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北朝鮮・拉致問題

拉致の全体像と救出の方途-東京連続集会(29日)

 「拉致の全体像と救出の方途-東京連続集会」が、29日夕方、文京区民センターにて、拉致被害者鳩首運動団体である救う会東京及び救う会全国協議会主催により開催されました。講師は救う会全国協議会会長代行 西岡力氏、ジャーナリストの惠谷治氏でした。
 開会に際して、拉致被害者家族の皆さんからも発言が行われました。

 以下は講演の概要です。

■拉致の全貌、1976年の金正日拉致指令を中心に
1.北朝鮮による拉致の時期には、①朝鮮戦争中の韓国人拉致、②戦後から1976年までの漁船拿捕を中心とする韓国人拉致、③1976年金正日の「工作員現地化教育のための教官拉致」指令による韓国・日本・諸外国での拉致、という3つのピークがあった。
2.金正日拉致指令
 1974年に金日成の後継者として公式指名された金正日は、76年初め、対南工作の新方針を示す中で、「工作員の現地化教育を徹底して行え、そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ。」と拉致指令を下した。
3.77年~78年に拉致集中
 拉致指令の翌年の1977年から78年にかけて、韓国人や外国人拉致が世界規模で集中して行われた。日本人拉致もこの時期に集中し、現在政府認定被害者17人中13人が、この2年間に拉致された。また韓国、日本以外の10ヶ国、中国(マカオ)・タイ・レバノン・ルーマニア・シンガポール・マレーシア・ヨルダン・フランス・イタリア・オランダの拉致は、78年もしくはその直前に集中している。
4.80年代以降の状況
 1980年代後半に入ると韓国人拉致の様相が大きく変わり、それまでの漁船拿捕による拉致はほとんどなく、拉致指令による教官拉致も確認されていない。
 一方90年代後半以降、北朝鮮にとって「有害行為」の阻止を目的とした拉致が新たになされる。中朝国境地域で、脱北者を助けていたキリスト教宣教師や貿易商が拉致された。
5.よど号グループによる日本人拉致
 1980年代前半、赤軍派よど号グループによる日本人拉致がヨーロッパで組織的に展開された。日本人を北朝鮮工作員として使おうという金正日の指令によるものだ。80年代後半、彼らのメンバー2人が日本に戻り対自衛隊工作を行おうとして逮捕された。以降このタイプの拉致も確認されていない。
 この時期、日本以外の外国人拉致は確認されていないが、2000年代に入り、脱北者を支援していた中国籍朝鮮族が多数拉致されたとの有力情報がある。
6.拉致被害者を返さなかった理由
 金正日による拉致指令は秘密とされた。拉致は国際社会全体を敵に回すテロであり、その上、金正日は、工作員を使い大韓航空機爆破事件というテロを実行している。拉致指令が明らかになれば、金正日がテロの首謀者であることが暴露され、だからこそ拉致指令やテロ指令などを認めることつながる被害者を「死亡」として、返すことが出来なかった。
 金正日は2002年9月に、日本人拉致を認め謝罪したが、自らの関与を否定し、「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って行ったと考えている。」とした。僅か5人を返し、「拉致したのは13人だけ。残り8人は死亡した。」という新たな嘘をついた。嘘には動機がある。なぜこの時点で全被害者を返さなかったのか、拉致被害者救出の為に必ず解明すべき問題だ。

■北朝鮮による拉致の分析
1.拉致の目的
 過去の北朝鮮による拉致事件を分析すると、以下の8つの目的が浮かび上がる。
①秘密隠蔽 ②背乗り(身分盗用) ③工作員として活用 ④工作員現地化教育の教官 ⑤拉致被害者などの配偶者 ⑥特殊技能者(専門家) ⑦反北活動の阻止 ⑧対南宣伝に利用
2.拉致の方法
 拉致事件の状況をみると、拉致は3つの方法で実行されている。
(A)遭遇拉致 工作活動の目撃者など上記①の場合。
(B)条件拉致 マグジャビ(手当たり次第)と呼ばれ、上記②~⑤及び⑧の場合。
(C)人定拉致 基本的には特定の個人が対象で、上記⑤~⑦の場合。
3.北朝鮮による拉致事件(日本人被害事案のみ抜粋。○=政府認定事案 △=政府未認定事案 ☆=拉致関連情報)
○1963年5月12日 石川県志賀町高浜の沖合いで、寺越昭二(36)、寺越外雄(24)、寺越武志(13)を拉致。
☆1969年11月 金日成は3号庁舎(特殊機関を示すコードネーム)拡大幹部会議において、「必要なら日本人を包摂工作し拉致工作することも出来る。」と言明。
☆1970年3月31日 日航機よど号がハイジャックされ、平壌に着陸。
△1970年8月8日 加藤久美子(22 事務員)を拉致。
△1973年7月7日 古川了子(18 会社員)を拉致。
△1974年6月中旬 渡辺秀子の2児拉致(父親の高大甚は工作員で北朝鮮帰国)。
☆1976年初め 金正日の外国人拉致指令
○1977年9月19日 石川県能登半島宇出津から久米裕(52 警備員)を拉致。
○1977年10月21日 松本京子(29 会社員)を拉致。
○1977年11月15日 新潟市寄居浜付近から横田めぐみ(13 中学生)。
○1978年6月6日 成田から出国した田中実(29 店員)をウィーンで拉致。
○1978年6月29日 田口八重子(22 店員)を拉致。
○1978年7月7日 福井県小浜市から地村保志(23 大工)と浜本富貴恵(23 店員)を拉致。
○1978年7月31日 新潟県柏崎市の中央海岸付近から蓮池薫(20 大学生)と奥土祐木子(22販売員)を拉致。
○1978年8月12日 鹿児島県日置郡の吹上浜から市川修一(23 電電公社職員)と増元るみ子(24 会社員)を拉致。
○1978年8月12日 佐渡島から曽我ひとみ(19 看護師)と母親の曽我ミヨシ(46)を拉致。
○1978年8月15日 富山県高岡市の雨晴海岸でカップル拉致未遂事件。
△1979年8月頃 小住健蔵(46 旋盤工)を東京の山谷から拉致。
△1979年頃 金田竜光(26 店員)が神戸市東灘区から失踪
☆1980年1月7日 産経新聞が一面トップで「アベック3組謎の蒸発」を報道。
○1980年5月中旬 マドリードから松木薫(27 語学留学生)と石岡亨(22 大学卒業直後)を拉致。
○1980年6月20日 宮崎県青島海岸の児童公園から原敕晁(43 調理師)を拉致。
○1983年7月15日 コペンハーゲンから有本恵子(23 語学留学生)を拉致。
☆1985年3月1日 西新井事件でスパイ朴を指名手配(小住健蔵拉致発覚)。
☆1985年6月28日 韓国国家安全企画部が辛光洙事件を発表(原敕晁発覚)。
☆1987年1月21日 寺越外雄の手紙が姉の元に届き、寺越武志と共に北朝鮮に住んでいることが判明。
☆1987年9月3日 訪朝した寺越武志の両親が、息子と弟(外雄)と再会。
☆1987年11月29日 大韓航空機爆破事件。
☆1988年1月15日 大韓航空機爆破事件の実行犯金賢姫が記者会見で、日本語教育係だった日本人「李恩恵」の存在を公表。
☆1988年3月26日 橋本敦参議院議員(共産党)がアベック連続蒸発事件について質問、梶山静六国家公安委員長が「北朝鮮の疑いが濃厚」と答弁。
☆1988年9月6日 石岡亨の手紙がポーランドから札幌の実家に届き、北朝鮮に住んでいることが判明。有本恵子の住所と写真、幼児の写真が同封。松木薫の存在に言及。
☆2002年9月17日 小泉首相第1回訪朝、金正日が拉致を認め謝罪。
☆2002年10月15日 拉致被害者5人が帰国。
☆2004年5月22日 小泉首相第2回訪朝、地村・蓮池夫妻の家族5人が帰国。
☆2004年7月9日 ジャカルタで曽我ひとみ一家再会、18日一家日本帰国。


 

拉致事件をテーマにした舞台を観劇

 北朝鮮による拉致事件をテーマにした舞台「めぐみへの誓い」を観劇しました。
劇団夜想会の制作で、先月26日から31日まで、新宿の紀伊國屋サザンシアターで上演されました。
  ストーリーは、昭和52年(1977年)に起きた横田めぐみさん拉致事件、横田家の様子、昭和63年に発生した大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元死刑囚や、その教育係だった田口八重子さんが苦悩する姿、脱北者の証言などに基づく収容所の場面などが盛り込まれた内容でした。
 配役では、横田めぐみさんの父、滋さんを小野寺昭さんが、また拉致被害者田口八重子さんを川上麻衣子さんが演じました。
 衝撃的であったシーンは二つ。めぐみさんが拉致された後、「朝鮮語をマスターしたらお母さんの所に返してやる。」と言われ、一生懸命勉強し、金日成を称える文言まで暗唱しながら、帰国の望みが叶わないことが分かり、精神的に破綻して姿。もう一つは強制収用所で、収容者が人間としてではなく、動物以下の扱いを受け弾圧されているシーンでした。21世紀の今日になお、あのような事が、しかも日本の周辺地域で行われていることに、改めて涙を流さずにはいられませんでした。
 脚本と演出を担当された夜想会主宰、野伏翔さんは、「秦の始皇帝の時代か何か、人類がまだ蛮性をむき出しにした大昔の暴虐の帝国の物語を作っているような錯覚に陥りました。脱北者の証言に比べれば、はるかに控えめに表現したにも関わらずです。」と述べてました。野伏氏はさらに「拉致事件が凶悪で残酷な北朝鮮の国家犯罪であるという原点を直視すると共に、戦後日本が構造として持ち続けている歪で怠慢な国家体制が招いた不祥事である事実を告発したいと思いました。」とも訴えていました。
 今回の舞台制作に当たり、プロデューサーの佐々木俊夫氏から依頼を受け、12年前の拉致被害者家族会と救う会(拉致被害者救援組織)の街頭署名活動で使用したノボリなどの器材を提供させて頂きました。めぐみさんの事件が発覚した直後の当時の様子を忠実に再現するためであります。私自身も経験しましたが、通行人から悪態をつかれたシーンもよく描かれていました。
 この舞台は、今後新潟や埼玉などで上演されるほか、東京でも再演を考えているそうなので、今後の上演予定が分かりましたらお知らせします。
 余談ですが、かって刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で"デンカ"の役をされた俳優の小野寺昭さん(横田滋さん役)と握手をしましたが、とても優しい手をされていました。

<参照URL>
劇団夜想会 http://yasokai.world.coocan.jp/framepage2.htm
小野寺 昭のホームページ http://www.h3.dion.ne.jp/~a-onoder/
川上麻衣子オフィシャルウェブ http://www.anan.ne.jp/kawakami/
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 http://www.sukuukai.jp/

箱根駅伝復路応援/「北と極秘接触」について

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 昨日に引き続き、箱根駅伝復路の応援に入りました。我が明治は6位でスタートし、一時5位に上がりましたが、その後7位、8位と落ちて来ました。
 応援場所は昨日と同様西新橋交差点ですが、復路なので反対側に陣取りました。トップは断トツで昨年の覇者東洋大学、明治はそのまま8位で通り過ぎました。このまま8位をキープするかと思いきや、その後青山学院大学さらには日本体育大学に追い抜かれ、最後大手町のゴールでは、来年出場が可能となるシードギリギリの10位でゴールしました。
 出場した各選手は、皆さん本当にいい顔をしておりました。明治でなくても、皆さん応援したくなるような気分になりました。
※写真:(左)トップを走る東洋大学選手。(右)8位を激走する明治大学選手。

◇         ◇         ◇
               

 さて本日以下のニュースが入りました。産経新聞購読者以外のために転載します。この件で、情報が入り次第お伝えします。

◆民主、北と極秘接触 複数ルート、拉致被害者の確認要求 北、生存の可能性示唆◆
2010年1月3日(日)8時0分配信 産経新聞

 北朝鮮による日本人拉致問題をめぐり、複数の民主党関係者が昨年夏以降、数回にわたって中国で北朝鮮側と極秘に接触し、拉致被害者の行方を確認するよう要求していたことが2日、分かった。鳩山政権と北朝鮮側との接触が明らかになったのは初めて。また北朝鮮側は、民主党関係者に対し、拉致被害者の中に生存者がいる可能性を示唆しているという。北朝鮮側の対応次第では今夏の参院選前にも日朝両国の公式協議が始まる可能性が出てきた。

 複数の政府・与党関係者によると、秘密接触は政権交代が実現する前の昨年夏ごろから始まり、鳩山内閣の発足後に本格化した。
 秘密接触の1つのルートは、小沢一郎幹事長に近いとされる人物で、ほぼ月に1回の割合で北京の北朝鮮大使館を訪問している。もう1つは、昨年10月中旬に、別の党関係者が首相官邸サイドの意向を受けて訪中した。このときは「仲介者をはさんだ形で、北朝鮮の高位にある人物と日朝間の諸懸案について意見交換した」(日朝関係筋)という。
 一連の接触で、民主党側は拉致被害者の行方を改めて確認するよう要求した。北朝鮮側からは、名前や身分など具体的なことは明らかにしないものの、「体をこわした人がいる」という返事があったという。
 日朝関係筋によると、秘密接触には金正日総書記側近の一人で、対韓政策の実務責任者である金養建・朝鮮労働党統一戦線部長が関与しているもようだ。外務省幹部は「生存者情報の真偽は不明だが、北朝鮮は民主党政権の考えを探りに出ているのではないか」とみている。
 鳩山由紀夫首相は昨年12月、自らの訪朝について「北朝鮮に行く必要が出てきたときには体を張っていくべきだ」と表明している。数回にわたる秘密接触は、首相や小沢氏らの訪朝への地ならしで、拉致被害者の生存を訪朝の「成果」にしようとの意図があるとみられる。
 対北朝鮮問題に取り組んでいる民主党関係者の一人は産経新聞の取材に対し、秘密接触への自らの関与を否定した上で「政府高官からも日朝間の状況を聞かれ、『何か動きがあれば教える』と言ってある」とこたえた。
 拉致問題をめぐり北朝鮮側は、福田康夫内閣時代の平成20年8月の日朝実務者協議で、拉致問題を再調査するための委員会の設置を約束した。しかし、9月の福田内閣退陣表明を受けて、調査の「延期」を通告していた。
 一方で、金総書記が昨年10月の中国の温家宝首相との会談で「対日関係改善の用意はある。いまは鳩山政権の出方を注視している」と述べ、中国側も「このチャンスを逃してはならない」との考えを日本側に伝えたとされている。

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/sankei-m20100103002/1.htm

 

拉致問題講演会

21ウ政250-5654.jpg 北朝鮮人権侵害問題啓発週間(12月10日~16日)における政府主催行事として、「政府主催・拉致問題講演会~すべての拉致被害者の救出に向けて~」が、港区内に在るニッショーホールで開催されました。
 講演会は二部構成で行われました。
 第一部では、中井拉致問題担当大臣から、拉致問題の解決に向けた政府の取組について、続いて増元拉致被害者家族会事務局長、横田前代表ご夫妻、有本副代表ご夫妻から、政府の取り組みや国民の支援への感謝と、被害者救出のための引き続きの協力を求めるお話がありました。
 第二部では、ジャーナリストの高世仁氏、防衛研究所統括研究官の武貞秀士氏から、拉致問題をはじめとする北朝鮮情勢等について講演がありました。
 今回の講演会開催にあたり、政権交代後の各種事情から、事前の広報活動等について、開催地元自治体である港区へ、政府拉致問題対策本部事務局より協力を求める動きがありました。私も微力ながら港区人権・男女平等参画担当課への働きかけを行い、区内各公共施設へのチラシの配布、区主催人権啓発関連行事における配布などが行われました。

会場に貼り出された拉致問題啓発パネル
21ウ政250-5652.jpg

<参照URL>
政府拉致問題対策本部 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ratimondai/index.html
拉致問題講演会 http://www.rachi.go.jp/jp/archives/2009/1212kouenkai.html

マラソン大会

 港区役所課別対抗マラソン大会が開催され、区議会議員も超党派でチームを組み出場しました。私は出場しませんでしたが、他議員と共に応援に参加しました。マラソンコースは、増上寺脇をスタート/ゴールとし、境内と芝公園外周を一周するものです。選手の皆さんお疲れ様でした。

21ウ議252-5648.jpg※写真:出場及び応援議員一同。前列向かって左から、水野むねひろ(自民)、杉本とよひろ(公明)、阿部浩子(F民主)、七戸淳(F民主)、後列同じく、小斉太郎(みらい)、山本へるみ(F民主)、杉原としお(自民)、菅野弘一(自民)の各議員。

横田めぐみさん拉致事件から32年

 横田めぐみさんが北朝鮮工作員に拉致されてから32年が経ちました。前日の14日が父親の滋さんの誕生日です。事件前日には、自宅で誕生日会が開かれ、その時、めぐみさんがプレゼントした紳士用櫛を、今でも大切に持っているそうです。本ブログにも在ります12日の奉祝式典の席でお目にかかりました。
 昨年の今日、事件発生推定時間(午後6時35分)に、現場に立っておりました。その時の様子を、以下のURLに記載しておりますので、ご参照下さい。
http://herumi.jp/seiji/kitachousen/post_16.php

拉致被害者帰国から7年

 5人の拉致被害者が帰国してから、今月17日で7年が経過しました。
 7年前のあの日、私は拉致被害者救援組織の一員として、拉致被害者家族会の皆さんと、衆議院議員会館内に設置された前線本部に詰めておりました。
 午後、外務省の要請で、家族等が我々から切り離され、港区麻布台に在る外務省飯倉公館に連れ出されてしまいました。この場所で、報道陣や我々がシャットアウトした状態で、いわゆる「死亡情報」が家族の皆さんに告げられ、しかも夕刻にはNHKがこれらの情報を放送する事態となりました。死亡報道が流れた瞬間、前線本部は大騒ぎとなり、私の前に座っていた小池百合子衆議院議員は、立ち上がって「殺したなあ!!」と大声を発したことを今でも覚えております。
 記者会見終了後、ショックで半ば放心状態であった私は、議員会館から家族会が宿泊施設として使用していた港区三田に在るホテルに向かい車を運転したのですが、同乗者によると増上寺前をかなりのスピードで飛ばし、赤信号であった芝公園前の交差点に突っ込みそうになりました。寸でのところで我に返り急停車しましたが、あのまま進んでいたら事故を起こしていたかもしれません。
 翌日安部晋三官房長官(当時)がホテルに駆け付け、「死亡情報」について政府未確認であることが判明しました。さらにその後の経過で、当時の政府が全拉致被害者の安否確認を行わないまま棚上げにして、北朝鮮との国交正常化を図ろうとしていたことが明らかとなり、大いに驚愕致しました。北朝鮮のような謀略国家ならともかく、民主国家で祖国でもある日本の政府によって騙されたことに怒りを覚えました。
 鳩山新政権では、それまで党拉致問題対策本部長を務めていた中井洽衆議院議員(三重1区選出)が、国家公安委員長と兼務で拉致問題担当大臣に就任されました。治安担当大臣が拉致問題担当大臣を兼務する初めてのケースです。
 今現在、表面上は日朝関係が膠着状態となっているかのように見えておりますが、経済制裁は効果的な戦術であり、圧力の一環として対話が存在するものと思います。日米同盟の継続は当然ですが、我が国が国民政府一丸となって、全拉致被害者の救出に向けて動かなければなりません。私も出来ることを実行して参りたいと思います。

拉致問題を考える大田区民の会

 大田区民センターで開催された映画「めぐみ」鑑賞会と横田滋さん・早紀江さん(拉致被害者横田めぐみさん両親)講演会に参加して参りました。主催は「拉致問題を考える大田区民の会。同会の事務局を担当しているのが、松下政経塾の同期、宇佐美登前衆議院議員です。
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 講演の中で、滋さんは、
「この映画は、利益を得るためでなく、拉致問題の啓発のために各地で上映され好評を得ています。」
「普通の家庭で起きた悲劇であり、たまたまめぐみが被害者であっただけで、誰の身にも起きる可能性は在りました。」
「日本は世界銀行の二番目の出資者であり、本気になれば日本が独自制裁もできるはずですが、そのためには世論が大事です。国民世論が無ければ救出はできません。今日会場に若い人々がおられますが、若い人々に拉致問題に関心を持ってもらえることは有り難いです。引き続き皆様にも見守って関心を持ち続けてほしいと思います。」
と述べました。
 また早紀江さんは、
「毎日悔しい思いをしておりました。なぜめぐみがいなくなったのかが分からなかったのです。国内事件と思っていたのが、まさか国家犯罪で、その国の指導者が拉致指令を出し、工作員を送り込んだというのです。日本だけでなく世界12ヶ国でこのような事件が起きていたのです。」
「事件から20年、国内では何一つ情報が得られませんでした。警察から遺体の確認を求められ、めぐみさんではないことを確認するなど人間の極限のような苦しみを味わってきました。」
「拉致直後というめぐみの写真を見せられ、悲しい目をで、私は死んでいない、助けてと訴えているようでした。私は、こんな所に居たのね、助けてあげられなくてごめんね、と思いました。こんな恐ろしいことが日本の国の中で堂々と行われいたのに、どうしてこんなに長い間放置されてきたのか分かりません。」
「いつまでも解決されないのか。北朝鮮には、拉致も核も止め、国際の中に入りましょうという気持ちが通じない国だから制裁を加えようと訴えているのです。署名活動は初めはネガティブな反応でしたが、くじけませんでした。人生をかけて戦って来ました。多くの皆様が応援カンパを寄せて頂き、600万もの署名が集まり有り難く思います。」
「拉致は誰の身にも起きていたかもしれません。めぐみではなく他の人が被害に遭い、私が皆さんの客席に座り、別の人がこの演台に立っていたのかもしれません。」
「拉致問題の解決をないがしろにしたら、他の国は日本をどう思うのでしょうか。国の宝、国民が拉致されても何もできない。そんな国に対して、どんな態度、外交をしかけてくるでしょうか。」
「未来を生きる子供達が、どんな国に住んで行くのか。どうすれば解決するのか。人を大事にしよう、国民一丸となって、許せないという気持ちを持って、子供や子孫のための一緒になって戦って行きますので、どうかよろしくお願い申し上げます。」
と述べました。
 講演会終了後、JR蒲田駅西口広場で街頭署名活動が行われました。

応援弁士としてマイクを握る森愛民主党大田区議(左)と宇佐美登前衆議院議員(右)
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署名への協力を呼びかける横田滋さん(上左右)と早紀江さん(下左右)。DSC07634.JPGDSC07636.JPG
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自ら署名活動に参加する滋さん(左)と活動終了後マスコミのインタビュー取材(右)。DSC07650.JPGDSC07651.JPG

テポドン発射/六本木観桜会

 本日、北朝鮮より長距離弾道誘導弾(ミサイル)テポドン2号は発射されました。午前11時30分、北朝鮮北部舞水里(ムスダンリ)よりミサイル発射が、同37分我が国領空通過が確認されました。関連情報については追って報告致します。

 そんな日の今日、六本木では六本木町会(谷口光一会長)観桜会(花見の会)が、三河台公園(六本木4丁目)開催されました。開会は正午からでしたが、当初準備のため午前10時に会場に集まる予定でした。しかし北朝鮮ミサイル発射の可能性を考慮し、参加を見合わせておりました。
 午前11時30分、北朝鮮北部舞水里(ムスダンリ)よりミサイル発射が確認され、同37分我が国領空通過が確認された状況を受け、会場に向かいました。会場で一言ご挨拶する機会がございましたので、この件をご報告致しました。

 それにしても六本木の桜はきれいでした。

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映画「めぐみ」上映会・横田夫妻講演会(平塚)

 拉致問題の解決を目指す湘南の会(勝又恒一郎代表)主催による、映画「めぐみ」上映会と横田夫妻講演会が平塚市民センター大ホールで開催され、およそ2千人の人々が集まりました。DSC07166.JPG

 主催した湘南の会は、今回の行事に備え、本年2月に関係者だけの事前勉強会を開き、私が講師に呼ばれました。この時の様子については、本ブログ2月14日号「拉致問題平塚勉強会」をご参照下さい。同会代表の勝又恒一郎氏(写真)は、松下政経塾の先輩で、勝又氏が8期生、私が10期生です。DSC07152.JPG

 勝又氏による主催者挨拶、佐野尚見松下政経塾長(写真)による来賓挨拶の後、映画「めぐみ」が上映されました。DSC07156.JPG めぐみさんが生まれて成長していく様子、拉致事件当時の様子、事件から20年後に北朝鮮拉致が発覚した時の様子、そしてその後の両親の救出運動様子が克明に描かれております。

 実は映画の中に私も登場します。2000年(平成12年)、北朝鮮に50万トンのコメ支援を行うことを自民党が決定しようとした時に、拉致被害者家族とその支援者が党本部前に集まり、抗議活動を行いました。この時正門前で、自民党議員と支援者との間で怒鳴り合いが始まり、私が支援団体幹事として議、この議員をなだめ諭す役を担いました。

 映画の内容が進むと共に、客席のあちらこちらから、すすり泣く声が漏れて来ました。

 休憩を挟んで、まず松沢しげふみ神奈川県知事(写真)が来賓として挨拶に立ちました。DSC07165.JPG

 その後、横田めぐみさん(1977年新潟市内から北朝鮮工作員により拉致)の父、横田滋さんが登壇しました(写真)。DSC07170.JPG 滋さんからは、事件当時の状況、北朝鮮拉致が明らかになってからの救出運動、政府や国会などの対応について話されました。

 そして母早紀江さんからは、母親としての思いが率直に語られました(写真)。DSC07192.JPG 「人は何のために生まれてくるのでしょう。せめて生きた証、魂を残して生きていくのではないでしょうか。誰でもが拉致被害者になった可能性が在ります。皆さんの誰かがこの演台にに立ち救出を訴え、逆に私が観客席でその話を聞いて、この国は何をやっているんだろうとイライラしていたのかも知れません。私達日本人が、このままの状態でいて本当にいいのでしょうか。」

映画 『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』 公式サイト http://megumi.gyao.jp/

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