ではラグビーの授業が行われておりました。紅組白組に分かれ、男女混合による試合が行われておりました。女性教員が「どんくさいことやってたら負けるよ!」とか「油断してたら、どんどん入ってこられるんです!」と檄を飛ばしていたのですが、このあたりは、今の我が国とどこかの国との関係を彷彿させるものがありました。

 一連の教育活動を拝見して、日本人としての自覚、文武両道の推進、今の日本の教育にかけているものを強く認識した次第です。大変有意義な視察でした。視察の様子は、後日動画サイトにアップ致します。 

【政経塾】100行軍激励

0257.jpg 松下政経塾毎年恒例の、100キロ行軍訓練の出陣式に、来賓として出席致しました。この訓練は、政経塾の公式研修プログラムの一つで、新入塾生を24時間かけて、100キロを徒歩で踏破させる内容です。正に自分との闘い、自分を自分の力で超越できるか否か、自らに課せられる課題です。
 私は、毎年その出陣式のお招きにあずかっております。式典で、松下政経塾の塾是、塾訓、五誓の唱和を行うのですが、その音頭役を担っております。
 式典終了後、塾生たちは元気に出発しました。後からの報告で、24時間後全員無事完歩したとのことでした。参加された皆さん、お疲れ様でした。

※写真・出陣式で、新人塾生と共に塾是等の唱和

【国政】野田佳彦新首相誕生について

 昨日行われた民主党代表選挙において、野田佳彦財務大臣が、新しい代表に選出されました。そして本日の衆議院及び参議院における内閣総理大臣指名選挙において、第95代62人目の日本国内閣総理大臣に指名されました。
 今後正式には、天皇陛下による任命を受けて、正式に首相就任ということになり、それまでは報道各社とも、野田氏を新首相、菅氏を首相と表記しております。

 野田新首相は、松下政経塾の一期生で、同塾出身者初の総理誕生となりました。私も同塾出身者(10期生)の一員として、野田先輩の首相ご就任を、心よりお祝い申し上げます。
 新首相との出会いは、今から24年前、昭和62年の千葉県議会議員選挙の時であります。当時私は明治大学3年生で、自由民主党の学生部に所属しておりましたが、同選挙前に部長の逢沢一郎衆議院議員より、「僕の政経塾の同期が、今度千葉から県議選に出馬するので、手伝ってほしい。」と言われ、選挙区である船橋に向かいました。
 事務所は、津田沼駅から歩いて数分のところにある空き地に建てられたプレハブ小屋。ここでボランティアの皆さんを中心に活動されておりました。私自身は告示期間前の数日しか入れませんでしたが、ポスター貼り協力へのお願い、駅頭でのビラ配りなどのお手伝いをさせていただきました。
 初めての選挙体験でしたが、現在の私自身の選挙の原型が、この時創られました。新首相には大変失礼ですが、当時の野田佳彦千葉県議会議員候補予定者の知名度は、ほとんどゼロで、まさか24年後に内閣総理大臣に就任されるとは、夢想だにしませんでした。やはり人生とは、どうなるものなのか分からないもので、その間多くの労苦を超えられたものと察します。

 私は以前より、国会議員を志す方には、まず地方議員を一期か二期経験してほしいと思っております。単なる風や、相手のエラーつつきだけで国会議員になっても、庶民の生の声を受け止められるだけの力があるとは思えないからです。地方議員出身の総理として、新首相には、あの頃の初心を忘れないで国務に邁進して頂きたいと思います。


【麻布】麻布地区納涼盆踊り大会/sayaさんコンサート

0135.jpg 麻布地区納涼盆踊り大会が開催されました。
 毎年運営側の一員として参加しておりますが、今年は準備作業日である前日が党大会と重なり、櫓の組立作業に参加できなかったのが残念。しかし当日会場のテント張りには加わることが出来ました。
 今年の盆踊りには、麻布小の同窓生も家族連れで例年以上に参加する姿が見られました。久し振りの再会で、中にはすぐに顔と名前が一致しないような場面もあり、面白かったです。

 ところで、私は盆踊りを終盤で中座し、会場と六本木交差点を挟んで反対側、丁度芋洗坂にあるライブハウスSTB139に向かい、友人で歌手のsayaさんのコンサートを鑑賞いたしました。
 コンサートのテーマは、『「日本の心をうたう」CD発売記念&上條恒彦さんを迎えて 童謡詩人金子みすゞを詠む with 塩入俊哉(pf) 〜 sayaの音楽流星群 in STB139 〜』でした。

<関連サイト>
saya official site

【神戸】メモリアルパーク訪問/【和歌山】松下塾主墓所参拝

0960.jpg0966.jpg
 神戸入り二日目の今日、午前中は神戸港震災メモリアルパークを訪問しました。ここは阪神淡路大震災発生時に陥没した桟橋の一部を、公園として保存している場所であります(左上写真)。
 メモリアルパークの近くの神戸市の様子も撮影しました(右上写真)。あの震災から今年で16年、神戸は復興しています。今から10数年後、東日本大震災被災地も力強く復興していることを祈るばかりです。

 午後和歌山に移り、松下政経塾創設者、故松下幸之助塾主墓所を参拝し、先の区議選の結果を報告致しました。

【神戸】先祖墓参と春日野墓地協会総会

 先祖の墓参りと春日野墓地協会総会出席のため神戸に来ております。

 午前中、先祖の墓がある春日野墓地を訪れ、先の区議選の結果について報告を行いました。 昼食を、三ノ宮駅近くに在り、名物とんかつで有名な「もん」で取り、同墓地協会総会に向かいました。

 春日野墓地は、徳川家光治世の寛永年間から共同墓地として発足し、今日迄400年近い歴史を有します。私の先祖の墓も、この中に在ります。
 総会では、昨年度の事業・決算・監査報告、新任理事の承認、墓地会館休館日の設定、本年度事業計画・予算案の承認などが議案として提出され、いずれも承認されました。審議時間は2時間半、よくあるシャンシャン総会でなく、会員と役員による積極的な質疑が行われました。
 私からは、法人化に向けての具体案、ホームページの内容の見直しなどについて質問を行いました。

0954.jpg0949.jpg
 総会終了後、久しぶりに異人館をめぐり歩きました。私が訪れた所がトーマス邸、通称風見鶏の館、30数年前のNHKの朝のドラマ「風見鶏」の題名の由来となった家です。100年前に建てられた住宅ですが、現代社会でも頑丈さと風格を守りながら残っている様子には素晴らしいものがあります。

 夜には、北野坂に在るジャズバー「ソネ」に行きました。神戸に来た際には必ず寄る場所です。久しぶりにジャズのセッションを聞きながら至福の時を過ごしました。

<関連URL>
〇 風見鶏の館オフィシャルサイト
〇 欧風料理 もん - 三ノ宮/洋食 [食べログ]
〇 神戸 JAZZ LIVE &レストラン ソネ
〇 神戸の霊園墓地・神戸中心地最短のお墓「春日野墓地」に永代供養墓を新設

麻布小前の紫陽花

0888.jpg0891.jpg
 6月22日、麻布小学校の前で撮影した紫陽花(アジサイ)です。紫陽花は、港区の区花の一つでもあります。

【防衛】港区防衛親交会総会に出席

 今日午後4時から、市ヶ谷にあるグランドヒル市ヶ谷で、港区防衛親交会の総会が開催され、同会顧問として出席致しました。同会顧問には他に、渡辺専太郎港区議会議員(民主)、森野弘司郎前港区議会議員(自民)もおられます。

総会では、前年度の事業報告・決算報告・監査報告、今年度の事業計画・予算案が犠打として審議され、いずれも了承されました。東日本大震災被災地復興のため、自衛隊各部隊が被災地に展開している関係で、例年の行事の内の幾つかが、今年は中止となりました。

 港区防衛親交会は、昭和53年に設立され、私は母の勧めで、12歳という最年少メンバーで入会しました。当時まだ私は麻布小学校の児童で、防衛庁は六本木に在りました。以来同会の活動を通じて自衛隊を身近に感じるようになり、議員当選後、渡辺議員の勧めで顧問に就任致しました。

 総会終了後、懇親会が開催され、陸海空自衛隊市ヶ谷部隊の皆さんからは、被災地の支援状況について様々お話を伺うことが出来ました。また親交会の皆さんから私に、様々な激励の言葉を頂き大変有り難く思いました。

【三笠】復元50周年記念式に参加

0620.jpg  記念艦「三笠」復元50周年記念式に出席致しました。三笠は、日露戦争の終盤の明治38年、日本海海戦でロシアバルチック艦隊を撃退した大日本帝国海軍連合艦隊の旗艦であります。その後大正12年に退役し、同15年以来、記念艦として保存されております。

 式典の主催団体は財団法人三笠保存会です。同会のホームページによれば、現在の三笠保存会は大正15年(1926)世界に誇れる記念艦として生まれ変わった三笠が、昭和20年(1945)大東亜戦争敗戦後の世相の混乱により記念艦としての性格と形態を失い、 極度に荒廃していたのを遺憾とし、これの復元のための募金とその後の各種事業を行うために昭和33年(1958)に設立され、昭和35年に財団法人になったとのことです。
 そして保存会は記念艦三笠を旧態に復して永久にこれを保存し、もって民族精神の高揚に資することを目的とされ、この目的達成ののために行う事業として、
■国の委託を受けて記念艦三笠を維持保管すること。
■記念艦三笠に関係ある記念資料の蒐集、講演会の開催、印刷物の刊行。
■記念艦三笠を広く公衆の観覧に供し又はこれを公共の利用に充てること。
その他とされています。

 午後1時30分より、艦内の講堂で記念式典が挙行され、三笠保存会会長、米海軍第7艦隊司令官、横須賀市長が順に祝辞を述べました。

0647.jpg 艦内は展示館となっており、欧米列強によるアジア植民地化、ロシアによる南下など当時の日本を取り巻く国際情勢が、パネルや模型、当時の資料、実際の砲身などを用いて丁寧に説明されております。また艦橋や甲板にも上がることが出来、日本海海戦において東郷平八郎連合艦隊司令長官が立っていた場所には印が付けられております。ここから当時画期的な戦法とされた丁字戦法、いわゆる「トウゴウ・ターン」を命じ、我が国の勝利に導いたのであります。

0669.jpg 今や欧米列強の侵略はありませんが、中国による海洋覇権、ロシアの南下覇権のそれぞれの拡大など、日本周辺の緊迫した状況は現在も同じです。
 三笠保存会設立発起人総会において、発起人の一人である小泉信三氏(昭和8年 1933年 慶應義塾大学塾長就任)は講演で、「自尊自重の精神の無い国民が、他国人の侮りを受けるのは当然であり、自らを重んずる精神の無いものは、弱小のものに対しては不遜となり、強大なるものに対しては卑屈になることは避けがたいことであります。(中略)この度の三笠保存会の設立により、国民の間で復元気運が高まり、記念館三笠が元の姿に復元され、自尊自重の精神を取り戻すことができることは、申しようもない喜びであります。」と述べられたそうです。
 小泉氏のこの言葉は、今まさに現代の日本人が思い起こさなければいけないものだと思います。私達に自尊自重のせいしんがあるのでしょうか、それを取り戻すべき時代にあるのではないでしょうか。

記念艦「三笠」公式ホームページ

極めて残念なニュースと不愉快なニュース

 先月行われた港区議会議員選挙で、未成年者などの選挙運動員に報酬を支払ったとして、警視庁捜査2課は、今月16日、公職選挙法違反(運動員買収・未成年者使用)の疑いで同区議選候補だった、しまだかずみ(本名 西村和美)容疑者他一名を逮捕しましたた。同課によると、しまだ容疑者らは容疑を認めているとのことです。

 極めて残念なニュースであります。しまださんとは、今から10年前に保守系市民運動を通じて知り合いました。平成13年に行われた都議選で、しまださんは自由党公認候補として大田区で、私は無所属候補として地元港区でそれぞれ立候補しましたが、共に当選を逃しました。その後平成15年の区議選に共に立候補するも、この時もお互い落選、平成19年の区議選では、しまださんは立候補せず、私は当選致しました。
 選挙時には、お互い議席を相争う関係でしたが、人間的には信頼関係を保ち、政策に強い人物として、いずれは港区政に参加されることを期待していた友人です。今回の選挙投開票日から数日して、一度電話で話し、お互いの慰労の言葉をかけあったところでした。 本当に残念です。2年ほど前に、民主党からの出馬を勧めたのは私ですし、新党結成直前に、民主党離党について内々に相談した一人がしまださんでした。起こした罪は罪として償い、更生を期し、ご主人を含め従来の友人関係は残したいと思います。

 もっとも逆風の中、民主党の旗を掲げただけ、彼女は、まだましだと思います。今回の区議選では、民主党公認でありながら、そのことを看板から削除したり、民主党のロゴがほとんど見えにくいようなデザインのポスターを掲示し当選した方もおられます。
 そこへ来て、今度は当選した民主党区議5人の内の4人が、諸派議員一名と共に、民主党名を外した会派名で会派を立ち上げたと聞き、非常に理解に苦しみます。残りの1人は、民主の名を冠した一人会派を立ち上げたと聞きますが、こちらは筋が通っています。
 実はほかの自治体でも、民主党名を会派から外す動きが起きています。それなら、初めから民主党の名前で選挙に出なければいいのではないでしょうか。ほとんどの民主党港区議の一連の動きは、港区民と民主党員への冒涜ではないかと、元民主党所属議員として不愉快に思いました。

ムバラク大統領退陣について

 エジプトのムバラク大統領辞任のニュースが今日一日駆け巡りました。辞任の発表はスレイマン副大統領が行い、大統領の権限は、当面軍最高評議会が担うとのことです。またムバラク氏は、家族と共に紅海沿いの避暑地に移動したことも明らかとなりました。
 チェニジアで起きた政変を機に、この数週間エジプトでの騒乱に対し、早くからアメリカのオバマ大統領は、平和的かつ公正な政権移譲を望む旨、メディアを通じて発表していました。
 新たに権限を掌握した軍評議会は、権力掌握は一時的なものであること、自由で公正な選挙を保証する発表しておりますが、今後の動向は不透明です。

 今回の政変に対して、私は25年前にフィリピンで起きたエドュサ革命を思い出しました。
 永らくマルコス独裁政権が続いたフィリピンでしたが、1983年のアキノ氏暗殺事件を機に徐々に民衆の不満が高まり、1986年の大統領選挙での不正が引き金となり、騒乱に発展しました。この時民衆が集まった場所がエピファニオ・デ・ロス・サントス大通り、略してエドュサ大通りでした。 マルコス政権は軍に対し騒乱鎮圧を命じますが、最終的に軍がこの命令に反し、鎮圧を中断しました。また当時の軍首脳部であったエンリレ国防省やラモス参謀次長も決起し、反乱軍兵士と共にマニラ郊外のアギナルド空軍基地に篭城しました。まさに軍が体制を見限り、民衆の側に付いた瞬間でした。
 最終的にはマルコス大統領夫妻は米軍ヘリで、マラカニアン宮殿を脱出し、独裁体制は終焉を迎えました。

 ところで、この時も米国の対応は早かったと思います。
 当時のレーガン米大統領は、アキノ氏暗殺事件の責任と真相解明を、事件直後からフィリピン側に要求しておりました。今回のエジプト政変におけるオバマ大統領の発言と重なるものを感じます。
 重なると言えば、当時のフィリピンは東南アジアにおける、また現在のエジプトは現在の中東における、それぞれアメリカにとっての重要パートナー国であります今も昔も当然のことながら、米国は自国の権益を中心に発信し行動しているのです。

 今後のエジプト情勢ですが、そう平穏な道筋には思えません。独裁体制が終わったとはいえ、国の安全と社会の秩序を、誰がどのように守るのか。新たに誕生するであろう政権が、これまでの独裁政権下で培われてきた様々な組織、制度、利権などを払拭することが出来るのか。自由になった分だけ様々な政治勢力が乱立すること、特に最大の野党勢力であるとされるムスリム同胞団が、アメリカに対してさほど友好的でないなど、様々な不安定要素があります。

 そして今回のエジプトの政変の余波が訪れるであろう中東に対し、主要国の中でもっとも石油を依存しているのが日本です。ある意味米国以上に権益を意識しなければならないのが日本です。中東情勢は日本の安全のみならず、国民の生活にも影響します。
 政府には、常にそのことを意識していただきたいと思います。

<関連URL>
マニラより

「黒田康作」フジテレビの謝罪コメントについて

 毎週木曜日午後10時放送のフジテレビドラマ「外交官 黒田康作」で、今月3日放送の第4話の冒頭、「番組中、メキシコ大使館に対する誤解を生むシーンが在ったことを謝罪します。」との趣旨のテロップが流れました。私は、フジテレビの姿勢に疑問を感じます。

 ドラマは、織田裕二扮する外務省邦人テロ対策室所属の外交官、黒田康作が主人公。一昨年公開された映画「アマルフィ 女神の報酬」をご覧になられた方もいらっしゃるかと思いますが、映画で描かれた事件から一年後の設定です。東京で起きた殺人事件の容疑者とされた霜村毅(香川照之)がサンフランシスコで自殺。しかし死んだのは別人で、霜村は日系メキシコ人に成りすまし日本に帰国。帰国後、メキシコ大使館が彼を匿い、日本側が同大使館を監視するという設定です。他に大使館員が交通事故の処理を日本外務省に依頼するシーンもありました。
 これらが、メキシコ大使館のイメージを誤らせたと言うのですが、一般の視聴者がそんな誤解をするとは思いませんし、実際メキシコ大使館側から抗議が在ったのか分かりませんが、私はフジテレビ側の過剰反応ではないかと思います。
 大体同じフジテレビが放送していたアメリカのテレビドラマ「24」では、ロサンゼルスの中国領事館もロシア領事館も、悪党の巣窟のように描かれておりますが、それが原因で、米中関係や米露関係が悪化したなどとは聞いたことがありません。
 それにドラマに登場する外務省邦人テロ対策室も、実在の機関であります
 もっと「誤解を招く表現」をするなら、どこの国の大使館も諜報活動の拠点になり得る事は、今や世界の公然の秘密であります。

 ドラマはドラマ、フィクションはフィクション、そこの所を割り切って鑑賞するくらいの余裕があってもいいものです。

尖閣事件 元海上保安官と面会

060572_P1060572.jpg 今朝は雨が降っておりましたが、JR田町駅芝浦口にて、駅頭挨拶を行いました。 

本日都内某所において、昨年の中国漁船による海上保安庁巡視船への衝突行為を収めたビデオを、インターネット上に公開した、元海上保安官に面会しました。
 面会に至る経緯は省略しますが、超党派の議員連盟である創生日本、たちあがれ日本、日本創新党所属の国会議員、地方議員が同席しました。状況を考慮し、敢えてこのブログでは元海上保安官の氏名は公開しませんが、本人の話した内容を以下に掲載します。

 私の立場は、打倒民主ということではありませんし、また特定の党利党略に加担するものでもありません。
 今回の事件を客観的に見てもらいたかった、多くの国民の皆さん、世界の人々、その中には中国の人々も含まれますが、あの海域で何が起きているのか考えてもらいたいとの思いから、あの映像を公開しました。
 国を守ることは、相当な覚悟がいります。それは人から教わるものではありません。だから客観的に見てもらいたいと思いました。こういう問題は、自分で考えないといけないといけません。そしてそれは、日本というものを愛する気持ちにもつながります。
 ビデオの公開は、公務員として国のため、国民のため、65年前に亡くなられた先人のため、そして親として子供ために起こした行為であり、私は何ら恥じることはありません。
 私が残念に思うのは、一連の報道の内容が、事件の本質から逸れて行ったことであります。日本の領域で起きた事件ということよりも、誰がビデオを流したのか、「犯人探し」に関心が集中していったように思えます。そして「犯人」が明らかになった後、潮が引いたように報道が減ったように思います。
 今後事件が風化し、関心も風化していくことが心配です。私は国民として、やれることをやりたいと思うのです。
 報道を通じて感じたのですが、議員の皆さんの前では僭越ですが、野党から与党への追及がぬるかったように思います。もし私を国会に呼んで頂ければ、事実が明らかになったと思います。
 今年の5月頃に、船で中国人活動家が上陸するといった情報が流れています。祖国防衛にご尽力頂いている議員の皆さんのお力に頼りたいです。
 今回の中国船長釈放という結果により、今後同様な事件が発生しても、真実が国民の皆さんに伝わらなくなる可能性があります。現場の海上保安庁職員も、どうしていいのか分からなくなっているのではないでしょうか。
 これまで尖閣諸島にある灯台や航路標識は海上保安庁が管理して来ましたが、最終的には海上自衛隊にお任せせざるを得ないのではないかと思います。もし相手側が潜水艦で迫って来た場合には、海上保安庁では対処できません。海上自衛隊でなければ守れないと思います。
 自民党政権時代も含め、中国漁船への検挙はしない状況が続いております。船長釈放という結果に対し、全ての海上保安庁職員が怒っていると思います。

 お話をうかがい、久しぶりに私心の無い人物に会ったように思います。彼は私より一つ年下で、同じ世代の者として、こういう日本人がいることを、そして先頃まで日本の安全に携わられていたことを、誇りに思います。

<関連記事>
中国漁船による海保巡視船への衝突事件流出ビデオ

平成23年北方領土の日

 ソ連(当時)による我が領土に対する不法占拠から、65年半が過ぎました。
 2月7日は北方領土の日です。毎年この日は、全国から民族派団体の街宣車が終結し抗議活動が行われるのですが、今年は例年に比べて静かな状況であったように思います。それでも、私の実家付近の飯倉片町交差点から外苑東通り沿いに進み、ロシア大使館前、そして飯倉交差点に至るエリアでは、警備に当たる機動隊などの警察官による厳戒体制が敷かれておりました。
 これまでも、このブログで掲載しましたが、なぜこの日が北方領土の日といわれているのか、以下ご説明します。

 1855年(安政元年)12月21日、現在の静岡県下田市において、日露通好条約が締結されたことにより、日露両国の国境が確定されました。この12月21日というのは旧暦で、現在の2月7日に当たります。
 この条約により、樺太(サハリン)は日露両国の雑居地となり、千島列島に関しては、択捉(エトロフ)・得撫(ウルップ)の両島の間に国境線が引かれました。現在我が国が択捉島を含む北方4島が日本領であると主張する根拠はここにあります。
 先の大戦で、1945年8月15日に日本が連合国側に降伏したにも関わらず、ソ連は国際法に違反し、千島列島への上陸を行い、そのまま北方4島を不法占拠し、今日に至っています。

 昨今ロシアのメドベージェフ大統領が国後島に上陸したり、北方4島のロシア軍を増強するし背を示すなど、ロシア側による実効支配を固定化する動きが表面化しております。

 このような事実を今一度皆さんにも考えて頂きたいと思います。
 北方領土は、日本固有の領土です。

060563_P1060563.jpg 今夜、ゆりかもめお台場海浜公園駅北口にて、区政報告「街頭報告 全区版平成23年2月4日号 号外」配布活動を行いました。


松下幸之助墓所を参拝

060084_P1060200.jpg 毎年年頭に行っている松下幸之助墓所を参拝しました。

 まず神戸に在る私の先祖の墓参りに向かいましたが、この日は名古屋・岐阜・滋賀各県の大雪の影響で、新幹線のダイヤが大幅に狂い、70分遅れで神戸に着きました。
 神戸では、この時期にしてはいつになく冷たい風が強く吹き、花を指すの筒の中の水が凍っているような状態でした。

 神戸を後に松下墓所の在る和歌山に向かいましたが、ここでも神戸と同様冷たい風が強く吹いておりました。前回この地を訪れた時は、昨年の3月でした。私は政治家として重大な決断をする時は、必ずこの墓所を訪れることにしております。この時は、民主党を離党するか否か、新党結成に参加するか否か、最終決断を行うべく参拝致しました。
 今年は、4月に行われる港区議会議員選挙を控え、必勝祈願と決意表明を墓前で誓いました。参拝後、墓所近くに在る「松下幸之助生誕の地」記念碑を訪れました。

 夕方、帰京を前に大阪で、阪神淡路大震災当時、避難所で共に活動したボランティア仲間と懇親会を行いました。当時大学生であった人達は、公務員、会社員、海外NGOスタッフとして、また半ばやんちゃな女子高生だった子は主婦となり、子供が今年小学校に入学するようになっていました。明日で震災から16年ですが、歳月というものを感じました。

 帰りも行きと同じで新幹線ダイヤが大幅に混乱し、品川駅に着いた時は午前2時になっておりました。

不条理内閣

 第二次改造管内閣が発足しました。

 今回の人事で衝撃的であったのが、与謝野馨氏が、それまで共同代表を務めていた、たちあがれ日本を離党し、経済財政担当相として入閣したことです。昨年末頃から与謝野氏が非公式に管首相と接触し、その後民主党政権から、たちあがれ日本への連立打診が明らかになりました。
 この連立構想は、最終的にはご破算となりましたが、政権を数合わせで何としても維持しようとする政権側の意図が明確になりました。左派的色彩を濃くしてきた民主党政権の動きを阻止しようと結成された、たちあがれ日本でしたから、そもそも連立自体が成立するわけがありませんでした。連立をもちかける方も持ちかける方ですが、受ける方も受ける方です。
 確かに政治家には様々な判断を求められますが、少なくても私の中には、このような判断はありません。しかも、保守再生と結集をめざして、自民党を離党され新党結成に合流した同氏が、なぜ相反する立場に立つ政権に参加するのか、これもまた私の理解を超えております。
 与謝野氏が就任した経済財政相の前任者は、同じ東京一区から当選している海江田万里氏です。改造で海江田氏は経済産業大臣に横滑りとなりましたが、会見で「人生は不条理」と発言しました。私が元民主党議員であるからではありませんが、今回の海江田氏の心情は、察するにはあまりあるかと思います。

 新内閣に求めることは、今年も昨年同様、負債が収入を上回る予算となりましたが、このようなバラマキ支出が目立つ政策を、一日も早く見直すことであります。13日の記事にも書きましたが、このままでは、日本は、あと数年で、純債務国に転落するおそれがあります。そうなっては、この国はおしまいです。

前原外相「北朝鮮と直接対話」発言について

 前原誠司外務大臣が、今月4日の記者会見で、北朝鮮との直接対話に意欲を表明しました。大臣の発言に対して、朝鮮中央通信が10日、「肯定的な動き」と評価する報道を行いました。

 前原氏は松下政経塾8期生で、私が10期生として在住時代、同じ寮室におられた先輩です。
今から5年前、前原氏は民主党代表選に立候補し、当時対立候補だった管直人氏と僅か2票差で勝利しました。
 代表就任後、当時六本木に在った松下政経塾東京事務所で、前原氏が講義を行う塾出身者による勉強会が開催され、私も同席しました。
 質疑応答の際、私は拉致問題への対応について質問しました。これに対し、前原氏は、平成13年(2001年)の都議選に私が立候補し、その応援弁士として大雨の中、麻布十番商店街入口で行われた街頭演説会のことを引き合いに出しました。この演説会には、拉致被害者横田めぐみさんのご両親、横田滋さんと早紀江さんも参加されておりました。当時は、まだ「拉致疑惑」と世間ではいわれていた時代です。
 答えの中で、前原氏は演説会のこと言いながら、「その山本へるみ君の前で申し訳ないが、私は北朝鮮とは、まず国交正常化を図るべきだと考える。そして国交正常化の後、拉致問題解決のために、北朝鮮側と交渉に入るべきだと考えている。」と述べました。
 この「日朝国交正常化後、拉致解決のための交渉」という考え方は、今の同氏の中で生きており、今回の発言の根底をなしているものと考えられます。


今年の字は「無」 無から有の新年へ

 平成22年も、あと12時間ほどとなりました。この記事は正午前の投稿です。
 来年「免許の書き換え」のある身としては、この年末正月関係なく仕事を続けている状態です。今日もこの後、区内でポスティングを行った後、午後からNHK前で開催される、頑張れ!日本主催の街頭演説会に向かいます。
 明けてから、元旦は近隣の飯倉熊野神社への参拝が、新年の活動第一号となります。神社前では、お世話になっている東麻布の町会の皆さんが、恒例の甘酒振る舞い会を開催しています。2日は、箱根駅伝に出場する明治大学選手応援のため、早朝から新橋の交差点で場所取りを行います。

 さてこちらも恒例の、私にとっての今年の字は「無」です。
 9月に発生した尖閣諸島沖における中国漁船による領海侵犯事件では、早々に乗組員を、その後には船長まで釈放し、法治国家としての責任を果たす気が無い、相手国に日本の主権を堂々と訴える気が無い、領土領海を本気で守る気が無い、国民に真実を公表する気が無い。衝突ビデオをネットに暴露した海上保安官の行為は義挙と思いますが、その精神が我が政府には無い。
 国債の発行残高が、日本の総資産を上回るようになっているにも関わらず、国の収支を正していこうとする気が無い、マニフェストに囚われて経済の実態を見ようとする意思が無い、そもそもマニフェスト自体に無理が無かったのか検証する勇気が無い。
 国のかたちを考える、変えるといいながら、その具体的な方向性を国民に知らせようとする誠意が無い、北朝鮮への経済制裁を訴えながら、朝鮮学校無償化の正当性を説明する気が無い、北朝鮮による韓国砲撃では、当たり前の情報収集を指示するだけで、北朝鮮への明確な国家の意思を伝えようとしない、在留邦人の保護を言及しようともしない。
 管総理の姿勢は、失礼ながら「無い無いづくし」であります。表情を拝見する限り、本気で総理を続ける意思が在るのか無いのか、この国を本気で建て直そう、そして諸外国から守ろうとする意志が在るのか無いのか、全く分かりません。
 先ほど「免許の書き換え」と表現しましたが、来年は統一地方選挙が行われます。現状では、国民の皆さんの意思を表明する唯一の機会かもしれません。日本人の意思を明らかにすることこそ、国家の意思を明らかにすることになります。無から有へ、そういう新年にしたいものです。
 皆さんも、どうぞ良い年をお迎え下さいますようお願い申し上げます。

 平成22年12月31日

港区議会議員               
日本創新党国民運動本部長、地方議員会副会長

山本 閉留巳

市ヶ谷駐屯地・基地餅つき大会

060042_P1050738.jpg 市ヶ谷駐屯地・基地主催による餅つき大会に、港区防衛親交会顧問として参加しました。

石垣市議による尖閣上陸について

 石垣市議会の仲間均、箕底用一、両議員が、今月10日、尖閣諸島南小島に上陸しました。

 実は仲間議員とは縁が在り、今から13年前、平成9年(1997年)、当時の文部省の助成事業として、石垣島で領土問題をテーマに青年・学生を中心とする集会が開催され、その時にお世話になった方です。
 この集会で、私は現在チャンネル桜のキャスターをされている濱口和久氏と共に主催者として参加し、講師には作家で元海上自衛官の惠隆之介氏をお招きしました。
 宿舎として、仲間議員が主宰する空手道場で三日間、参加者の皆さんと雑魚寝しました。滞在期間中台風が襲来を経験しましたが、道場の外壁に風雨が激しく当たり、東京では経験しない本場の台風の威力を体感しました。

 さて今回の両議員の行動を、私は支持したいと思います。
 上陸した南小島はの正式住所は、沖縄県石垣市字登野城2390で、行政上は石垣市に属している場所です。全国の自治体議員には、それぞれの行政区内に限り調査権を保有しております。私の場合は港区議会議員として、港区内における区政調査権が在り、この権限に基づき日頃の議員活動を行っております。
 今回の目的は、固定資産税に関する現地調査等とのことですので、当然市政調査権に基づく行動です。当該島には埼玉県在住の土地所有者がおり、政府はその所有者から土地を借りて「実効支配」を行っておりますが、所有者には納税の義務が発生します。上陸前に両議員は政府に対し、当該島に上陸する旨通報しておりますが、これに対し政府は何ら反応しなかったとのことです。

 さて海上保安庁が両議員に事情聴取を行っているようですが、この後どのような「処分」が行われるのか、あるいは「処分」自体が行われるのか自体疑問です。
 まず今回の両議員の行動は市政調査権の行使という公務であること、現場立ち入りに土地所有者または借受人(政府)の許可を得る義務は無いこと、議員のような公人でなくても私人が個人の土地に入ることは日常生活の中でも起き得ること、これらを考えると、とても立件は無理かと思います。
 しかもこれが一番大きい事項ですが、既に石垣市議会では、尖閣列島に対する上陸調査について議決を行っております。地方自治法第100条で、議会は当該普通地方公共団体の事務に関する調査を行う、とされております。
 仮に海上保安庁から那覇地方検察庁に送検されても、領海侵犯した中国人を処分保留のまま釈放という「前歴」が在る以上、両議員だけを起訴することは難しいのではないでしょうか。せいぜい軽犯罪法違反、科料1万円という意見も有りますが、そうなると先ほどの石垣市議会の議決に対する挑戦であり、逆に石垣市議会に対し、海上保安庁と那覇地方検察庁が公務執行妨害を働いたことにもなりかねません。
 今後も事態を注視して参りたいと思います。

<参考URL>
尖閣諸島現地視察報告:石垣市議会議員 仲間均 活動ブログ

赤坂に宇宙戦艦ヤマト登場!

060007_P1050267.jpg 宇宙戦艦ヤマトの実写版、スペースバトルシップヤマトの公開を記念して、赤坂サガスにヤマトが登場しました。
 とっても、これは模型であります。マニアック議員である私も早速現場に急行しました。どういうわけか、我が会派の水野むねひろ議員までが、「保護者」という振れ込みで同行して来ました。
 会場には、展示室も開設され、撮影で使用した乗組員のユニフォームやコスモゼロなどの搭載機の模型まで展示されておりました。
 ヤマトの周辺には、見るかからに私と同じ年代の、ヒマそうな男女が5、60人ほど集まり、写真を撮ったり、ヤマトを眺めていたりしました。そして午後7時に、ナント波動砲が発射されるとのことで、私もその時を待ちました。因みに水野議員は、地元の皆さんとのお約束があるため、既に退散しておりました。
060008_P1050305.jpg 果たして7時になると、ヒマそうな男女の人数が、200人近くに膨れ上がっておりました。まずヤマト脇のスクリーンで、PVが上映され始めました。そしてその映像に合わせ、波動砲発射口からレーザー光線が発射し、されに木村拓哉さん扮する古代進戦闘班長による「波動砲発射!」のセリフに合わせ、緑色の炎が飛び出しました。右の写真は、その決定的瞬間を収めたものです。

中国漁船による海保巡視船への衝突事件流出ビデオ

 尖閣諸島周辺海域で発生した中国漁船による海上保安庁巡視船への衝突事件の状況を収めたとされるビデオが、インターネット上に流出し、動画サイトYou Tubeに投稿されております。
 以下の各URLでご覧になれます。

 以下の3本は、巡視船よなくに(PL63)より撮影された映像です。巡視船側からの警告を受け、漁船が一旦停船している様子、網を引き揚げている様子が描かれております。
 映像の下に出てくる4ケタの数字は、撮影時の時間と思われます。また2/6で、「よなくにが動揺している。」という保安庁職員のものと思われる声がありますが、これは船体の揺れをさしているものと考えられます。また「該船(がいせん)」とは、中国漁船のことを指しております。
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ コピー転載 1/6
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ コピー転載 2/6
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ コピー転載 3/6

 網を上げ、該船は再び前進し、巡視船よなくにの左舷後部に衝突してきます。
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ コピー転載 4/6 よなくに衝突

 巡視船みずき(PS11)から撮影した映像です。よなくにに衝突した後、みずき右舷後尾にぶつけて来ます。
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ コピー転載 5/6 みずき衝突

 巡視船はてるま(PL61)から撮影した映像で、該船がみずきに衝突していく様子が収められております。みずきが衝突を避けるべく取り舵(左ターン)をしているにも関わらず、該船が右側から強引にぶつけている様子がわかります。
尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ コピー転載  6/6

石平先生・加瀬英明先生の出版を祝う会(3日)

020896_P1020896.jpg 「徹底解明!ここまで違う日本と中国」(自由社)の出版と、著者である評論家の石平氏と外交評論家の加瀬英明氏を記念して祝う会が、昨日霞が関ビル35階にある東海大学校友会館で開催されました。

 加瀬先生(上写真 中央)は松下政経塾の元理事で、9年前の都議選では推薦人にお名前を連ねて頂き、私にとり政治の世界における後見人的存在であります。日本会議に入会するきっかけも加瀬先生によるものでありました。
 石平先生(上写真 向かって右)とは、日本会議地方議員連盟の研修会に講師としてご来会以来懇意にして頂いておりますが、命がけで中国民主化運動に取り組まれました。既に日本人に帰化されておられますが、日本人以上に日本を愛する愛国者です。
020920_P1020920.jpg 今回の著書「徹底解明!ここまで違う日本と中国」(下写真)では、相手に悪いと思う日本人と相手が悪いと思う中国人との違い、日中文化の違いはイスラムとキリスト教文明の差より大きいと記されております。
 是非皆様もご一読下さい。

日本会議舟遊び

020134_P1020134.jpg 日頃ご支援頂いている日本会議の皆さんですが、同会議墨田支部と江東支部共催による屋形船懇親会「舟遊び」に、同じく港支部の皆さんと参加致しました。
 港区議会議員からは、保守日本の鈴木洋一団長、水野むねひろ幹事長、それに副幹事長の私が、それぞれの家族も同伴の上、参加致しました。
 船は蔵前から出航死、隅田川を下り、台場に向かい、お台場海浜公園前で一時停泊し、再び隅田川を上り蔵前に戻るおよそ2時間半のコースでした。020140_P1020140.jpg

有名女子アナ自殺について

 昨日、日本テレビアナウンサー、山本真純さんが自殺したニュースを見ました。享年34歳、ご冥福をお祈りします。2月に長男を出産したばかりとのことで、残された子供さんのことを考えますと不憫であります。
 ここ数年、有名女子アナが自殺が続いております。有名人であるだけに、その社会的影響は大きなものがあります。本来人の命に有名無名はないはずですが、このような事件が起きないと、一般の人々の中でも、自殺に関わる問題の大きさを認識できないことは不幸なことであります。

 昨年私は代表質問の際、自殺対策を取り上げました。皮肉なことに、日本テレビの報道番組を見たことがきっかけとなりました。この時初めて知ったのですが、日本における年間の自殺者数は三万人、これは世界で八位、主要国では一位という実態でした。
 港区を初め、全国の自治体で、自殺予防に向けた取り組みが始まっております。以下は、昨年第三回定例会代表質問及び決算特別委員会における質疑の内容です(当時はフォーラム民主に所属)。
における武井雅昭港区長

H21.09.16:平成21年第3回定例会(第1日目)
<山本閉留巳>
 質問八番、自殺対策についてお尋ねします。
 今月十日からきょう十六日までが自殺予防週間です。自殺について誤解や偏見をなくし、正しい知識を普及啓発することを目的に、平成十九年六月に閣議決定された自殺総合対策大綱において、九月十日の世界自殺予防デーにちなんで、毎年九月十日からの一週間を自殺予防週間として設定し、国、地方公共団体が連携して、幅広い国民の参加による啓発活動を強力に推進することとされております。
 我が国における年間の自殺者数は三万人、これは世界で八位、主要国では一位という現状であります。自殺の予防に向け、全国各自治体で取り組みが始まっております。福井県では、自殺予防週間を前に、自殺対策に取り組む県内の自治体職員やボランティアらに、悩みを持つ人たちからの相談の受け付け方を学ぶための研修会が開催されております。専門家の見解では、自殺の原因には地域ごとに違いがあり、自治体には実務的な対応が求められているということ、そして、そのためには国が有する自殺に関する情報を各自治体に伝えていくということ、これが必要であるということであります。自殺については、その原因など関連情報は警察が把握しており、自治体が調査するには難しい問題もあります。
 そこで質問です。平成十八年に自殺対策基本法が施行されて以来、区ではどのような取り組みを進めてきたのか。そして、国や東京都と連携して、今後どのような取り組みを考えているのか。この二つについて、区長の考えをお聞かせ願います。

<武井雅昭港区長>
 次に、自殺対策についてのお尋ねです。
 まず、自殺対策基本法が施行されて以来の区の取り組みについてです。全国の自殺者は十一年連続して三万人を超えております。自殺の背景には、健康問題や、多重債務を含む経済・生活上の問題、家庭や職場の問題等さまざまな要因が絡み合っており、保健所や消費者センターなどの関係部署が協力して対策を推進する必要があります。自殺対策基本法の施行を受け、区では、平成十九年度より、港区精神保健福祉連絡協議会において、自殺対策の一つとして、うつ病の早期発見と早期対応について検討してまいりました。その中で、十月をうつ支援月間と定め、平成二十年度より広報活動を強化しております。今年度はリーフレットの配布・ホームページを通じた情報発信等の普及啓発活動を行うとともに、患者紹介用の区内精神科医療機関名簿を作成し、港区医師会加入医療機関と相談機関に配布いたしました。あわせて、十月二十四日及び二十八日にうつ病の理解と職場復帰支援の講演会の開催を予定しております。
 次に、国等と連携しての今後の取り組みについてです。
 国や東京都の相談事業等の施策を区民が十分活用できるように、精神保健福祉連絡協議会や各種の連絡会で情報を共有するとともに、東京都中部総合精神保健福祉センターなどの関係機関と協力して支援してまいります。また、東京都の人材育成講座等を利用して職員のスキルアップを図るとともに、健康相談や消費者相談などを通じて、適切な情報提供や支援ができるよう、総合的な自殺対策を進めてまいります。

H21.10.02:平成20年度決算特別委員会(第5日目)

◯委員(山本閉留巳君)
 まず質問の1番、うつ病対策に対する取り組みについてお尋ねいたします。今回の定例会本会議におきましての代表質問で、区の自殺対策について区長にお尋ねいたしました。区長からは、自殺対策法の施行を受けて、一昨年度から港区精神保健福祉連絡協議会にて、自殺対策の一つとして、うつ病の早期発見と早期対応について検討してきていること、10月をうつ支援月間と定め、昨年度より広報活動を強化していること、そして、10月下旬に2回、うつ病理解と職場復帰支援の講演会を予定しているというご答弁がございました。
 項1の保健衛生費の中の目1保健衛生総務費の中では、精神保健福祉協議会として支出済額が24万5,361円、不用額が13万639円、また、精神福祉相談として支出済額が260万7,828円、不用額が29万8,172円となっております。そこで質問いたします。
 まず1つは、うつ病に対する取り組みについての実績、評価、それから、今後の検討課題について。それから、もう1つは、うつ支援月間ということで、今月も入っておりますが、区が行う事業の詳細について、それぞれお尋ねいたします。

◯健康推進課長(北村淳子君)
 まず、うつ病に対する取り組みの実績、評価、課題等です。昨年度のうつ病に対する取り組みといたしましては、専門医による精神保健福祉相談、保健師による日常的な相談活動、そして、講演会の開催などとあわせて、10月を港区のうつ支援月間として、うつ病の早期発見と早期対応に向けたPR活動を強化してまいりました。
 うつ支援講演会には155名の方に参加いただき、「わかりやすかった」、「参考になった」と、大変好評いただきました。多くのご意見、感想もいただき、引き続き幅広く、うつ病に対する知識の普及啓発をしていく必要性があると感じております。
 今後の検討課題といたしましては、より幅広い広報の検討と相談員のスキルアップが挙げられます。
 このほか、今年の8月には、患者紹介のための区内精神科、神経科、心療内科の医療機関名簿を医師会所属の医療機関と区内相談機関に配付し、相談活動に役立てております。
 2番目のご質問のうつ支援月間で区が行う事業ということですが、今年度も10月に、「いつもと様子が違うことに気づき、支援のできる人をふやすこと」を目標として、PR活動を強化しております。まず講演会ですが、今年度は10月24日に、男女平等参画センターにおきまして、広く区民に向けたうつ支援の講演会を、また、10月28日には、高輪区民センターで、主にメンタルヘルス担当者を対象としたうつ病休職者の職場復帰に向けた講演会を開催いたします。
 2つ目は、リーフレットの配付です。うつ支援に関するリーフレットを、総合支所やみなと保健所をはじめとした区内各施設で、昨年に引き続き配付します。
 3つ目は、うつ支援月間に関するPRです。広報紙をはじめとしてポスター、ホームページ、啓発グッズなどを配付することにより、広く区民へ啓発活動をしていきたいと思います。

桜とショートケーキ

000357:DSC08330.jpg000358:DSC08337.jpg
 アークヒルズの桜並木は、桜が満開です(左写真 昨日撮影)。
 東京ミッドタウンには、巨大なショートケーキが出現致しました(右写真 本日撮影)。

松涛幼稚園オープンデイ

000292:DSC08114.jpg 母校松涛幼稚園のオープンデイに、母親を連れて行きました。
 同園は、昭和22年(1947年)に、林貞子氏により創立されましたが、平成18年に林園長先生が亡くなられ、また幼稚園も本年を以って閉園となりました。残念です。
 私は、昭和46年(1971年)に、それまで通っていた私立愛育幼稚園から松涛幼稚園に転園し、昭和48年(1973年)に第25回生として卒業致しました。自宅に残る卒園アルバムには、林先生の私へのコメントとして、「その日に起きた出来事を、論理的、科学的に話すことが出来る子」と評していただいております。母曰く、政治やジャーナリズムへの適正を、あの頃から見抜いておられた方だったようです。000293:DSC08108.jpg これまで何度か、周年行事で同園を訪れたことがございましたが、今回のオープンデーが最後の見納めとなりそうです。教室には、各期の卒園写真が飾られ、私の写真も見つけました(左の写真 前列左から3人目)。当時6歳です。
 同級生の皆さんは、慶応・学習院・聖心女子学院などの私立小学校に進まれる方が多かったのですが、私は縁在って地元の区立麻布小学校に進学致しました。
 これまで松涛幼稚園の運営に携わられて来られた皆様に心より敬意を表しますと共に、関係者の皆さん、卒園生の皆さんのご多幸をお祈り申し上げます。

中央業務支援隊創隊10周年

000230.jpg 陸上自衛隊中央業務支援隊の創隊10周年記念祝賀会に、港区防衛親交会顧問として出席して参りました(写真)。
 同隊は、平成12年、防衛庁(当時)の六本木から市ヶ谷への移転に伴い、それまでの檜町駐屯地業務隊、人事統計隊、印刷補給隊、市ヶ谷駐屯地業務隊の4個部隊が統合され発足しました。現在の隊長は新村暢宏陸将補で、市ヶ谷駐屯地司令を兼務しています。隊内は、総務部・人事統計部・印刷補給部から編成されています。また港区防衛親交会や市ヶ谷祭りなど、地域連携業務も担当しております。

葬送 大塚雄司先生

 元衆議院議員、大塚雄司氏が先月亡くなられ、今月16日に本葬、また18日には「お別れの会」が開催され、それぞれ列席させて頂きました。

 港区で生まれ育った者として、物心が付いた頃より、大塚先生のお名前を存じ上げておりました。都議会議員を経て、昭和51年の衆議院議員選挙で初当選されましたが、以来選挙の度に「おおつか ゆうじ!、おおつか ゆうじ!」と連呼して走る宣伝カーをよく見ました。
 昭和60年に行われた東京都議会議員選挙で、当時都議会議員でいらした清原錬太郎候補の演説会がロアビル前で行われ、当時の中曽根康弘首相も応援に来られました。
 私は聴衆の一人として、日の丸の小旗を持って、ロアビル前の階段に立っておりました。首相が到着されるまでの間、大塚雄司衆議院議員が演説されていらっしゃいました。その中で、「投票日の天気が悪いと、投票者数が減り、特定の組織政党に有利な結果となる。皆さん、投票に行って下さい。」と何度も訴えておられました。当時は、現在の様な期日前投票制度が無く、また投票時間も午後6時までとなっておりました。
 あれから四半世紀が経ち、投票に関する制度も改善し利便性も向上しました。しかし時代背景がどうであれ、利便性の善し悪しは別として、民主主義国家の主権者として、投票は権利の行使であり、投票しないことは、権利の放棄であることには変わりありません。「投票に行かなければならない。」大塚先生から最初に学んだ言葉です。
 先生は、3年前の区議会議員選挙の折、私の事務所に来訪されました。事務所の一番奥に、松下幸之助塾主の為書が貼られ、その隣に先生の為書が貼られていたのですが、その光景をご覧になられ、大いに喜ばれたそうです。
 港区から日本の国政発展貢献された大塚雄司先生のご逝去に心より哀悼の意を表しご冥福をお祈り申し上げます。
 合掌

父の墓参(10日)

000150:DSC07490.jpg 父の墓をお参りしました(上写真)。
 場所は、マニラ首都圏の郊外、パラニャーケ市にあるマニラ・メモリアル・パークの中です。パーク内には、27年前に暗殺されたベニグノ・アキノ元上院議員、その妻であるコラソン・アキノ元大統領のお墓もあり参拝しました。

 000151:DSC07536.jpgマニラ市内に移動し、リサール公園に参りました。公園内にはフィリピン独立の英雄、ホセ・リサールの記念塔が立っております。その近くに立つ国旗掲揚塔の土台部分に、1946年独立当時の国会議員の名前が記された碑が在り、その中に私の父親の名前、ヘルミノヒルド・アティエンザの名も彫られております。彼は30代の若かりし頃、独立と建国の理想に燃え、国会議員になったのだと思いますが、同志と共に栄誉を称えられていることに感動を覚えました(中写真)。

000152:DSC07574.jpg その後観光地で有名なサンチャゴ要塞、サンオーガスティン教会を見て周りました。サンオーガスティン教会は400年前に建立された石造りの教会で、フィリピンだけでなく人類の遺産だと思いました(下写真)。

マニラより

 父の墓参のため、昨日19年ぶりにマニラ入りしました。

 日本人の多くが、フィリピン共和国の首都はマニラだと思いますが、英語表記ではMetro Manilaで、私流に直訳するとマニラ都になります。何だか東京都みたいですが、日本の報道機関や旅行用のガイドブック等では、大マニラ市、あるいはマニラ首都圏と表記されておりますので、ここではマニラ首都圏で統一します(因みに東京都の英語表記は、Tokyo Metropolitanです)。
 東京都が23区や26市等で構成されているように、マニラ首都圏も17の市から構成されております。大統領官邸を初め行政機関が集中するマニラ市、大日本帝国の統治が終わり1946年の独立から1976年まで首都が置かれていたケソン市、金融などビジネスの拠点となっているマカティ市、ニノイ・アキノ国際空港や日本大使館が在るパサイ市などが在り、各市にはそれぞれ市庁と市議会が置かれています。

 ソフィテル・フィリピン・プラザホテル・マニラ(旧フィリピン・プラザホテル)にチェックインしました。玄関では宿泊客でも来場者でも構わずセキュリティ・チェック(保安検査)を受けましたが、こんなことは初めてです。そして晴れて入館すると、玄関で民族衣装を着た女性従業員が、相手が日本人でも韓国人でも欧米人でも構わず、「ボンジュール」と声をかけて来ました。フィリピンなのに何でフランス語なのかと思いきや、このホテルは何年か前にフランス資本の傘下になっていたのが理由のようです。
 宿泊客には全員ICカードが手渡されます。ドアキーのためかと初め思いましたが、それだけではなく、エレベータもこのカードが無ければ動かない仕組みで、不特定多数が出入りする可能性があるホテルでありながら、おそらくは保安上の理由かとも思いますが、その不特定多数を規制する経営上の思惑を感じました。

21J他287-7450.jpg チェックイン後、鉄道ファンの血が騒いだか、首都圏内を走る鉄道MRT3(Metro Rail Transit Line 3)に乗りました。1991年に来比した際は、高架鉄道はLRT1(Light Rail Transit 1)の一路線しか運航していませんでしたが、現在は3路線が運行されています。
 始発駅であるタフトアベニュー駅では、乗車券購入前に乗客は全員セキュリティチェックを受けました。これも以前は無かった現象です。また乗車券販売窓口が少ないため長蛇の列が出来ていました。 車両はドイツ製で、一応エアコンも作動しているはずですが、あまりに多くの乗客がいるため、車内は息苦しい環境でした。
 このMRT3でオルティガスに行きました。17市の一つマンダルーヨン市にあるオルティガスは、1990年代以降、マカティ市に次ぐビジネスセンターとして急成長している地域ですが、1986年のエドュサ革命(日本ではフィリピン革命と呼ばれますが)の際、この地区を走るエドュサ通りからマラカニアン宮殿(大統領官邸)へ人々の行進が行われ、それを記念して、1989年に新たにエドュサ教会が建立されました。21J他287-7458.jpg
 MRT3でアヤラ駅まで戻りました。アヤラはフィリピンの財閥の名前で、現在のマカティ市も、元々はアヤラ家の所有地であったと言われております。そのせいか同市のメインストリートはアヤラ通りと呼ばれております。同市にあるインターコンティネンタルホテルは思い出の場所。幼年期にこのホテルにあるレストラン「ジープニーバー」でよく食事をしました。店内にジープニー(米軍ジープを改造した小型バス)を模した座席が置かれているのが特徴のはずだったのですが、ジープニー席は既に撤去され、車両のパーツのみが店内の壁に貼られているだけで残念。21J他287-7464.jpg
 ホテル周辺は、昔は大きな駐車場と大型免税店が一軒あるだけの簡素な環境でしたが、現在はショッピングセンターも複数立ち並び、自動車も増え、鉄道まで走っている状態で、混沌とした街に変貌してしまいました。変わったといえば、かってマニラ湾沿いを走っていたロハス大通りは、椰子の木が立ち並び、フィリピンないしはマニラを象徴する景観でしたが、海は埋め立てられ、木々は切り取られ、単なる大通りに変わっていました。日本で言われているような景観も何もあったものではありません。

 夜ホテルに、従兄弟で元マニラ市長のリト・アティエンザ氏が訪ねて来ました。マニラ圏内で一日感じたことですが、空港は当然としても、ホテルも公共交通機関も、果ては飲食店に至るまで、保安検査が徹底され、良しも悪しきもノー天気なフィリピン社会が、何か安全に対して神経質になっているムードについて、彼に疑問をぶつけてみました。「今はテロの時代。全てテロが原因だ。治安も良くない。」という答えが返ってきました。
 およそ20年ぶりのマニラですが、アロヨ政権下で都市の開発が進む一方、治安悪化に神経を使わなければならない空気を感じました。今年5月には、大統領選挙が行われますが、この国の針路に関心を持ち続けたいと思いました。そして今日、墓参を終えたところですが、その様子は明日以降に掲載します(明日10日に帰国します)。

戦車体験搭乗

000090(DSC07119).jpg 港区防衛親交会の平成21年度戦車体験搭乗(部隊研修)として、陸上自衛隊駒門駐屯地(静岡県御殿場市)を訪れました。
 同駐屯地には、PKOなどのための教育を行う国際活動教育隊、機甲科部隊である第一戦車大隊、対空ミサイル射撃などを行う第一高射特科大隊、工兵部隊である第364施設中隊などが駐屯しております。駐屯地司令には、国際教育活動隊長(連隊長級)が兼務しております。
 駐屯地司令への表敬を終えた後、体験搭乗しました。今回体験搭乗したのが74式戦車です。三菱重工製で、日本の山がちな国土形状に合わせ、戦車の高さや傾きなど自由に制御できる能力を持っております。1974年(昭和49年)から導入されたモデルであることから74式と呼ばれます。大戦前なら形式番号に皇紀を使用していたのですが、戦後は西暦を使用しているのが実情です。国産戦車なのですから、せめて年号を使用してほしいと国民の一人としては思います。
 参加者は、10名程度のグループに分かれ、順次搭乗し、戦車は駐屯地敷地内を巡回しました。やはり軍用だけあって、エンジン音は大きく、また走行中の揺れも相当なものです。特にカーブなどでは、一般車両のように曲がるのではなく、キャタピラ走行のため、徐々に複数回方向転換しながら曲がります。
 搭乗後、運転席に座らせていただきました(上の写真)。戦車内のことについては軍事機密のため公にはできませんが、運転席は私にはとにかく狭いの一言につきます。ただハンドル、ギア、アクセル、ブレーキなどが有る事は、一般車両と同じでした。
 体験搭乗の後、81式短距離地対空誘導弾や対空レーダー装置JTPS-P14の見学も行いました(下の写真)。日本は島国ですので、敵による正面攻撃の場合は、国土に対する着上陸が考えられます。対空装備は、そのための備えの一環であり、必要不可欠な装備であることを、改めて認識致しました。

000091(DSC07185).jpg 今回の研修を主催した港区防衛親交会は、昭和53年(1978年)に設立された団体です。当時防衛庁は六本木に在りました。設立時私はまだ小学生でしたが、母親が教育上必要とのことで、私の名前で会員登録してしまいました。以来会員として活動して参りましたが、議員就任後、同会の顧問就任を依頼されお受けしております。

<関連URL>
防衛省・陸上自衛隊|装備|車両 http://www.mod.go.jp/gsdf/equipment/ve/1_25.html

 

大塚雄司元衆議院議員 本葬儀のお知らせ

 大塚雄司元衆議院議員の本葬儀についてのお知らせが、過日入電致しましたので、以下転載致します。
 なお二日前にご案内の「お別れの会」とは別のご案内でございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

父 元衆議院議員 大塚雄司 儀 病気療養中のところ一月十日逝去いたしました
御通知が遅れましたことを深くお詫び申し上げます

 生前のご厚誼を深謝し下記の通り本葬儀を執り行いますので謹んで御通知申し上げます
  一、日時 平成二十二年二月十六日(火) 本葬儀 午後六時
  一、場所 麻布山 善福寺
         東京都港区元麻布一丁目六番二十一号
         電話 03(3451)7402

 平成二十二年一月

                     東京都港区北青山三丁目三番七号 二階
                      長男 大塚公朗
                      次男 大塚隆朗(東京都議会議員)

故大塚雄司氏 お別れ会のお知らせ

 既にご存知の方もおられますが、元衆議院議員・建設大臣の大塚雄司氏が、今月10日亡くなられました。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 下記のとおり「お別れ会」のお知らせが入電しましたので、転載致します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「お別れの会」のお知らせ

弊社代表取締役 大塚雄司 儀
 去る1月10日永眠致しました。ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます。
 通夜及び密葬の儀は近親者にて済ませました。つきましては「お別れ会」を下記の通り執り行います。

     日時 平成22年2月18日(木) 午後1時~午後3時
     場所 東京プリンスホテル「プロビデンスホール」
        港区芝公園3-3-1 電話 03-3432-1111

 ご来場の節は際は平服にてお越し下さるようお願い申し上げます。
 なお誠に勝手ながらご香典ご供花ご供物の儀は固くご辞退申し上げます。

 平成22年1月

市街地開発株式会社  
代表取締役 中井 暲典
電話 03-3403-2571
大塚雄司事務所    
電話 03-3401-5111
妻     大塚 智子

神戸から戻りました

 寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲号」(列車番号5032M)に乗って神戸より戻りました。この列車は、「サンライズ瀬戸号」として高松を、また「サンライズ出雲号」として出雲市をそれぞれ出発し、岡山で連結し東京に向かいます。午前0時13分に三宮駅から乗車し、午前7時8分に東京駅に着きました。

21J政277-6541.jpg 昨日は阪神淡路大震災での犠牲者への追悼の後、神戸で先祖の墓参、続いて和歌山で松下幸之助塾主(松下政経塾創設者)の墓参(左写真)をそれぞれ行い、その後再び神戸に戻りました。
 元町通り商店街は、神戸市内有数の商店街の一つです。やけに人通りが少なかったのですが、日曜の夕方ということで仕方が無いのかと思いました。同商店街にあるステーキレストランにぶらっと入り夕食を取りました。店のご主人に人通りが少ないことを尋ねると、「日曜の夕方と言うことではなく、普段から人通りが少ない。特に震災後は顕著だ。」という答えが返ってきました。叔母が生前本町で画廊を開いていた関係で、東京の人間でありながら、子供の頃から元町の活気には慣れているつもりだっただけにショックでした。震災から15年、右の写真の夜景にもあるとおり、確かに見える場所は復興しているのかもしれませんが、見えないところはまだまだであり、改めて神戸の現実を思い知らされました。

21J政277-6577.jpg 私が自分の身分を明かすと、「民主党政権になってから、景気はもっと悪化している。国会では政治とカネの話ばかりだが、まずは景気を建て直してほしい。」とも言われました。ご主人は続けて、「欧州では消費税を上げないようにして、消費を拡大している。金持ちには不利かもしれないが、まずは中流以下の人々がお金を使い易くすることが景気回復につながると思う。」さらに「今の教育も良くない。戦後日本の教育を悪くしたのは日教組だ。」とまで訴えたことが心に残りました。

 東京駅から自宅に戻り、小休止の後、東京メトロ南北線六本木一丁目2番口にて、駅頭挨拶活動を行いました。

赤坂青山地域活動報告会/石川知裕容疑者逮捕

21J地271-6513.jpg 港区役所赤坂地区総合支所管内の地域活動についての報告会が、フロラシオン青山で開催され、赤坂や青山の地域団体、行政、議会関係者が参加致しました。
 報告会では、プロジェクターを使い、区民参画・協働の体制、タウンミーティング、防災や清掃などの地域事業、ワークショップなどについて活動報告が行われました。
 私は民主党内では六本木・麻布地区担当の議員ですが、隣接する赤坂・青山地区の皆さんの活動を知ることで勉強になりました。
 報告会が終わり懇親会が開催されましたが、私は阪神・淡路大震災15周年関連行事のため中座し、神戸に向かいました。

<関連URL>

 ところで、東京地検特捜部は昨夜、政治資金規正法違反(不記載)容疑で、小沢一郎幹事長の元私設秘書で当時陸山会の会計事務担当だった民主党衆院議員、石川知裕容疑者(民主党衆院議員 海道11区)を逮捕しました。
 民主党員として無念さを隠せません。私の考えは13日のブログ記事(http://herumi.jp/giin/post_270.php)に掲載されているとおりですが、今後捜査が進み、裁判が行われることになると思いますので、それらを見守りたいと思います。
 同時に党首脳は、事実関係について党員にそして国民に理解を得る説明を行うべきであります。これまで私は、港区議会議員であると共に、党港区支部副幹事長という立場にもあることから、一連の事件についての発言は慎重に行って来たつもりであります。しかしことこの事態に至っては、そのような姿勢は許されなくなって来たかと思います。
 党本部に対しては、本件に関する説明を要求します。

本日の強制捜査について

 本日は出張で広島に来ております。この事については明日改めてご報告致します。

 我が党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」が、平成16年に世田谷区内に購入した土地の取引について、当時小沢議員の秘書で会計事務担当であった石川知裕衆議院議員が、政治資金収支報告書に、土地購入に際しての原資4億円を記載していなかったとの疑いにより、東京地方検察庁特別捜査部が、政治資金規正法違反容疑で、陸山会事務所、小沢議員の個人事務所、鹿島本社などに対する強制捜査に踏み切りました。

 容疑の事実関係については検察が解明することになりますが、一民主党員として、これまで民主党と山本へるみにご支援頂きました皆さん、区民の皆さんにお詫びを申し上げなければなりません。
 政治家は結果が全てですから、容疑の審議は別として、結果的に国民の皆さんに無用なご心配をおかけしたこと、また自分が事件の当事者でないにせよ、所属党員として全くの傍観者の素振りは許されないのであります。
 もっとはっきり言えば、党本部の国会議員がしっかりしてもらわないと、我々末端の議員、党員が大いに困るのであります。これまでもこのブログに書いたことがありますが、自民党初め既存体制の不備を質すのであれば、それ以上のモラルを我々の側が求められるのであります。つまり説明責任を果たしているのか否かであります。いくら果たしていると言っても、聞き手である国民の皆さんに伝わらなければ、果たしているとは言い切れないのであります。
 その上で同時に言いたいことは、一方で検察は今言われている容疑だけで、本当に立件が出来るのか否か、この点については正直疑問も残ります。

 いずれにしても、私は民主党所属の地方議員であり、これまでも港区から日本を変えるための国民運動にも参加して参りました。民主党員である前に日本国民であるとの思いに基づき、国民目線を持った姿勢は、今後も守り続けて参りたいと思います。


シーシェパードの妨害を許すな!

 ここのところ、日本の調査捕鯨活動に対して、反捕鯨団体シー・シェパードによる過激な妨害が目立ってきておりますが、日本国民としては強い憤りを感じます。捕鯨は日本の食文化であり、言論であるならともかく、威力を用いての妨害活動は、明らかに我が国の食生活に対する攻撃と言わざるを得ません。
 欧米人は牛や豚を殺してステーキにして食べます。中国では犬を食用にしている地域が在ると聞きます。犬を殺すことに個人としては抵抗が有りますが、彼らの食文化であるのであれば仕方ありません。
 アメリカ人は、確かに牛を殺すが一方で育ててもいると言います。それを言うなら、捕鯨をしても自然の生態系により鯨は新たに生まれていましたし、捕鯨が減ることで、鯨が逆に増え、他の魚を食べる量も増え、結果的に全体の魚類の生態系自体に悪影響が出ています。日本政府は、IWC(国際捕鯨委員会)など国際的な協議の場で、これらの状況をデータで示し主張しているにも関わらず、反捕鯨国は感情論だけで捕鯨に反対している始末です。
 過去60年以上に渡り、我が国は一部の領土を不法占拠され、多数の国民が拉致されて来ましたが、この上食生活にまで攻撃を加えて来る今日の状況を、このまま許していいのでしょうか?
 以下新聞記事の転載です。

◆捕鯨監視船と衝突 シー・シェパードの妨害激化
 2010年1月7日(木)8時0分配信 産経新聞
 水産庁は6日、日本の調査捕鯨船団の監視船「第2昭南丸」と環境保護を標榜(ひょうぼう)する米団体シー・シェパード(SS)の抗議船「アディ・ギル号」が南極海で衝突したと発表した。捕鯨船団は同日未明からア号ともう1隻の抗議船「ボブ・バーカー号」から妨害活動を受けており、衝突は妨害の最中に起きたという。昭南丸の船体に大きな損傷はなく、乗組員にもけがはなかった。ア号は船首部分が大破したが、乗組員らはボ号に救助された。
 水産庁によると、ア号は同日午後0時半(日本時間)ごろ、昭南丸に異常接近し、前方を右側から左側へと横切ろうとしたうえ、途中で急に減速した。そのため昭南丸は避けきれずに衝突したという。
 衝突前に、昭南丸はア号に対して接近を阻止するため、放水を行ったり、音響装置などで警告を行った。これに対して、SS側は「ア号は静止していたのに、突然衝突された。日本側は救助もしてくれなかった」と主張している。
 水産庁によると、6日の捕鯨妨害は午前3時ごろから行われていた。ボ号が捕鯨母船「日新丸」に接近し追跡を始め、さらに、ア号も接近。約2時間にわたって、異臭がする薬品入りのボールを発射装置を使って発射したほか、目に当たると失明の恐れがあるとされるレーザー光線の照射などを行った。
 今シーズンの捕鯨船団は昨年11月に日本を出航。これまでに数回にわたって妨害行為を受けている。
 政府は6日、ア号などの船籍国のニュージーランドと寄港地のオーストラリアに対し、取り締まりなどの措置を取るよう申し入れた。農林水産省も今回の衝突について、「危険な妨害行為が招いた結果であり、遺憾」とする声明を出した。

【用語解説】シー・シェパード
 過激な行動で知られる環境団体「グリーンピース」から1977年に分派して設立された。海洋生物保護を訴えているが、アイスランドの捕鯨船を沈没させるなどしてきた。「エコ・テロリスト」とも呼ばれ、国際捕鯨委員会(IWC)は名指しで行動を非難する声明を出している。
◆シー・シェパード船衝突、NZ政府に抗議
2010年1月7日(木)12時49分配信 読売新聞
 平野官房長官は7日午前の記者会見で、反捕鯨団体シー・シェパードの小型高速船が南極海で日本の調査捕鯨船団の監視船に衝突した事故について、「極めて遺憾だ」と語り、日本政府として小型高速船の船籍のあるニュージーランド政府に抗議したことを明らかにした。
◆シー・シェパード 抗議船が沈没 世界最速ボート転用
1月8日12時22分配信 毎日新聞
【ジャカルタ支局】
 反捕鯨団体「シー・シェパード」(SS)は7日、日本の調査捕鯨船と衝突、大破した抗議船「アディ・ギル号」が沈没したことをウェブサイト上で明らかにした。SSの別の船がえい航作業中だった。

【写真で見る衝突の様子】調査捕鯨:調査船と抗議船が衝突
http://video.mainichi.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48227968/48227968peevee291545.flv

 アディ・ギル号は三胴型の高速ボート。08年4~6月には、「アースレース号」の名前で、それまでの記録を一気に2週間短縮する、発動機艇の世界一周最速記録(61日間)をスペイン発着コースで打ち立てた。
 AP通信などによると、全長約24メートルで、船体は炭素繊維などでできており、最大速度は50ノット(時速約93キロ)。化石燃料の代替のバイオディーゼル燃料を使用するという。
 船長のニュージーランド人男性らが04年ごろ、バイオ燃料の啓発などを目的に、世界記録更新を目指して建造を企画した。記録更新後、SSの抗議船として利用されることになり、SSは昨年10月、「同船獲得を支援した(資金)寄付者」(SSウェブサイト)の米国の実業家の名前に"改名"した。SSは、黒に塗り替えられ「ステルス爆撃機に似た」(AP通信)外観となったアディ・ギル号を、同12月から、日本の捕鯨活動の阻止行動に用いると発表していた。

新しい年の幕開けです。

21J議264-6166.jpg 平成22年(皇紀2670年)の年が始まりを、皆様と共に迎えることができ、大変嬉しく思います。
 今年は私にとり、任期最終年であり、港区議会議員として仕上げの一年として、誠心誠意皆様の為に仕事を行い、また日々迅速な対応ができる政治を進めて参ります。また夏の参院選を挟んで、日本の政治も様々な動きがあることも予想されます。このブログを通じて、重要情報を適宜皆様にお伝えできるように頑張ります。

 元日午前零時を過ぎ、外出いたしました。NHKの中継にも在りましたとおり増上寺ではカウントダウン行事として風船を飛ばすイベントが行われておりました。イベント終了後大勢の皆さんが、外苑東通りを六本木方向に歩く姿が見られました。
 私は飯倉熊野神社(東麻布)、八幡神社(虎ノ門)、竜土神明宮天祖神社(六本木)を順に参拝致しました。熊野神社前では、地元の東麻布飯五町会の皆さんが、道行く人に甘酒を振舞っておりました。

年末のご報告 今年の言葉は「揺」

 今日は港区役所の年末の締日であります。私の諸活動は、実は大晦日まで続いているのですが、本日年末のご報告等を述べさせて頂きます(公職選挙法の規定により政治家の時候の挨拶が禁じられており、本来「ご挨拶」とすべきところを「ご報告」としております)。

 今年は夏の東京都議会議員選挙で民主党が都議会で第一党となり、続く第45回衆議院議員選挙の結果、小選挙区比例代表導入以降初の政権交代が行われ、民主党政権が誕生致しました。変革を求めた民意の現われであったかと思います。
 衆院選を通じて、地方分権、地域主権が叫ばれました。そしてその地域主権が最も遅れているのが、我が港区を含め東京23区、すなわち特別区であります。このブログでも何度がご報告しておりますが、現在の変則的な自治情況を一日も早く正常化することが急務かと思います。

 最近You Tubeなどの動画に登場する機会が増え、多くの皆様より励ましの言葉や、私を心配して下さる言葉を賜るようになりました。外国人参政権をめぐる私の発言についてであります。
 「マニフェスト選挙」と呼ばれた先の衆院選で、我が党はマニフェストに外国人参政権付与については言及しておりません。従って私が外国人参政権に反対を表明しても、今のところ党の方針と相反することにはなりません。
 しかし年明け後の通常国会で法案が上程される事態ともなれば、情況は一変します。自民党政権時代も外国人参政権法案が検討されたことが在り、同党内でもかなりの反対の声が出て見送られた経緯が在ります。民主党政権下でどのような動きになるのか、正直予断を許しませんが、各地方議会では、民主党会派も含めて参政権反対の意見書が示されております。
 外国人参政権反対と外国人差別は別物です。参政権推進派は世界の趨勢と言っているようですが、彼らの言う内容と同じ外国人参政権を導入しているのは、北欧の三ヶ国のみであります。我が国の政治に関与したければ、きちんと法的手続きに従い、国籍を取得するべきだと思います。
 私は民主党員である前に日本国民です。民主党政権が誤った政策を行うのであれば、それを正すのは民主党員の責務です。日本国が侵略されそうになれば、国を守るのが国民の責務です。今後いかなる情況になっても、この姿勢は堅持して参ります。

 年末恒例の今年の言葉は「新」でしたが、私にとっては「揺」であります。春に北朝鮮弾道ミサイル「テポドン」が発射され、東アジアの安全保障に揺れを与えました。それに続く新型インフルエンザでは、日本を含む世界中で混乱という揺れがありました。夏には政権交代という揺れが起きました。新政権下で予算の見直し、事業仕分けをめぐる揺れがありました。年末には天皇陛下のご会見をめぐる揺れがありました。また今月関東地方では、相模湾を震源とする地震による揺れが在りました。これらの揺れが、来年の日本そして世界、そして元より我が港区にどのような影響を及ぼすのか分かりませんが、私の政治家としての基本姿勢である現地現場主義、率先垂範主義を守り、安全で安心できる街づくり、国づくり、人づくりを目指して参りたいと思います。

 今年一年本当にお世話になりました。来年は私の任期最後の一年となりますが、どうかご指導ご鞭撻ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。皆様どうぞ良い年をお迎え下さい。

 平成21年12月28日

港区議会総務常任副委員長 民主党

山本閉留巳

天皇陛下御在位二十年東京都慶祝の集い

21ウ政263-6078.jpg21ウ政263-6081.jpg
 東京芸術劇場(池袋)で開催された「天皇陛下御在位二十年東京都慶祝の集い」に、日本会議地方議員連盟の一員として参加して参りました。
写真左:主催者代表挨拶をする岡村正実行委員長(日本商工会議所会頭)。
写真右:第二部では雅楽の演奏が行われました。

市ヶ谷駐屯地・基地餅つき大会

2112306040.jpg2112306060.jpg
 本日はクリスマスイブの日ですが、市ヶ谷駐屯地・基地餅つき大会に、港区防衛親交会顧問として出席して参りました。
 防衛省が六本木に在った檜町駐屯地(当時は防衛庁)から市ヶ谷駐屯地に移転して今年で10年になります。移転当時は、六本木から防衛庁(当時)が無くなる事に寂しい思いも在りましたが、土地の大きさなどでは市ヶ谷にはかないません。やはり国防の中枢機能には、それなりのスペースが必要だと思います。この市ヶ谷駐屯地は、江戸時代には尾張藩の上屋敷が在った場所です。
 港区防衛親交会は、今から31年前に創立されました。創立には森野弘司郎港区議のお父様が尽力されたと聞いております。創立当時、私の母親が、防衛について男の子に関心を持たせることは大事なことと思い、当時小学生であった私の名前で入会させたそうです。その後30年間会員として会の活動に参加して参りましたが、昨年顧問就任を打診され、若輩ながらお引き受けした次第です。
 私は、市ヶ谷駐屯地での餅つき大会には、昨年から参加しております。

事業仕分けについて

 連日事業仕分けのニュースがトップを飾っております。我が党は先の衆院選の際の政権公約で、行政の無駄をなくすため、行政刷新担当大臣と、その下に行政刷新会議を設置することを掲げておりました。
 同会議の議長は鳩山由紀夫内閣総理大臣が、副議長は仙谷由人内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)がそれぞれ務めています。また内閣総理大臣が指名する議員や行政職員、民間も有識者が加わり、担当分野により分科会が設置されています。
 現在三つの分科会が構成され、第1分科会が総務・財務・国土交通・環境各省を、第2分科会が外務・厚生労働・経済産業各省を、第3分科会が文部科学・農林水産・防衛各省を中心に、事業仕分けに当たっております。

 さて私の周辺での評価ですが、概ね好評です。今までよく分からなかった税金の流れや事業の必要性などが白日の元にさらされているわけですから、多くの国民の皆さんが関心を持つのは当然だと思います。尤も評価される方々でも、議論の進め方や態度、見識の有無については、逆に厳しい見方をされております。このことも我が党は真摯に受け止める必要があります。

 ところでそれよりも私が深刻に受け止めていることがあります。この事業仕分けの会議は、諸外国でいえば公聴会に当たる側面もあるのですが、本来は衆参両院の予算委員会で行うべき仕事ではないかと思うのです。
 港区議会議員に就任して以来、何回か予算もしくは決算特別委員会に参加致しましたが、予算決算そのものに対する質問をされる議員がほとんどおらず、むしろご自身が聴きたいことを質問されている状況であります。
 なぜこのような状況に在るのか、暫く分かりませんでしたが、よくよく考えてみれば、国会の予算委員会では、テレビ中継を見ている限り、予算に関する質問はほとんど出ず、さらには質問自体がなかなか行われず、自分の意見をとうとうと述べてから、やっと質問が出る、そんな状態です。国がそんな状態なら、自治体も同じようになるのも仕方のないことかもしれません。
 しかし予算と付く委員会なら予算の質問をしなければ意味がありませんし、税金のチェック機能を果たしているともいえません。この点を我が議会もしっかり押さえておく必要があるかと思います。

明治大学雄弁部OB会総会

2111235168.jpg 明治大学雄弁部OB会(日高憲三会長)の平成21年度定時総会が、明治大学校友会館「紫紺館」(千代田区)で開催され、平成元年卒のOBとして出席して参りました。
 午後2時に田中良同会副会長(都議会議員 民主党)の開会の辞に始まり、物故会員への黙祷、OB会会長挨拶と続き、議事として、昨年度及び今年度の活動報告と活動計画、決算報告と予算案、それに会計監査報告が上程され、それぞれ承認されました。また「創立120周年記念事業推進の件」も上程され、各種関連報告の後了承されました。
 議事終了後、現役部員で法学部2年生、真崎博瑛君による演題「創造的な世界へ」が弁論されました
 明治大学雄弁部は、日本で二番目に創立された大学弁論部で、来年創部120周年を迎えます。因みにOBによると、一番目が慶応義塾大学弁論部で140年、三番目が中央大学辞達学会で109年、四番目が早稲田大学雄弁会で108年とのことでした。
 OB会には、数多くの各層議員も参加しております。私が20歳代後半の頃、NGOスタッフとしてカンボジアやロシアに行きましたが、当時現役の雄弁部学生として参加した森山浩行君が、先の総選挙で大阪16区から民主党公認で立候補し当選されました。森山議員も懇親会から参加し、旧交を温めましたが、国のため地域のために、明大雄弁部出身の議員の集まりを創ることについても、今後考えて行きたいと思います。

奉祝国民祭典

 天皇陛下御即位20年に際し、日本国民の一人として、心よりお祝いを申し上げます。天皇皇后両陛下のご健康と皇室の弥栄をお祈り申し上げます。

2111144977.jpg 「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」に、港区議会議員の一員として参加致しました。
 主催は、天皇陛下御即位二十年奉祝委員会(岡村正会長)、天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(森喜朗会長)、後援は、内閣府、総務省、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、防衛省、東京都、千代田区でした。我が議会からは、他に水野むねひろ議員(自民)、森野弘司郎議員も参列致しました。
 式典は、平沼赳夫衆議院議員による開会宣言、ソプラノ歌手佐藤しのぶさんによる国歌独唱、経済・スポーツ・芸能など各界代表からのお祝いメッセージ、陸・海・空三自衛隊合同による奉祝演奏と続き、午後6時30分頃、二重橋に天皇皇后両陛下がお出ましになられました。

 お出ましの後、岡村正会長より主催者式辞、鳩山由紀夫首相による内閣総理大臣式辞、天皇陛下御即位二十年奉祝曲の演奏、国歌斉唱と続き、天皇陛下のお言葉がなされました。
 陛下はお言葉の中で、「今日我が国は様々な課題に直面しております。人々が互いに絆を大切にし、英知を結集し、相携えて努力することにより、忍耐強く困難を克服していけるよう切に願っています。」と述べられました。またお言葉の最後には、出席者が長い時間会場に集まったことに、「寒くはありませんでしたか。」と気遣われる場面もありました。
 両陛下の前で演奏された奉祝曲は、組曲「太陽の国」で、作詞は秋元康さん、作曲は岩代太郎さん、歌はEXILです。オーケストラ演奏による第1部「太陽の種」、ダンスが加わった第2部「太陽の芽」、そして歌詞の付いた第3部「太陽の花」の三部構成で、大変素晴らしい曲でありました。
 陛下は、「本当に楽しいひと時でした。どうもありがとう。」と応えられ、森喜朗議連会長が音頭をとり、聖寿万歳三唱が繰り返して行われ、両陛下はご退出なさいました。ご退出の際、両陛下は何度も足を止められ、皇居前広場に集まった参列者に手をお振りになりました。

 国民祭典を通じて、改めて日本国民の一員であることへの自覚と誇りを強くしました。そして陛下の国民を気遣われるお気持ちに深く感銘致しました。

(文中一部産経新聞記事参照)

「ベルリンの壁」崩壊から20年

 「ベルリンの壁」崩壊から、今日で20年が経ちました。

 壁の崩壊といわれますが、実際には当時のドイツ民主共和国(東ドイツ)政府が、民主化のうねりに抗しきれず、国民の自由な渡航を認める発表を行ったのが、1989年のこの日であるということです。その発表をラジオやテレビで聞いた東ベルリン市民などが検問所に押しかけ、現場の東ドイツ国境警備隊員の判断で検問所を開放され、人々は次々と西ベルリン側に入って行きました。
 同国は、翌1990年、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に吸収される形で消滅し、ドイツ統一が実現しました。その後冷戦時東側陣営として、ソ連の影響下に在ったワルシャワ条約機構に加盟していた国々でも民主化革命が相次ぎ、1991年にはそのソ連自体が消滅してしまいました。

 90年12月当時、私は松下政経塾生として、ドイツに滞在しておりました。
 冷戦崩壊が進行しつつある中、これからは国家対国家ではなく、国家対特定組織との戦いが戦争の主流となり、テロや地域紛争が続発してくるであろう、というのが24歳であった私の国際情勢観でした。しかし当時の世相は、これからは平和の時代になるという雰囲気で、政経塾内でも「へるみは何を言っているんだ。またアイツの右翼的、タカ派的言動が始まった。」とよく諸先輩方から言われました。しかしこの時既に中東では、イラクによるクウェート侵攻が行われ、翌年1月の湾岸戦争勃発に繋がって行きました。
 その私がドイツに赴いた理由は、同じ敗戦国でありながら、ドイツは国防、特にテロ対策に力を入れている、77年ダッカで起きた日航機ハイジャック事件では、当時の日本政府は犯人グループの要求どおり、テロリストを拘置所から釈放し身代金まで支払った、しかし同じ頃西ドイツ旅客機がハイジャックされた時、当時の社民党政権は特殊部隊を派遣し犯人グループを鎮圧、そして乗客を救出した実績が在りました。
 テロ対策をは初め治安対策の最前線を見てみたい、そんな思いで政経塾海外研修制度を利用してドイツ各所を周りました。その一つボン警視庁では、旧東ドイツ警察官を再教育して、再び東側に派遣する訓練を行っておりました。同じ国民ですから言葉の障壁は在りませんでしたが、住民を監視する警察から住民を守るための警察への移行という点で、警察概念の障壁は在ったようです。
 ベルリン市内では、東ドイツの秘密警察「シュターツ・ジッシャハイト」(国家保安省 通称シュタージ)の支局庁舎内を視察しました。建物の壁には、子供たちが「社会主義万歳!」と書かれた横断幕を持って行進する絵が描かれておりました。
 統一間もない同市内では、まだ壁がほとんど残されており、検問所として有名であった「チェックポイント・チャーリー」も建物がそのままの状態でしたが、人も車も自由に往来していました。周辺には壁の東側に街路灯が並び、それらは住民の西側への逃走を防ぐためか、壁から東側を照らすような建てられ方をしていました。共産社会は全てが監視と密告から成り立っている、旧国境線の上に立ちながら、そんなことを思いました。

 あれから20年経ち、壁が横切っていたベルリン市内のポツダム広場の周辺は再開発され、日本のソニーなど外国資本が社屋を構えているようです。しかし昨年以来の世界同時不況で、旧東側出身の市民の中には、社会主義の方が良かったのではないかという声が上がり始めていることに驚きました。
 先月ドイツで総選挙が行われ、保守系のキリスト教民主社会同盟(CDU)が社民系の社会民主党(SDP)との大連立を解消し、新たに中道の自由民主党(FDP)との新連立を組み、勝利しました。日本は国連で鳩山首相が、温室効果ガス25%削減を表明しましたが、ドイツは40%を打ち出し、その内の21%を削減したと聞きました。脱原発政策を一転、原発推進を掲げ、また経済では自由主義経済体制を進めていくとのことで、もしかしたら我が日本よりドイツが先に不況を脱するのかもしれません。これからのドイツの動きを注目して行きたいと思います。

外事警察

2111084924.jpg 先月、麻生幾著「外事警察」(NHK出版)を読みました。最近は警察小説が流行のようですが、この本は刑事ではなく公安が活躍するストーリーです。
 主人公の住本健司警部補は、警視庁公安部外事第三課の作業班長。大量破壊兵器製造に関わるシステムの資料を盗み出そうとした外国人テロリストの男が、住本班により逮捕された。そのテロリストと関係のあった女の自室から見つかった暗号リストに在った同じ番号の車が、三重県内で見つかる。一方ヨルダンの首都アンマンで爆破テロが発生、その二日後、日本人の男の惨殺死体が発見された。男は警察庁国際テロリズム対策課から派遣されていた"作業員"で、住本の友人であった。その頃日本政府は、政界再編への予兆をはらみながら、ある国への復興支援法案を成立させようとしていた。これらの事実がつき合わさった時、日本と言う国家までもが、テログループ、引いては大国により翻弄されていた事実が明らかにされる。
 こういったあらすじですが、この「外事警察」、今月14日よりNHK土曜ドラマで放送される予定です。ドラマのサイトを見ますと、どうやら原作に比べストーリーや登場人物の設定を変えたり、外事第4課という架空のセクションを登場させるなどの工夫をしているようで、放送が楽しみです。
※外事警察公式サイト http://www.nhk.or.jp/dodra/gaiji/index.html


2111084858.jpg 本日、麻布十番駅1番口にて、駅頭活動(あいさつ活動)を行いました。

明治大学ホームカミングデー

0910223175.jpg 第12回明治大学ホームカミングデーに参加しました。明治大学を卒業して10年、20年、30年、40年、50年目のOBOGが招待されました。私は平成元年、1989年の卒業で、今年で20年目となります。久しぶりに同級生に再開することが出来た一方、先週大学付属の中野中学からの同級生が急死するという出来事もありました。今思うとこの20年はあっという間の時間であったかと思います。時の流れの速さを感じつつも、これからの20年、30年を日々充実させて生きていきたいと思います。

追悼 中川昭一元財務・金融大臣ご逝去

 今月4日、中川昭一元財務・金融相ご逝去の報に触れました。心より哀悼の意を表します。
 この日は、朝から拉致被害者支援組織「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(通称:救う会)」の幹事会が都内で開かれ、拉致被害者家族も同席していたところに一報が入り、一同で黙祷を捧げました。
 翌5日に開かれた区議会決算特別委員会での質疑で、私は質問の冒頭で哀悼の意を表明しました。私は民主党議員ですが、不思議なことに中川元大臣と同じ自民党の議員からは、誰もお悔やみを述べた方はおりませんでした。

 中川氏は、かって拉致議連の会長を務められておりました。初めてご挨拶した際、私の名刺をご覧になって、「ほう、あなたは政経塾の出身?政経塾の皆さんには、日本のために頑張ってもらわなければいけませんね。」と言われたことを覚えております。その後何度か会食の機会が有りましたが、紳士的な雰囲気の方で、いわゆる"もうろう会見"のような状態に遭遇したことはありませんでした。
 平成14年(2002年)の10月15日、帰国する5人の拉致被害者を羽田空港での出迎えました。この時、北朝鮮側から二人の随行員、実態は監視員ですが、彼らも同じ飛行機に同乗しておりました。5人が降りた後、空港内の控室で、拉致議連のメンバーで民主党の西村慎吾衆議院議員(当時)が、「おい。あおの監視役の連中はどないしとんのや。」と尋ねられ、私が「まだ機内に居るようです」と答えると、突然立ち上がり「あいつらがタラップ降りてきたところをだな、ガン飛ばしに行くぞ!」と言って部屋を出て行こうとされました。これに当時自由党の小池百合子議員が「私も行く!!」と立ち上がり、さらに民主党の松原仁議員も「そういうことなら、俺も行くぞ!」と続き、最後自民党の中川会長だけが、一人ポツンと取り残されそうな状態になりました。私が「中川先生、どうされますか?」と尋ねると。「それなら私も。」と言われ、一同タラップの下まで進みました。
 果たして監視役が降りてくるや、議連の秘書団がデジカメを構え顔写真にを撮り、さらに銀や支援者から様々野次が飛びました。私も「ここは法治国家だ。この国で好き勝手なことはさせねえからな!」と叫んだことを覚えております。彼らは憮然とし表情で、迎えのマイクロバスに乗って行きました。この時撮影した顔写真は、夕方のニュース番組で公開されました。

 56歳とは、早すぎる死です。日本の保守政治再生の要でもあった方です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

アークヒルズでヘリコプター内覧会

2109213757.jpg 森ビルシティエアサービス株式会社主催によるヘリ内覧会が、昨14日に開催されました。
 同社は、森ビルの子会社で、赤坂のアークヒルズ屋上から成田空港近くまで飛行するヘリの運用を、今月16日より開始します。 同社の説明では、アークヒルズを離陸し、成田空港近くに在る佐倉へリポートに着陸し、その後リムジン車に乗り換え空港まで送り届け、所要時間は約30分とのことでした。
 導入された機種は、フランスに本社を置くユーロコプター社製のEC135エルメスエディションで、その名が示すとおり客席はエルメスのシートとなっております。
 内覧会に先立ち、立食パーティーが催されましたが、元来の乗り物好きの私はパーティーもそこそこに、ヘリを見に屋上に上がりました。
 欧米ではヘリによる移動はさほど珍しくないかと思いますが、我が国もこれから交通手段としてのヘリの需要が高まるかと思います。

海賊対処について

 総選挙後、民主党・社会民主党・国民新党の三党による連立協議が始まりました。個別の政策について、三党間で一致できるもの、そうでないものが様々取り沙汰されております。外交防衛政策、中でもソマリア沖の海賊対処では、各党間の隔たりが目立って来ました。
 民主党は第一義的には海上保安庁の所管であるが、同庁で対応できない場合は自衛隊を活用するとの立場です。社民党と国民新党は自衛隊派遣に反対の立場です。社民党はともかく、国民新党までもが反対とは驚きました。
 本日朝放送されたTBS情報番組「朝ズバ!」の中で、自見庄三郎同党副代表が反対の理由として、海賊は軍隊でもテロリストでもなく盗人集団であること、マラッカ海峡で出没する海賊は海上保安庁が対処している、かってプルトニウムを日本に輸送した時、海上保安庁で6000トンの巡視船を建造し対応したというものです。

 上述のプルトニウム搬送について補足しましょう。
 平成4年(1992年)、フランスから我が国に向けてプルトニウムを輸送するオペレーションが実施され、プルトニウム輸送船「あかつき丸」がシェルブール港を出航し、無事日本への海上輸送が成功しました。当時大きなニュースとして取り上げられておりましたので、ご記憶の方も多いかと思います。
 この頃私は松下政経塾を卒塾し、都内に在る某シンクタンクで、政府や企業の危機管理に関わる仕事についておりましたが、航行ルートは直前まで明らかにされませんでした。そして「あかつき丸」の護衛任務に就いたのが巡視船「しきしま」です。
 JCG PHL31 しきしま。海上保安庁が保有する世界最大級の巡視船で、総トン数7175トン、基準排水量6500トン、全長150メートル、全幅16.5メートル、速力25ノット以上、兵装は 35mm連装機関砲 2門及び20mm機関砲 2門、搭載する航空機はアエロスパシアルAS332L1ヘリコプター 2機となっており、海上自衛隊のイージス艦のこんごう型護衛艦に迫ります。

 話がマニアックな方向へ流れましたので軌道修正します。私は自見氏の見解には疑義を唱えたいと思います。
 そもそもマラッカ海峡とソマリア沖では、海賊の持つ兵器が違います。マラッカ海峡の海賊は主に自動小銃で武装しておりますが、ソマリア沖の海賊は対戦車ロケット砲RPG-7を持つなど重武装化し、いわば施設の軍隊のような状況です。
 公海上における犯罪取り締まり行為という意味で、日本の警察力である海上保安庁を第一義的にその任に当たらせることについては、旧政府・与党(自民・公明)も見解を同じくしております。よって派遣されている護衛艦に、海上保安官が乗船し、被疑者に対する逮捕及び取り調べを行うことになっております。但し警察力で対処できない場合には、我が国の事実上の軍事力である自衛隊を活用することはやむを得ないことであります。

 そもそもこの海賊対処法、実は最初に提案したのは民主党であることを、皆様ご存じでしょうか。
 昨年秋、給油法の是非を巡り当時の与野党間で様々な議論が在りました。その中で鳩山由紀夫幹事長(当時)は、給油法に代わる対案として、ソマリア沖に護衛艦を派遣し民間船への護衛任務に当たらせること、但しそれは民主党政権下で行うつもりであると表明しました。この民主党の考えを、麻生政権が真似をしただけであります。
 海賊対処法案について、与野党案の間にはほとんど違いが無く、要はシビリアンコントロールの観点から、自衛隊派遣に関する国会承諾を、事前承諾(民主案)とするか事後承諾(自公案)とするかの違いでありました。
 平和や人権は、ただお題目に様に唱えているだけでは守れないことを、北朝鮮のミサイル実験、日本人拉致事件、オウム真理教によるサリン事件などで日本人もよく身に染みて分かっているはずです。政権与党である以上、実態に即した外交防衛政策を推進しなければ、国民の安全も国の安全も、そして世界の安全も守ることはできないと思います。

<参照URL>
○海賊対処に関する民主党の考え方(談話) http://www.dpj.or.jp/news/?num=15809
○ソマリア沖・アデン湾における海賊対処のための活動(統合幕僚監部) http://www.mod.go.jp/jso/kaizokutaisyo.htm
○海上保安庁の海賊対策 http://www.kaiho.mlit.go.jp/info/anti-piracy/

終戦の日 靖国神社参拝

2108160351.jpg 先の大戦で亡くなられた戦没者の方々、そして交戦国兵士諸君に対し、心より哀悼の意を表します。

 今日8月15日は、大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦日です。私自身の印象としては敗戦の日ですが、世間一般では終戦の日と呼ばれておりますので、この呼称に倣いたいと思います。
 靖国について、区民の方々からも様々ご意見を頂いたことも有りますので、この機会に私の考え方を明らかに致したいと思います。私は昭和60年(1985年)、当時18歳でしたが、当時からほぼ毎年8月15日には、靖国神社に参拝して参りました。今後もこれまで同様、公職に在る無しに関わらず、この姿勢を堅持して参ります。現在の日本の平和と繁栄は、かって国を守るために戦った英霊の皆さん、戦没者の皆さんのお陰だと思います。その皆さんが祀られている場所に参拝することに、何らの政治的配慮も必要ありません。増してやその形態が、公式か非公式かという議論自体不毛です。
 そもそも参拝の形に、公式も非公式も在りません。一般的に行われているように、拝殿の前で賽銭を投げ手を合わせるのも参拝、後ほど書きますが、本殿に上がり古式に乗って行う(これを昇殿参拝と言いますが)のも参拝です。
 昨年に引き続き、超党派の日本会議地方議員連盟の一員として、昇殿参拝を行いました。今年の参加者は50名で、昇殿参拝には自民党や保守系無所属のみならず、年々民主党議員の参加も増えています。先日の都議選で躍進した都議会民主党からは5名が参加しました。因みに港区議会からは、私の他、水野むねひろ自民党区議が参加致しました。
 昇殿参拝までの流れは以下のとおりです。参拝者は、まず参集殿という建物に集まります。ここには個人や団体で昇殿参拝する方々のための受付や控室があります。参集殿を出て水舎手を洗います。このあたりは一般の参拝と同じです。そして拝殿に向かい、ここでお祓いを受けます。この拝殿の外では、一般参拝客がお賽銭を投げお参りをしております。お祓いの後、拝殿から回廊を通り本殿に入ります。本殿は神霊が祀られており、ここで一同二例、二拍手、一礼の作法に則り参拝を行います。そして黙祷。参拝を終えると、反対側の回廊を渡り、回廊の途中でお神酒を賜り、本殿に向いて飲み、再び参集殿に向かいます。よくテレビで、超党派の国会議員の集まりである「みんなで靖国を参拝する会」の議員達が歩く姿が映りますが、この最後の回廊を歩く姿かと思います。
 参拝を前に神社関係者より、「英霊達は皆さんのことを、実はよく見ています。靖国をないがしろにする政治家には何らの力を与えませんが、国を守ろうとする政治家達には力を与えるでしょう。」という趣旨の発言が心に残りました。

靖国神社URL http://www.yasukuni.or.jp/

8月9日について

 長崎に投下された原子爆弾により亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。

 毎年私は、この日になると二つの歴史的事実について考えさせられます。一つは冒頭にもございますとおり、長崎に原子爆弾が投下されたことであります。広島同様民間人が多数居住する都市に、それまで使用してこなかった大量殺戮兵器である原爆を、アメリカ軍が投下したのであります。
 当時アメリカは、リメンバーパールハーバーと謳い、対日参戦への国民意識の高揚に利用しました。確かに日本も真珠湾を奇襲攻撃したではないかという考え方もありますが、真珠湾は軍事施設であります。元来攻撃を受ける可能性のある場所であり、そこに勤める軍人、軍属、偶然居合わせた民間人に至るまで、被害を受ける可能性が在ったわけです。
 これに対して、広島も長崎も都市であります。国際法上、保護が義務付けられている非戦闘員、民間人が多数居住している地域です。戦後反戦左翼は、広島も長崎も軍都であったから爆撃の目標とされたと主張していますが、ならば軍事施設のみを破壊すれば良かった訳で、初めから新兵器である原子爆弾をしようしたかったアメリカの思惑が見て取れます。

 原爆投下については、多くの国民の皆さんがご存知のことと思いますので、これ以上触れませんが、私はもう一つ忘れてはならない歴史的事実に言及したいと思います。それはソ連による日ソ中立条約の一方的破棄と対日参戦であります。
 日ソ中立条約。正式名称は、大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約、日本側条約番号は昭和16年条約第6号、昭和16年(1941年)4月13日モスクワで締結され、同月25日に発効した条約です。内容は日ソ相互不可侵、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などが定められました。
 大戦末期、昭和20年9日午前零時をもって、ソ連は突然条約を破棄を宣言し、当時の満州、そして南樺太及び千島列島への侵攻を開始致しました。宣戦布告が前日の午後11時、この時既に在ロシア日本大使館の通信手段が切断され、宣戦布告の一方が本国に打電できない状態でした。この後のソ連軍侵攻の経過については、先月16日のブログにも記載致しましたのでご参照願います。占領地でソ連軍は日本兵捕虜に対し、国際法に違反するシベリア抑留を強制し、また多くの日本女性を暴行しました。樺太では、真岡郵便局に勤務していた女性の電話交換手がソ連軍の侵攻を受けながらも必死の交換業務を続け、ソ連兵が間近に迫ったところで自決、後年真岡郵便電信局事件と呼ばれる悲劇も起きました。
 これらの出来事について、敗戦国となった我が国で、公に語られることは少なかったかと思いますが、戦後64年が経過し、ようやく歴史に光が当てられつつあると思います。8月9日は、北方領土問題そしてシベリア抑留などの悲劇の原因となった日でもあるのです。

原爆症認定について

 広島に投下された原子爆弾により亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。

 原爆投下の日からから64年後の本日、麻生総理と原爆症認定訴訟原告団との間で、訴訟終結に関する基本方針確認書への署名が行われました。
 同書によれば、一審で勝訴した原告は、その後の最高裁判決を待たずに政府が原爆症と認定すること、また敗訴した原告には議員立法により新たに基金を創設し手当てすることとなっております。
 率直に言えば、現行法の枠を超えた高度な政治判断であり、大きな前進であったと評価したいと思います。昨年港区議会で、原爆症認定基準の見直しを国に求める意見書の採択について議論が行われ、私は意見書採択を希望していたのですが、残念ながら全会一致に至らず採択は見送られました。
 前述のとおり、今回の合意署名は評価しますが、国と原告団は訴訟を取り下げることとなり、敗訴した原告には、基金による手当てがなされるとは言え、原爆症の認定は行われないことになります。原告団の皆さんの心情も複雑ではないかと思います。国は認定基準を変えないまま、その穴を議員立法で埋める形になります。国会は立法活動を行う場ですから、当たり前といえばそのとおりなのですが、それならもっと前に行うべきであったと思います。
 現在の認定基準では、被爆当時、爆心地から半径3.5キロメートルに居たことが基準となっています。中学校で習った人も多いと思いますが、井伏鱒二の小説「黒い雨」。強い放射能を含んだ黒い雨を、爆心地から半径十数キロ地点で浴び、その後原爆症を発症した人でも、認定はされていないのが実情です。

 この問題に限らず、今の日本には、実情と合っていない行政基準、制度、法律が数多く有ります。政権交代は手段であると以前書きましたが、これらの現状を直していく事こそ我が党に課せられた使命ではないかと思います。

 

衆院解散について・重要法案の廃案と審議拒否は問題

 本日から三日間、視察のため北海道に来ております。今日は釧路で議員単独視察を、また明日からの二日間は所属会派フォーラム民主による行政視察を根室と標津で実施致します。これらの視察活動報告は改めて行います。

 麻生首相が衆議院の解散を決断し、来月18日公示、同30日投開票とすることが発表されております。
 解散により、政府により今国会に提出中及び継続審議中の17法案が廃案となりそうです。これら法案の中には、北朝鮮貨物検査特別措置法案、国家公務員法貝瀬案、労働者派遣法改正案が含まれます。
 貨物検査法案は、国連の対北朝鮮決議を受け、北朝鮮に出入りする船舶の貨物検査を強化するものです。公務員改正案は、国家公務員の人事管理を、新設される内閣人事局に一元化するものです。派遣法改正案は、日雇い派遣を原則禁止する内容です。
 いずれも外交・内政上の重要課題であり、その審議を終えること無く解散するという今回の麻生総理の決断は無責任のそしりを逃れられません。一方民主党も審議拒否という職務放棄をどのように正当化するのでしょうか。これでは現体制も、あるいは政権交代後の新体制も、重要案件に取り組む意思がないのではないかとの認識を、国民のみならず国際社会にも示すようなものであり、決して日本の国益には繋がらないと思います。

 私は一人の日本国民として、このような与野党揃いも揃ったご都合主義から、一日も早く脱却しなければならないと考えます。まずは変革が必要です。しかし政権交代は手段であって目的ではありません。今度の総選挙の終りが、変革の始まりになると思います。今後とも皆様のご支援よろしくお願い申し上げます。

サンライズ出雲に乗車

 松下政経塾の後輩が立候補した選挙応援(詳細後日)のため、島根県に行き、帰路寝台特急サンライズ出雲で東京へ戻って参りました。
 出雲市駅を18時55分に出発したサンライズ出雲は、岡山駅で四国方面からのサンライズ瀬戸と連結し、翌朝7時8分東京に到着する寝台特別急行列車です。
 ところが深夜から未明にかけ、東海道線で人身事故が発生し、2時間遅れとなりました。しかも神奈川県内に入り、東海道線の朝ラッシュと重なったため、横浜駅手前で普段通らない東海道貨物線に入線し、そのまま品川駅に9時過ぎに到着したところで運行中止となりました。

DSC07454.JPGJR木次線出雲三成駅のプラットホーム。ここから1両編成のディーゼル車に乗り、宍道駅へ向かいました。

DSC07456.JPG特急やくも。宍道駅で山陰本線に乗り換え、出雲駅まで乗車致しました。

DSC07468.JPG出雲駅に入線して来る寝台特急サンライズ出雲。

DSC07473.JPGサンライズ出雲のネームプレート。

DSC07475.JPG使用したサンライズ出雲7号車4番。B寝台シングル。サンライズではB寝台は開放型でなく個室型となっております。

DSC07476.JPG翌朝の日の出の様子。場所は天竜川鉄橋か。

第5共和国(その3)

 韓国文化放送のドラマ「第5共和国」の第5・第6話からです。

 戒厳令布告後、次第に権力を掌握しつつある全斗煥(チョン・ドュファン)保安司令官(陸軍少将)と、この動きを抑えようとする鄭昇和(チョン・スンファ)陸軍参謀総長(陸軍大将)の対立が激化し、さらにそれぞれを支持する軍将官達も加わり、派閥争いの様相を呈してきます。
 全司令官は、各部(各省庁)の次官を集めて次官会議を開き、戒厳司令官である鄭総長に上げる報告を峻別、さらには青瓦台(大統領官邸)で押収した資金を勝手に分配するなど、独断による行動が目立ち、鄭総長に疎んじられるようになります。先回も書いたとおり、番組は盧武鉉政権下で、左派色が反映されている部分も在ります。ストーリ上、全司令官が悪く描かれていますが、この辺りは全氏なりの考えや意見も考察する必要が在りそうです。
 例えば独裁者としてのイメージが強い朴大統領でしたが、自分や家族には財産は残しておらず、青瓦台を出て行くなど遺族の今後の生活を慮った全司令官が、押収した資金の一部を長女の朴槿恵(パク・クネ)氏に渡すシーンが在ります。朴氏は受け取りを拒みますが、貧しい国を豊かにした朴大統領の功績を考えれば、国民も理解してくれるはずと諭され受け取ります。
 因みに朴槿恵氏は1998年に国会議員に当選し、2007年には大統領候補にもなlりました。

 さて鄭総長は独断横行する全司令官を左遷しようと画策し始めます。盧載鉉(ノ・ジェヒョン)国防部長(国防長官)にも協力を求めますが、優柔不断な盧部長は耳を傾けようとしません。
 一方鄭総長派の動きを察知した全司令官派は、逆に鄭総長に朴大統領暗殺事件に加担したとして内乱幇助(ナイランパンジョ)の罪を着せ逮捕しようと計画します。
 後に12・12(シビ・シビ)事件と呼ばれるクーデターです。全派には軍内部組織「ハナ会」のメンバーが結集、ソウル市内にある景福宮(ギョンブクガン)に駐屯する第30警備団司令部が拠点になります。陸軍参謀総長を逮捕する場合は、事前に大統領から逮捕許諾を得なければなりませんが、全派は許諾と逮捕を同時進行させようとします。

 かくして1979年(昭和54年)12月12日、全斗煥司令官は逮捕許諾のため青瓦台へ、全司令官の部下の許三守(ホ・サムス)保安司令部人事処長(陸軍大佐)は鄭昇和陸軍参謀総長連行のため同総長の公邸に向かいました。許大佐には陸軍第33憲兵隊が同行し公邸を占拠し、大統領による逮捕許諾が得られないまま鄭総長を連行しました。連行直後、公邸占拠部隊と、いち早く駆け付けた韓国海兵隊との間で銃撃戦が始まりました。
 青瓦台では、中々逮捕許諾に応じようとしない崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領と全司令官との間で、交渉が続いていました。

第5共和国(その2)

 韓国文化放送のドラマ「第5共和国」の第3話と第4話を鑑賞しました。
 先日掲載のとおり、このドラマは2005年に放映され、1979年の朴大統領暗殺事件から全斗換少将が政権を掌握するまでのストーリーです。放映当時は盧武鉉政権下にありました。韓国ではテレビ局は、時の政府の影響下に置かれています。従って左派政権の影響も色濃く反映されている部分を認識して見る必要がありそうです。
 大統領逝去後、崔圭夏国務総理が大統領代行に就任し、戒厳令が布告されます。韓国の政体はフランスに似ており、大統領が国家元首として対外的な顔であるとすれば、国務総理は対内的なまとめ役といったポジションに当たります。
 ドラマでは崔代行は日和見で無責任な指導者として描かれ、戒厳司令部と合同捜査本部が実権を掌握していく様子が描かれております。その合同捜査本部長が、後に大統領になる全斗換国軍保安司令官(陸軍少将)です。捜査の過程で、政治家や軍の幹部が賄賂などで篭絡され腐敗している現状に、全司令官とその側近は義憤を抱くようになります。また暗殺現場に戒厳司令官がいたことなどが明らかとなり、やがて両者は対立関係になります。
 全将軍は、朴大統領が育てた忠臣でした。祖国を建て直すのは自分しかいないという思いからか、それとも権力志向からかは分かりませんが、徐々に全司令官は独断で政治に関与するようになります。日本の毎日新聞が、全将軍が権限を掌握しつつあるとの記事を掲載したという場面も登場しました。
 暗にクーデターを即す側近達に対し、軽挙妄動を諫め、「勝負をするなら勝つ勝負をしろ。チャンスを掴むのも大事だが、待つのも大事だ。戦争をするなら時を考えろ。」というシーンが在りますが、印象に残りました。
 ところでアメリカは、CIA韓国支部を中心に、事件発生後の早い時期から情勢把握に努め、正式発表よりも前に朴大統領の死亡、強硬派の台頭、などの情報を確認し本国に打電していました。暗殺事件に米国が関与しているのか否か、今もって推測するしかないというのが番組の結論でした。

オバマ新大統領就任演説より

  バラク・フセイン・オバマアメリカ合衆国大統領の就任をお祝い申し上げます。

 午前1時40分から、大統領就任式の様子をテレビ番組で見ておりました。以下新大統領の演説を聞きながら書き取った内容です(正式の演説文とは異なります)。

 ブッシュ大統領はこの国のために尽力された。政権移行における寛大さに感謝したい。
 我が国は、戦争や経済による危機の最中に在り、弱体化している。危機とは自信の揺らぎであり、高い目標を持てないでいる状態だ。この事態への対応を怠った皆にも責任が在る。
 しかしアメリカはいつかこの危機を克服する。目的のために団結しなければならない。使い古された考えに終止符を打ち、高潔な理想、すなわち平等・自由を追い求めなければならない。
 偉大さは与えられるものではなく、努力して得られるものだ。リスクを覚悟して行動を起こすべきだ。かってノルマンジーやケサンでは、多数の犠牲者を出したことがある。
 アメリカの能力は縮小していない。やり方を変えるのだ。古びた政治的議論はしない。大きい・小さい政府ではなく、機能するかしないのかで判断するべきだ。
 市場の繁栄で、一部の人が得をするのではなく、機会は全ての人に与えられるべきだ。
 アメリカは、ファシズムや共産主義と戦って来た。そこにはゆるぎない同盟と信念が在った。我々は力だけでなく、話し合いも大切にする。力は慎重に使い、謙虚さと調和を守りたい。イラクには主権を、アフガニスタンには平和を、そして核の削減を実現したい。
 一方で、罪の無い人々を殺害する輩を、我々は打ち負かすのだ。
 新しい平和の時代が始まる。謙虚さと感謝の気持ちが大事だ。今この瞬間も、砂漠や山岳地帯で任務についている兵士達に感謝したい。彼らは奉仕を具現化しているのだから。
 勤勉、正直、寛容、愛国心の精神に立ち帰ろう。一人一人が自覚し、それぞれの役割を果たすのだ。世界に対する義務を、いやいやでなく、喜んで受け入れよう。
 アメリカに神の加護を、そして皆さんの上にも。

 後段の、「一人一人が自覚し、それぞれの役割を果たすのだ。」という件は、実際の演説の中では、もう少し中盤辺りで触れていたかと思いますが、日本のメディアでは、一番取り上げられている文言かと思います。

 私の印象に残った件は、①「大きい・小さい政府ではなく、機能するかしないのかで判断するべきだ。」②「そして核の削減を実現したい。」③「罪の無い人々を殺害する輩を、我々は打ち負かすのだ。」の三点。
 ①は的確な指摘であり、米国のみならず、日本を含め各国で言えることだと思います。②はイランそして北朝鮮のことを指していると思います。ブッシュ政権時代、イランは一方的に敵国の烙印を押され、また北朝鮮には打って変って甘い対応を採ったことが問題を複雑化しました。③についても、暗に北朝鮮そしてアルカイダ等の国際テロ集団を指しているかと思いました。力の行使には慎重に、としていたオバマ大統領ですが、場合によっては力の行使も在り得るのかもしれません。

 世界が多極化を迎えつつある中、我が国は真の独立国家を、また国際社会に責任を果たしうる真の主要国として、再生していかなければならないと国民として思います。同時に日本の行動を理解し、また協力を惜しまない同盟国の存在も重要です。
 先日も日米同盟について触れましたが(1/18「日本の対朝政策に「日米同盟」が果たす役割」参照)、日米同盟の根幹要素である「共通の敵」と「共通の価値観」を見失わないことを強く米新政権に望みます。
 

日本の対朝政策に「日米同盟」が果たす役割

 間もなくバラク・オバマ米国新大統領就任式が挙行されます。この機会に日米同盟の在り方について考えてみたいと思います。
 最近私が読んでいる本が、重村智計早稲田大学教授の「「今の韓国・北朝鮮」がわかる本」です(写真)。DSC05985.JPG重村氏の著書、「今の韓国・北朝鮮」がわかる本。後方は控室の私のデスク。かかっているポスターは、昨年北朝鮮人権週間の際に作成された政府拉致問題対策本部のポスター。

 重村氏は元毎日新聞記者で、最近は朝鮮半島に関するコメンテーターとしてテレビにも出演しております。小泉元首相が初めて北朝鮮に訪朝した2002年9月17日の直前、東京財団(港区虎ノ門)で開催されたシンポジウムで、初めてお目にかかる機会を得ました。

 対北朝鮮外交において、忘れられている事の一つが日米同盟の役割と強化である、と重村氏は語ります(もう一つは、日本が主権侵害を主張しなかった事)。同盟の成立と維持には、「共通の敵」と「共通の価値観」が必要であり、冷戦崩壊後、日米は核開発に邁進する北朝鮮を「共通の敵」とし、民主主義と人権の拡大を「共通の価値観」としてきました。
 しかし日本側には、核開発問題が解決していない中で、「共通の敵」であるはずの北朝鮮と国交正常化を行えば同盟が崩壊するという認識に欠けていました。従ってブッシュ政権は正常化に反対しました。
 さらに拉致問題は人権問題であるにも関わらず、「共通の価値観」として日米共通のアジェンダに掲げていれば、日本国民は日米同盟が機能していることを実感したはずです。ブッシュ大統領が横田めぐみさんの母親や弟と面会した事実は、日本国民に日米同盟の存在と機能を認識させました。
 こうなると小泉元首相は、世間での大方の評価とは別に、実は日米同盟を危機に直面させた人物ということになります。実はもう一人日米同盟を危機に直面させた人物がアメリカ側にいました。クリストファー・ヒル国務次官補(日本の省庁では局長級)です。
 ヒル氏は2007年初め、日本政府高官に対し「北朝鮮へのテロ支援国家指定を解除しない」と約束したにも拘らず、その後の六ヶ国協議で北朝鮮側に「テロ支援国家解除は可能」と伝えました。重村氏はこれを「二枚舌おじさん」と評しております。さらにこの後、ライス国務長官も、「北朝鮮へのテロ支援国家指定解除は、アメリカ国内の法手続きに従って行う」と発言しました。
 国務長官も次官補も、テロ支援国家指定解除により、日米同盟が危機に直面するという認識も、拉致問題は人権問題であるとの認識も、そして日米同盟共通の課題として扱われるべきとの認識も無かったわけです。

 以上が重村氏の著書からの抜粋です。その後の状況については、皆さんもご存じのとおりです。昨年10月11日、アメリカは北朝鮮へのテロ支援国家指定解除を発表しました。日本政府はこれを事実上黙認しました。少なくても外交でよく使われる「遺憾の意」を表わすべきでした。日本国民のアメリカに対する信頼が急速に冷めつつある印象です(今月15日ブログ記事参照)。
 さらに今月17日、6カ国協議で北朝鮮が申告しているプルトニウムのうち30.8キロ分について、北朝鮮当局者が「既に武器化しており、検証することはできない」との見解を示したとの報道が流れました。終焉間近なブッシュ政権の足元が見られた格好です。
 今年は総選挙が行われる年です。現政権も、そして政権交代後の民主党政権も、日米同盟の根幹要素である「共通の敵」と「共通の価値観」を見失いで頂きたい。そして何よりも我が国民が、未だ国家監禁に遭っている事実を、よくよく認識してもらいたいと思います。

第5共和国(その1)

 お正月のテレビ番組欄を見ると、多くがお笑い芸人の番組ばかりです。面白い物も在りましたが、同じような番組が続くと空いてきます。
 というわけで、一昨日、箱根駅伝往路の応援の後、神谷町交差点にあるレンタルDVD店TSUTAYAに行きました。私の場合ジャンルは、アニメ・韓流ドラマ・24に代表される洋風アクション物が多いのですが、今回もアニメ「攻殻機動隊」と韓流ドラマ「ホテリア」と「第5共和国」を借りてきました。中でも第5共和国がメチャクチャ面白い!

 70年代末から80年代初頭にかけ韓国で実際に起きた動乱をドラマ化。2005年(平成17年)4月から、韓国の文化放送(MBC)で放送されました。同年夏、私はソウルにおりましたが、この番組のポスターを街中で見たことがあります。ドラマでは、朴正煕大統領が暗殺され、後に大統領となる全斗煥陸軍少将(国軍保安司令官)が実権を掌握するまでが描かれています。
 因みに第5共和国とは、全斗煥氏が大統領に就任した1981年(昭和56年)3月から1988年(昭和63年)2月までの大韓民国の政体です。
 今回は第1話と第2話を鑑賞しましたが、朴大統領が宴席で、金載圭KCIA(韓国中央情報部)部長によって殺害され(10.26事件)、韓国陸軍は正確な事態を把握できないまま、一部の部隊が青瓦台(大統領官邸)を包囲し、崔圭夏国務総理による集団指導体制が形作られるところまでが描かれています。
 当時地方都市の釜山や馬山で朴政権に対する反政府暴動が勃発し、金部長は事態の深刻さを認識しつつも大統領に上申できず、また大統領も事態を過小評価していました。さらに車智徹大統領警護室長が大統領に取り入ろうとし、本来年上である金部長を愚弄するなどしていました。金部長は、やがてノイローゼとなり、失脚するのではないかと思いつめるようになります。遂には憎悪の対象である車室長だけでなく、朴大統領まで殺害してしまいました。
 リーダーの状況判断能力の低下、あるいは部下の上申を聞き入れない愚かさ、そして悲劇を感じました。ドラマを見る限り、追い詰められ、上官(大統領)に意見を具申できず、年下の者(警護室長)に反論も出来ない金部長には、同情と共に怒りを感じました。
 これから全斗煥国軍保安司令官が、いかにして政権を掌握していくのか興味が有りますが、非常事態において、沈着冷静に考察し行動できる人物こそが指導者としてふさわしいと思います。今後もドラマの感想を述べて参りたいと思います。 

区内初詣

 今日は初詣に出かけました。午前に八幡神社(虎ノ門)、午後は豊川稲荷(元赤坂)でした。

 (左)八幡神社。(右)豊川稲荷。少し見えづらいですが、私に向かって右後方、カメラを向けられている着物姿の女性は、今話題の泰葉さん。

DSC05791.JPGDSC05809.JPG

平成21年の幕開け

DSC05755.JPG 旧年中は、私の議員活動、各種活動に対しまして、一方ならぬご厚情を賜り心より感謝申し上げます。お蔭様で気力充実で責任ある新年を迎えることができました。
 今年は、私の任期の折り返しの年であり、また東京都や日本国にとって重要な年であります。区民の皆さんや現場で働く皆さんの声を政治に反映していくために、引き続き現地現場から港区の発展の為に勤しんで参ります。
 本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

港区議会議員 民主党港区支部副幹事長 

山本閉留巳  

今年の言葉は疑

 平成20年における山本へるみの議員活動・各種活動は、本日の民主党港歳末特別街宣、麻布消防団歳末特別警戒をもって終了します。
 一年間多くの皆様方にお力添えを頂き誠に有り難うございました。来年は、日本国にとっても、また東京都にとっても、大変意味の在る年となります。その様な時局の中で、港区政をいかに運営していくか、極めて重要なことになるかと思います。
 年末になりますと、よくテレビで今年を表す言葉は何か、といった放送が行われますが、私にとっては、疑であります。昨年同様産地偽装に加え、中国産食材に毒物が混入していた問題など、食の安全性に対する疑いが在りました。秋葉原で起きた大量殺傷事件、元厚生官僚等に対するテロ事件、子供が殺害される事件の続発など、社会の安全性に対する疑いも在りました。また政治の世界では、総理大臣の相次ぐ辞任、金融危機を端とする経済不安、そして政権を本当に託せるのか国民の皆様の中にある我が党への不安、これらは政治経済の安定性に対する疑いでありました。
 これらを含めて、日本の内外で起きている問題に対する疑いを、来年いかに晴らしていくのか、政治家には大変重要な年となります。今後とも区民の皆さん、現場で汗を流す皆さんの声を大事にして、港区政のさらなる改革に当たりたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻の程偏にお願い申し上げます。
 どうぞ皆様、良い年をお迎え下さい。

 平成20年12月30日

港区議会議員 民主党港区支部副幹事長 

山本閉留巳  

六本木の託児所で7カ月の女児死亡

 本日、以下の報道が入電して来ました。詳細が判明致しましたらお知らせします。

○託児所で7カ月の女児死亡
 2008年12月8日(月)8時18分配信 共同通信

 7日午後3時半ごろ、東京都港区六本木の託児所「キッズ花花六本木」で、神奈川県厚木市の夫婦が預けていた生後7カ月の女児が、うつぶせ状態でぐったりしているのを女性職員が見つけ119番した。女児は病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。警視庁麻布署によると、女児に既往症はなかったといい、業務上過失致死の疑いもあるとして職員から事情を聴くとともに、司法解剖して死因の特定を急ぐ。

○初めて来た託児所、7か月の女児うつぶせで死亡...六本木
 2008年12月8日(月)1時4分配信 読売新聞

 7日午後3時30分頃、東京都港区六本木の託児所「キッズ花花六本木」で、寝かせていた7か月の女児が呼吸していないのを女性職員が発見、別の職員が119番した。
 女児は搬送先の病院で死亡が確認された。
 警視庁麻布署幹部によると、女児はこの日初めて、神奈川県厚木市に住む両親によって預けられた。
 午後2時15分頃、女性職員があおむけで寝かしつけていたが、約1時間後に様子を見に行ったところ、女児はうつぶせの状態で呼吸をしていなかったという。
 同署は業務上過失致死の疑いもあるとみて、管理体制に問題がなかったか託児所の職員らから事情を聞くとともに、8日にも女児を司法解剖して死因を調べる。

オバマ氏、大統領当選について

アメリカ大統領選で、米民主党候補バラク・オバマ氏が当選致しました。
同盟国の一国民としてお祝い申し上げます。

 さて今後の日本の外交安保政策への影響について、個人の意見を論じます。

 オバマ氏は、選挙戦を通じて、16ヶ月以内に一部を除いてイラクからの撤退を表明してきました。以前ほどでないにせよイラクにおけるテロは続いており、米軍のいなくなったイラクが今後中東における不安定要因になりかねない状況です。
 中東に多くの石油を依存している日本にとっては大きな影響を受けることになりそうです。主要国の中で、アメリカはアラスカに、イギリスは北海に油田を所有、またフランスは原子力により電力を供給しており、割りを食うのは我が国とドイツです。そのドイツにも石炭が有ります。日本はどうなるのでしょうか。

 北朝鮮政策にも変更が予想されます。米民主党は現状の六ヶ国協議よりも米朝単独交渉による核・ミサイル問題の解決を求めて来ました。オ政権がこの流れを踏襲するなら、米朝間での交渉プロセスが動くことになります。
 ただし北朝鮮は、これまでも様々な駆け引きや騙しを行って来た経緯が有ります。またブッシュ政権での合意は一部の核施設における申告で終わっており、他の施設における核開発状況については、全く明らかにされておりません。今後この問題が明らかになるのか、そしてその結果交渉が進展するのか、あるいはクリントン政権のように空爆という選択をするのか予断を許しません。

 今日オバマ大統領予定者は、麻生総理と通訳無しで電話会談を行ったとのニュースが在りました。オバマ氏は、福井県小浜市を訪問したいとの希望を述べたそうで、大統領就任後、早い時期に来日が在るかもしれません。

以上


たまには・・・(ブラッディ・マンデイより)

 いつも固い話を投稿しておりますので、たまには趣味の話を入れてみたいと思います。最近ハマッているドラマがブラッディ・マンデイ。毎週土曜日、7時56分よりTBS系列局で放送しております。

 まずはあらすじから。
 ロシアの諜報員が、ある日本人の女を追跡中に殺された。ロシアで行われた密売取引で殺人ウィルスを手に入れた女の目的は、日本で細菌テロを起こすことだった。
 日本側で捜査に当たる警察庁警備局公安特殊第三課(通称:サードアイ、またの名はマルサン)は、ある高校生に捜査協力を依頼する。見た目は普通の高校生だが、実はファルコンと呼ばれるハッカーだった。依頼内容は、ロシア軍事施設のコンピューターへのハッキング。やがてこの高校生の元にもテロリストの影が忍び寄る・・・。

 お気づきの方もおられるかと思いますが、ストーリーからして、私が関心を持たないはずが無い内容です。原作は週刊少年マガジンに連載中。
 原作自体を目にしたことはありませんが、上記のようなあらすじと、我が愛しき片瀬那奈さんが出演しているという極めて短絡的な理由で鑑賞しています。
 昨日の放送では、最後その片瀬さん演じる特殊三課捜査官、宝生小百合が自決するシーンで幕を閉じました(因みにロケ地は、港区海岸3丁目に在る芝浦へリポート)。宝生は陸上自衛隊から警察庁へ出向していたのですが、実はテログループに内通していたスパイ。同じく自衛官であった兄が、汚職の濡れ衣を着せられ自殺し、祖国に恨みを抱く。その心の隙をテログループにつけ入れられたという設定。
 死の直前、宝生は「この国は腐っている。」と叫びます。現在の世相を反映しているかのようなセリフでした。

 趣味のはずが、やはり固い内容になりましたかな。

番組公式サイト URL http://www.tbs.co.jp/bloody-monday/

校長の判断は間違っていたか?(神奈川県立神田高校)

神奈川県立神田高校で、入学試験の成績は合格圏内ながら、服装や態度などが悪かったために不合格にした件がニュースになっております。しかもその後の29日に、同校校長が更迭されたとの報道がなされ、さらに注目を浴びる事件となりました。

事の詳細ですが、神奈川県教育委員会が、同県立神田高校(平塚市)で平成16年度と17年度、さらに19年度に実施した入学試験で、内申書や学力試験あるいは面接の総合的な成績順位は合格圏内ながら、、願書受け付け時の服装や態度などが悪かったため、入学後の生徒指導が困難と判断した受験者22人を、選考基準に従わず不合格にしたというものです。

私の考えですが、確かに選考基準に従わなかったことは問題かもしれませんが、校長の判断は正しかったと思います。
ここが行政と政治の大きな違いです。法律に合っているから、書面が正しく記載されているから、業務として正しいというのが行政です。これに対して、確かに業務として正しかったかもしれないが、仕事として正しいかったのか否か、検証するのが政治です。
今回の選考基準が決められたのが、国のレベルか自治体のレベルか、私も不勉強な部分もあるので、よく調べたいと思います。ただこれは教育の現場で起きたことです。成績さえ良ければ全て良しとするのは、あまりに知識偏重ではないでしょうか。人は知育だけでなく、徳育、体育も含めて評価されるべきであり、それら知徳体を健全に教え育てることが教育のはずです。その意味で校長を更迭した県教委も、勉強ばかりができる、お役所仕事の人々で構成されているのかと思うと残念です。

(参照:時事通信記事)

ALL page  1   2   3   4   5   6   7   8   9   10   11 

Home > 活動報告 > その他

フォト
このサイトを検索
アーカイブ
フィード

このページの先頭へ戻る